トヨタ販売店に勤めながら、NPOで人材育成を担当!高卒でチャンスを手にした小松崎彩子が複業を実現するまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユ二ークキャリアラウンジ。第510回目となる今回は、ネッツトヨタ仙台株式会社で経理・NPO法人STORIAで人材育成を担当している小松崎彩子さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

高校を卒業し就職の道を選んだ小松崎さん。その後NPO法人などいろいろな団体に参加し、自分の理想の働き方である「複業」を実現された経緯についてお聞きしました。

内気で消極的だった幼少期

ー簡単に自己紹介をお願いします。

ネッツトヨタ仙台株式会社で経理として働きながら、NPO法人STORIAで子どもたちの居場所の運営に携わっています。会社は副業禁止だったのですが、猛烈なアタックを続けた結果、複業を実現させました。現在はONETOHOKUという団体にも参加していて、2.5足のわらじを履いています!

ー2.5足のわらじで「複業」を実現された小松崎さんですが、まず本業のネッツトヨタ仙台ではどのようなお仕事をされているのですか。

普段は経理業務をしています。お客様と直接お話する機会はあまりなく、社内・社外のやりとりが多いです。経験豊富な先輩方ばかりなので、5年目でもまだまだ学ぶことがありますね。ルーティンワークなので自分の専門分野の仕事は慣れましたが、枠外のことになるとまだまだですね。

ーそうなんですね。一方で、NPO法人STORIAではどのような活動をされていますか。

貧困家庭の子ども向けの活動をしています。放課後に子どもたちと勉強をしたり、遊んだり、食事をしたり。あとはボランティア参加希望者の面談やフォロー、事務仕事などをしています。

貧困家庭向けといっても金銭的な解決だけではなくて、子どもたちの自己肯定感や非認知能力を高めて貧困の連鎖を断ち切り、愛情の循環に変えていくことを目標に取り組んでいます。基本的に本業の休みの日や終業後を活動の時間にあてています。

ー小松崎さんはどのような幼少期を過ごされていましたか。

内気だけど頑固なところと諦めるところの差が激しい性格で、人と積極的に関わることが苦手でした。習い事もピアノや習字、ヒップホップダンスも習っていましたが、運動系よりは文化系の方が好きでしたね。

小学校はみんなとわいわい過ごしていたんですが、中学校はわたしの中では暗黒時代でした。友達関係も微妙で、勉強も楽しくない。どん底でしたね。

今は人と話すのが好きですが、中学時代の自分からすると、今回こうやってインタビューを受けているのが想像できないです。

ー暗黒時代だった中学時代は、将来の夢ややりたいことはなかったのでしょうか?

中学生のときに職場体験で保育所に行ったんです。小さい子とふれあうのが好きだったので、実際に関わると楽しくて、保育士もいいかなと思いました。

だけど気が付いたらその夢はフェードアウトしてしまっていて。その時期は自分が持っている選択肢もまだわからないし、わたしの性格から、夢を周囲に伝えることも考えられなかったですね。

大学には進学しない、という選択

ー高校時代はどのように過ごされていましたか。

商業系の高校に通いました。ここで初めて本当に信頼できる友達に出会えて、人生が180度変わりました。クラスも部活も選択授業も一緒で、今でも関係が続いている、自分にとって欠かせない存在です。部活でも切磋琢磨して頑張っていましたね。

ー小松崎さんの経歴をお伺いすると、大学には進学せずに高校ですぐに就職を決めたんですね!

はい。高校に入ってもやりたいことがなかったので、進路を考えたときに、目標もなくただ大学に行くのはもったいないと考えていました。だから高校に入るときから、漠然とですが、働きたいというゴールは持っていました。この3年間で何かやりたいことを見つけたいと思っていたんです。

ある日の進路ガイダンスで女性の講師がセミナーをしに来たんですが、大勢の前で堂々と話している姿に一目惚れしました。これを仕事にしたいかも、とすごくわくわくしましたね。当時、高卒でこのような職種を選べることが少なかったのですが、やりたいという思いが強く、後日進路の先生にも背中を押されて講師の方に「この仕事がしたいです!」と直接言いに行きました

ーすごく行動力がありますね。

学校に求人が欲しいと講師の方に直談判しました。1回目は断られて、諦めていたんですがその1、2か月後に求人が来ていたんです。すごくうれしかったですね。

就活は1社受けて、落ちたら次の会社へ受けに行く、という動きでした。あろうことか今の会社に決めた後にその求人が来てしまって。この会社で頑張ろうという気持ちが大きかった一方、後ろ髪を引かれる思いもありましたね。

