茶人として生きる岩本涼が語る、茶の魅力と茶の湯という思想

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第111回のゲストは株式会社TeaRoom代表の岩本涼さんです。

幼少期からずっと茶道を続けてこられた岩本さんがお茶で起業を決めたきっかけと現在に至るまでのお話をお伺いました。また今後お茶を更に身近なものにしていくべく、岩本さんが現在進めている新しいサービス・プロジェクトについてもお話いただきましたので最後までぜひお読みください!

お茶との出会いは9歳の頃

ーまずは簡単な自己紹介をお願いいたします。

茶の湯(茶道)という思想と日本茶という産業の隔たりを感じたことがきっかけで2018年5月に株式会社TeaRoomを創業し代表を務めています。茶の湯という日本の素晴らしい文化を次世代に伝えていくべく、「お茶で対立のない優しい世界をつくる」を理念にお茶に関わることに幅広く取り組んでいます。

ー岩本さんのお茶との出会いはいつ頃だったのでしょうか。

9歳の頃に茶道を習い始めたのがきっかけです。当時テレビでみた東山紀之さんの和服姿に憧れて、茶道をやってみたいと思ったんです。両親がそれを聞いて裏千家の茶道教室を見つけてきてくれ、習い始めることになりました。

元々「コミュニティに所属する」のが小さい頃から苦手なタイプで、学校以外の場に足を運ぶことが多かったこともあり、自発的にやってみたいと思った習い事を挑戦させてもらっていました。

ーということは他にも習い事はされていたんですか。

5歳から空手を習っていました。9歳の時に黒帯を取得し、150人規模の道場の頭となり他の生徒の指導なども行っていました。空手は今でも指導員としてずっと続けています。また唯一両親に非言語のコミュニケーション方法として勧められて始めたバイオリンも今でも続けており、年に1回のオーケストラに参加しています。

ー幼少期の習い事を今でもずっと続けられているのはすごいですね…!

両親が自分の感性の赴くままにやりたいことをやりなさいと言ってくれたおかげです。逆に「勉強するな」と育てられたこともあり小学校はほとんど勉強することなく過ごしていたところ、中学に入学して自分の学力がかなり低いことに気づくことになりました。これは取り返さないと、と思い両親に塾に行かせてもらえるようお願いし、勉強するようになったところ成績がやればやるほど伸びて勉強が楽しいと思えるようになりました。

 

留学がきっかけで知った喫茶の文化と魅力

ーなるほど…その結果高校受験はうまくいったのですか。

第一志望であった早稲田大学の附属高校である早稲田大学高等学院に無事合格することができました。偏差値28から偏差値78の高校に受かったので努力した甲斐がありましたね。ただ、実際入学してみると周りに自分より頭の良い人がたくさんいて焦るようになりました。大学に入ったら留学したいと思っていたことや、行くからには政治経済学部に行きたいという思いがあったので高校に入学してからも必死に勉強していました。

ー大学にその後入学され、留学には行かれのでしょうか。

はい。希望通り政治経済学部に進学することができ、大学在籍中に計3回留学することもできました。留学に行ったことで、日本では当たり前なことが海外では違うことに気づくことができたのはとても良い経験になりました。例えば日本では牛丼が300円で食べれますが、海外ではこれも立派な日本のカルチャーと捉えられます。海外に行き、他国を知ることで初めて自国を知ることができるのは留学の醍醐味だと思います。

ー留学がきっかけでやはり起業という選択肢も視野に入れるようになったのですか。

そうですね。留学がきっかけで「日本の物で世界で戦えるものは何か?」と考えるようになりました。その中で「喫茶」という、飲料を通して人と人が空間を共有する文化が世界中にあるのは面白いなと思いました。昔は飲み物に毒が入れられているかもしれない可能性があった中で、一緒に飲み物を飲むということはリスクを共有するということでもありました。

日本では緑茶やほうじ茶などのお茶がありますが、海外にはコーヒーを飲む文化がある国があったり、ハーブやスパイスを煎じてお茶として楽しむ文化がある国もあったりと本当に様々です。ただ、その中で日本の茶道という文化はライフスタイルとして浸透しているのではなく生き方として浸透しているのが特徴だと思いました。そんな茶道の思想を茶人としてこれから伝えていくことができたらいいなと思ったんです。

 

茶は形を変えて若い世代には楽しまれている

ーそこからお茶のビジネスをされるようになったんですね!

