失敗、改善、挑戦の繰り返し。アメリカ駐在員 浅井広大がやりたいことを手にした術とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第448回目となる今回のゲストは、日系大手製造業で海外駐在員として働いている浅井 広大(あさい こうだい)さんです。

もともと野球少年だった浅井さんが、英語に興味を持ち、海外駐在員として働くことになった経緯について伺いました。

一心不乱に努力し、向き合った野球から逃げ出す

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

現在、アメリカのマサチューセッツ州ボストンにある日系大手製造業で、駐在員として海外営業を行なっています、浅井広大と申します。本日はよろしくお願いします。

ー浅井さんが海外で働くことになった経緯を、幼少期からさかのぼって伺えればと思います。昔はどんな子供でしたか?

小学1年生の頃から野球部に入っていて、ずっと野球に夢中でした。プロ野球選手も夢じゃないと本気で思っていましたね。

ただ、中学生になってからは野球でまったく活躍できなくなってしまったのです。

ーそれはなぜでしょうか。

1つの要因として、周りの子の身体がどんどん大きくなって足も速くなり、ボールも遠くに飛ばせるようになっていく中で、私はずっと身体が小さいままだったことがあります。

私がようやく身長150㎝まで伸びたときには、周りの子は165㎝まで成長していて。体重も10~20㎏違うとなると、追いつくのはなかなか難しかったです。

ー周りと差が開いていく中で、浅井さんはどのようなアクションをとったのか教えてください。

練習自体きつかったのですが、それに加えて自主練習にも力を入れていました。手が血だらけになるまでバットを振ったり、とにかく走り続けたりしていましたね。

ただ、それでも追いつけない状況に疲弊してしまい、中学2年の終わりに野球を辞めることになったのです。

ーとても大きな決断ですね。

そうですね。悔しい気持ちはありましたが、しんどさの方が勝りました。

野球の練習に参加してチームメイトの顔を見るのもしんどかったですし、家へ帰って「今日は活躍したの?」と聞かれるのもつらくてしょうがなかったです。どうしても野球をしている時間が長かったので、学校へ行っても一日中マイナスな気持ちを引きずっていました。

暗闇から救い上げてくれた “英語” の存在

ー中学校のつらい時期を、どうやって乗り越えたのでしょうか。

英語が私を支えてくれました。中学の頃の英語の先生が、基礎基本を大事にする方で、単語や文法を叩き込んでもらったおかげでテストの点数は常に90点以上でした。

中学3年の受験期は勉強に集中していたのですが、野球をやめた後悔はずっとあって……。高校進学後も野球を続けるべきかどうか随分と悩みました。

ー結局、高校では野球を続けましたか?

野球で味わった悲しさや悔しさを振り払うのは野球しかないと思い、再度野球部へ入ることにしました。途中で逃げ出したのがどうしても嫌だったので、高校では何があっても3年間やり切ることに決めたのです。

ー実際に高校生になってから、どのように過ごされたのかお聞かせください。

高校生になっても野球で活躍はできませんでしたが、3年間やり切ることができました。それに加えて、先生から「今の実力では入れるわけがない」と言われていた大学に進学することができたのです。

中学2年でどん底まで落ちましたが、3年かけて野球と勉強をやり切り、何とか立ち直りました。

ー中学・高校時代の浅井さんにとって、やはり英語の存在は大きかったのでしょうか。

ズタボロだった自分を英語が支えてくれたので、影響力は大きかったですね。「大学では英語を使って何かしてみたい」と、徐々に海外へ視線を向けるようになりました。

異なる国の人々が個性を解き放つ姿が何よりの絶景

ー大学進学後、どのように過ごされたかお聞かせください。

私は法学部生だったのですが、国際学部生が集まるラウンジへほとんど毎日通い詰めていました。そこには日本以外のアジアやヨーロッパ、アメリカなど、いろんな国の留学生が集まっているんですよ。

学部が違うので最初は友達がいなかったですが、何度も顔を合わせる中で徐々に向こうから話しかけてもらえるようになりました。

ー同じ学部の方がいない中で、なぜそこまで通い続けたのでしょうか。

「どうしてもこの人たちと仲良くなりたい」と思ったからです。語学は一つひとつ、小さなチャレンジだと思っていて。今日は通じた・通じなかった、わかった・わからなかったとか、その繰り返しが好きでしたね。

通じなかったときは、「どう伝えれば良かったんだろう?」と考えて、次に活かす。その繰り返しです。振り返ったときに「ああ言えば良かったのか!」とハッとする瞬間は、今でもあります。

ーその他、大学時代に印象的だった出来事はありますか?