でも、今ではこの選択には満足しています。人生が良い方向に向かっていくきっかけをくれた経験です。

理想とのズレに悩むなか、希望となったSTORIA

ー実際に働き始めてみてどうでしたか。

働くことがとにかく楽しみでした。やっと働ける!という感じで。
けれど同期と初めて対面したら、わたし以外みんな男性で。人見知りだから打ち解けられるか不安でした。

わたしは本社配属が決定していたので、数日同期と研修しただけで、結局関係が薄いままで終わってしまいました。今ではなんてことないですが、当時は絶望しましたね。

業務については、高校が商業系だったので、やりやすいかと思っていたのですが、学校で習ったことは仕事にはほぼ直結しませんでした。実務的なことが多く初めて取り組むものばかりでした。

店舗のように毎年新人が入ってくる環境とは違い、4年ぶりの新人だったのでいつもの仲間とスピーディーな仕事をしている職場の人たちは、できないことばかりの新人の扱いに困ったと思います(笑)

わたしもできないことばかりだし、覚えられないし、今と違って相当なよなよしてるしで、先輩との関係もあまり良好ではありませんでした。

時にはトイレにこもって泣いたりして、1年目はズタボロでしたね。

ー当時はストレスをどのように対処していましたか。

最初の頃は母に愚痴を聞いてもらっていました。自分は平日休みが多かったので友人とはスケジュールが合わず、月に1回会えるかどうかという感じでした。高校時代の親友とはテレビ電話をして、変顔で笑わせてもらったりしていましたね。

当時は家と会社の往復だけだったので、明日も仕事だと思うと憂鬱になってしまったり、このまま変わらずに10年、20年と経ってしまったらどうしようと、不安になっていました。愚痴を話すという捌け口はあったけれど、根本的解決にはなっていなかったように思います。

ーそこで出会ったのがNPO法人STORIAですよね。

そうですね。実はSTORIAに出会うまでは、ボランティア活動には興味がなかったんです。でも、中学時代に保育士をやってみたかったという思いもあったので、仙台市・ボランティア・子ども、で検索して見つけたのがSTORIAです。

いろいろな団体があるなか、直感的にSTORIAに惹かれました。気づいたらメールを送信して、面談の日程まで決めて、とんとん拍子に進んでいきました。

STORIAのスタッフはみなさん素敵な方で、常にボランティアの人生や幸せを考えてくれています。

この前もボランティアさんに「STORIAのスタッフの方って本当にみんな素敵ですよね」と言われたとき、謙遜なんか一切せずに誇らしげに「そうだよね!本当に素敵なんだあ」と答えていて。そんな方々に出会えたこともわたしが関わり続けている理由になっています。

STORIAは子どもたちの居場所を提供する場ですが、それがわたしの居場所にもなっています。自分の幸せの追求ができましたね。

ー金銭によらない、まっすぐで純粋な動機が生まれたのですね。なぜSTORIAでは素が出せたのでしょうか。

STORIAは子どもたちがやりたいことを自由にできるようにという理念から、のびのびとした雰囲気が感じられていたからですかね。それに、関わる大人たちも全力で楽しむことを大事にしているんです。

会社ではまだまだですが、STORIAでは看板などは一切関係なくみんなから私という存在を必要とされていると感じます。わたしは世の中に居場所があるんだ、ここに居ていいんだって思えるから素が出せるのかもしれません。

ー居場所があるということは モチベーションにも繋がりますよね。STORIAに関わっていくなかで会社での人間関係も変わったと伺いました。

はい。当時は仕事のできなさや自信のなさからなんとなく職場に居づらいと感じていましたが、STORIAで大切にしていた「子どもたちに思いを馳せる」ということを意識するようにしてみました。例えば、子どもが叩いてきたら、「叩いたこと」を注意するのではなく、「なぜ叩いたのか」を考えるというように。重要なのは行為そのものではなく、行為の動機です。

これを会社でも活かして、心がキュッとなるようなことを先輩に言われたときは、「なぜそう発言するに至ったのか」を考えて、「自分のあの行動に原因があったのでは」と自分の行為を見直し、改善することを心掛けるようにしました。

そのおかげで、関わり方が難しい…と感じていた先輩方とも今では仲が良く、恋愛相談をするほどです(笑)

複業の実現に向けて

ーSTORIAでの活動が仕事によい影響を与えたのですね。STORIAではボランティアからスタッフとしてお誘いがあったそうですね。

STORIAでボランティアを始めて1、2年経ったころ、代表の佐々木さんからスタッフとして働かないかと声をかけていただきました。元々働けたらいいなと思っていたので、ものすごくうれしかったです。
けれど、会社では副業禁止だったんです。

その頃、経理の仕事にも疑問を感じ始めていて。この仕事は自分じゃなくてもいいのでは?と思っていました。

副業のことを会社に相談したのですが、気持ちはわかるけどやはり前例がないから難しいと判断されました。会社でともに働く仲間のことは好きでしたが、人生は一度きりなので「やりたいことを我慢しなきゃいけない環境に、居続ける意味はあるのか?」と悩みました。

当時出会った人から、うちで働かないかと声かけてもらっていましたが、わたしの理想は「ネッツトヨタ仙台で働きながら、STORIAでも働くこと」だったので、副業の実現を諦められませんでした。

ーそんな中、STORIAの繋がりでONETOHOKUに出会ったとお伺いしました。

はい。STORIAのおかげでいろいろな人や団体を知ることが出来たのですが、そのなかで4歳上の女性に出会いました。ONETOHOKUも彼女が紹介してくれたんです。

ONETOHOKUは仲間と一緒に東北を“楽しく働く”を通して盛り上げようという団体です。わたしはウェブサイト作成や広報を担当しています。けれど、当時は実際に運営しているのは周りのみんなで、自分は直接活動に参加していないなと感じ始めました。

そこでONETOHOKUの「今やってる仕事がつまらないなら、やめるか変えるか染まるか」という考えに影響されて、せっかく運営として所属しているのだから!と一歩踏み出すことを決めました。

ーこの考えをどう行動に移しましたか。

「変える」ということを体現しようと決心しました。失うものは何もなかったので失敗してダメだったら辞めればいいやと少し気楽に考えて、最後の最後と心に決めて会社に掛け合いました。

結局、会社側からは色んな側面で検討したけれど副業は許可することは難しいと言われてしまいました。

しかし、そこで同席してくれた女性が良かったら手伝わせて、と声をかけてくださったんです。半年間一緒に関連書面の作成をしたり、どう進めていけば上手く伝わるかと作戦会議をしたりしました。また、ONETOHOKUの方も就業規則についての情報やアドバイスをくださいましたね。

最終的にはいろんな人が関わってくださり、その結果、会社にわたしの活動について認めてもらうことができました。理想の働き方を実現することが出来たんです。

ー自分で人との縁を引き寄せているのがすごいです。まさに新たな道を切り開いたロールモデルだと思います。複業を始めて職場の人間関係はどう変化しましたか。

STORIAにボランティアとして関わっているときから会社の人には誰にも言っていませんでした。今ではそんなことないと分かりますが、仕事がうまくいかなかったときに、そんなことやってるからだろうと思われるのが怖かったんです。

今では話すきっかけがあれば伝えるようになりましたし、職場の人も私の活動を理解し応援してくれています。本当に温かい人たちに囲まれて幸せです。

自分がやっている「経理」と「子ども」は結びつかない関係だと思っていたのですが、経理以外の部署で行っている子ども向けのイベントの企画の手伝いを任せてもらえるようになりました。

また、もともと関心がありSTORIAとも縁の深い「幸せ」についての仕事としてワーキンググループの運営をさせていただいたり、社長もSTORIAの活動について以前より関心を持ってくれるようになりました。

会社も私自身の複業についてポジティブに捉えてくれるようになっていて、今回のこのインタビューも「良いことをしてもらってると思ってるからどんどん進めていこう!」と快諾していただき、良い方向への変化を肌で感じられて、働き甲斐を感じるようになりましたね。

STORIAもわたしが楽しいと思うことをやってほしいと言ってくれているので、どちらの職場でもどんどんやりがいは増えています。

 

人との繋がりが私を変えた

ー副業を実現することで、会社は変えられるんだなと感じました。小松崎さんの今後のビジョンを教えてください。

このまま続けていけたらと思っています。自分のこれまでの想いが、実現していく感覚があります。STORIAでの子どもたちに関わる活動は、保育士に興味があった中学時代の経験があってからこそだと思いますし、高校時代にセミナーの講師に憧れた経験から、今新たに仕事ではありませんが、市民講師として学校に出向き中高校生にキャリアの話をしています。

憧れていたけれど出来なかったことがあっても、何か関われるきっかけを見つけることが出来れば、チャンスはたくさん落ちています。やりたいことを実現するために、これからも人との繋がりを大事にしていきたいですね。

ー最後に、小松崎さんにとって「人との繋がり」とはどういうものでしょうか。

一番大事なことであり、自分の長所だと思います。今すぐでなくても、関わっていれば今後の人生で何かがあるかもしれない。だから、出会ったひとつひとつの縁を大事にしています。一度きりの人生、酸いも甘いもたくさんのことを経験してこれからも幸せを追求していきたいですね。

ー小松崎さんの強い行動力と人との縁があったからこそ、理想の働き方が実現したのですね。本日は素敵なお話をありがとうございました!

取材:大庭周 (Facebook / note / Twitter)
執筆:向後 李花子
デザイン:安田遥(Twitter