はい。お茶に関連したビジネスはいろいろと挑戦しましたが現在は卸業者としてお茶を企業に提供するビジネスがメインとなっています。静岡にある経営破綻した日本茶工場を受け継ぎ、お茶の生産・開発・販売を行っています。

ー工場を受け継ぐことは大きな決断だったかと思いますがいかがでしたか。

工場のある地域が平均年齢78歳の山奥にある村だったので、地域活性化の観点からむしろ喜んで受け入れてもらえると初めは思っていました。しかし実際のところは村からの反発があり、受け入れてもらえるまでには苦労することとなりました。

村にある組合のトップの方になぜ当時21歳だった私と22歳だった共同創業者がこの村に移住し、右肩下がりである産業に対してどう取り組もうとしているのかという思いを何度も伝え、少しずつ村の方々の理解を得ることができましたね。

ー実際のところ、茶産業は右肩下がりなのですか。

そうですね。しかし個人的にはこの右肩下がりの原因はおじいちゃん・おばあちゃん世代が茶葉からペットボトルのお茶にシフトしているのが原因だと思っています。昔はよく祖父母の家に遊びに行ったら急須に入れたお茶がでてきたけれど、今はペットボトルのお茶がでてくるようになったという経験のある人が多いのではないでしょうか。

逆に若者は以前よりお茶を飲むようになっていると私は思っています。ただし、それが急須にいれて飲むお茶ではなく、抹茶ラテなどの飲み物や抹茶アイスなどと形を変えて消費されているのだと思います。

ー確かにそうかもしれませんね。

だからこそ私たちは20~30代をターゲットとしたビジネスをやっていきたいと思っています。茶という文化の価値を次の世代に繋げていくためにも、子供を今後産むであろう世代をターゲットとし、次世代に自然と茶の文化が浸透していってほしいと思っているからです。まだ私たちはスタートアップですが、茶の文化を次世代に伝えていくために、これから40年位かけて徐々に茶の魅力を伝えていくことが目標です。

 

茶の湯の良さを伝えていきたい

ー茶の価値を20~30代に伝える方法として何か具体的に考えられていることはありますか。

現在、OCHILL(オチル)というお茶を吸うシーシャというプロジェクトに取り組んでいます。お茶はこれまで飲料として捉えられてきましたが、それを気化してシーシャ(水タバコ)で楽しんでもらおうという試みです。

実はカフェインは飲んで腸で吸収するよりも気化して肺で吸収した方が効率がいいんです。お茶には飲む時に鼻から匂う香りもありますが、飲んだ後に喉の奥から花に戻ってくる香りもあります。それを水タバコを通して楽しんでいただければと思っています。来年には都内のお店で皆さんにも楽しんでいただける計画でプロジェクトを進めています!

ーそれは楽しみです!その他、今後の展望や目標があればぜひ教えてください。

近々、お茶で夜の睡眠を改善しセルフマネジメントできるサービスをスタートしようと考えています。日本茶と茶の湯(茶道)の融合をしたいと思ったことがきっかけなのですが、お茶という有形のモノを通して思想を伝えることをしてみたいです。まだ想像できないかもしれませんが、茶の湯における動作や所作の意味を、日本茶を飲むという喫茶体験に応用していくサービスにしていきます。こちらは来月頃に情報解禁できる予定となっておりますのでぜひ楽しみにしていてください!

取材:山崎貴大
執筆:松本佳恋(ブログ/Twitter