10か国の青年と船旅に出る、国際交流事業に参加したのが心に残っています。計200名の、年齢の近い方々が集まって交流しました。

私はバーレーンとアラブ首長国連邦の人とよく話していて、どちらの国もあまり安全ではないイメージがあったので、失礼ながら「安全なの?」と聞くと、「危険ではない。安全だよ」とのこと。

国際交流事業が終了してからすぐに飛行機のチケットを予約して、その人たちに会いに、実際にバーレーンとアラブ首長国連邦へ行くと、言われた通り平和で安全なことが確認できました。

ー知らない世界はバイアスがかかりやすいですよね。他に船で印象的な出来事はありましたか?

あります!他の参加者の方々が、自分のタレント性を披露するコンテストを企画して。そこでは、自国についてプレゼンをしたりダンスを踊ったり歌をうたったりして、みんな前に出て表現していたのです。

一人ひとりの個性が解き放たれていて、感じたことや思ったことを表現し合う光景に、感動してしまいました。言語や肌の色が違っていても、人の個性や想いが湧き出る瞬間は、どの景色よりも美しいなと思いました。

その景色のきれいさに気づけたことが、何よりの収穫でしたね。

成長するには「最初の一歩」を踏み出すことから

ー大学卒業後、どのように過ごされたかお聞かせください。

卒業後は日系大手製造業で、営業社員として働きました。入社してしばらくは、営業の意義について理解できていなかったのですが、国際NGOでのボランティアのお手伝いを少しさせていただき、営業の大切さに気づきました。

ーどのようなボランティアだったのでしょうか。

発展途上国に学校を作ったり、教育支援をしたりするボランティアでした。ものの販売もしていたのですが、順風満帆にはいかず、壁にぶつかっている様を見て、営業という仕事は大事なんだと実感したのです。

営業は、お客様にものやサービスを届けて、会社にお金を生み出す仕事だと思っていて。そのお金がないと事業も伸ばせないですし、従業員へのお給料も払えないということを自覚しました。

ーそれ以降は、営業という仕事に納得感をもって働けましたか?

そうですね。今まで以上に仕事に熱が入るようになりました。「もっと新規の案件を獲得していこう」「他の製品も扱ってみよう」など、自分の中での意識の変化が起こりました。

その成果もあって、アメリカ駐在のチケットを手に入れることができたのです。

ー新卒から営業職として働いている浅井さんから見て、良い営業パーソンの特徴があれば教えてください。

BtoBの営業に限ってお話すると、社内のことも理解したうえで営業している人は尊敬しますね。お客様のことを理解するのは当然ですが、社内事情を把握するのはとても大事なのです。

お客様に「できます!」と言って、社内確認した後に「ごめんなさい。できませんでした」では信頼を失ってしまうので。できることとできないことを瞬時に判断して営業できる方は強いなあと思います。

ー新卒や新人の方など、社内事情が完全に理解できていない方々はどうすれば良いでしょうか。

英語を学ぶのと同じように、とりあえずやってみて・失敗して・学ぶというサイクルを繰り返すのが大事ですね。私も同様に、今後もやっていく必要があります。

ー今までたくさんの挑戦をしてきた浅井さん。なかなか行動に移せない方に対して、どのようなアドバイスをしますか?

何かしらの感情が湧き出てきたら、友達に話してみたり、ノートに書いてみたりするのをおすすめします。「友達に話す」「ノートに書く」ということ自体が立派な行動だと思うんですよね。

マラソンと同じで、完走するためにまずはその場で1㎞走ってみる。1㎞が難しければ500mでも良いと思うのです。スモールスタートで良いので、小さなことから始めてみることが、一歩目につながると思います。

ー悩んで踏み出せないよりは、まずはやってみることが大事なのですね。本日はありがとうございました。浅井さんの今後のご活躍を心より応援しています!

取材:武海夢(Facebook
執筆:Moriharu(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter