色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第32回目のゲストは、兄弟で「EVERY DENIM」というデニムブランドを立ち上げて様々なプロジェクトに挑戦する山脇 耀平(やまわき・ようへい)さんです。
デニム好きだった兄弟が、デニムの街・岡山県倉敷市児島を拠点にものづくりの情報発信をスタートさせたのが始まりだったEVERY DENIM。新たなチャレンジのたびにクラウドファンディングで多くの方の共感と支援を得ながら、全国を巡る旅や拠点作りを行なってきました。
今回はEVERY DENIMとしての活動に限らず、山脇さんご自身がどのような道を辿ってきたのか、またこれからどんなチャレンジをしていきたいのかについて伺いました。
EVERY DENIMは、兄弟による週末販売から始まった
ー 2014年、大学在学中に兄弟で「EVERY DENIM」を立ち上げた山脇さん。簡単に自己紹介をお願いします。
EVERY DENIMというブランドを兄弟で経営しています。僕が兄で、92年生まれ。弟が94年生まれです。出身は兵庫県加古川市なんですが、EVERY DENIMの本拠地は岡山県倉敷市児島というところにあります。
弟は岡山の大学に行ったんですが、彼が大学1年のときにデニムの職人さんに出会う機会がありまして。そのとき僕も初めてものづくりの現場を見させてもらって、「ザ・職人」といった姿がすごく面白いなと思ったんですね。
そこで、まずはその職人さんたちのことを広めていきたいなと。日本のジーンズの工場がたくさんある岡山県から広島県福山市までのエリアの方々にお話を聞きに行って、Webで発信するという活動をスタートさせました。それが2014年の12月です。
ー そこから、もうすぐ6年が経とうとしているんですね。
そうですね。スタートさせた翌年には、情報発信だけでなくもう少し深く職人の人たちや工場と関わることができないかな、デニム産業やデニム産地の人たちと一緒に歩んでいけたらいいなという想いが強くなりまして。オリジナルデニムを販売するという企画を作ったんです。
2016年に、初めて製品を企画して販売し始めたところから、本格的に事業がスタート。大学生で始めたので、週末にジーンズのサンプルをスーツケースに積み、いろんなところへ出向いて販売会を開きながら「自分たちはこういうことやってます」というプレゼンテーションをして……といったスタートでした。
販売会で製品を見てもらったり履いてもらったりするということを、岡山に住む弟と、茨城に住む僕とで分担しながら2年ほど続けていました。そこから「こういう風なものづくりのあり方がいいよね」と見えてきて、もっとたくさんの作り手に出会いたいな、と思うように。
販売会として各地に出向いていると、その地域にものは届けられるんだけれど、その土地のことを知る時間がなかったな、とモヤモヤするようになりまして。もうちょっと長い時間をかけてその地域のことを学んだり、作り手さんにお会いして刺激を受けたりしたいなと考えるようになったんです。
そこで、クラウドファンディングを使ってキャンピングカーを購入し、47都道府県を巡るという企画をスタートさせたのが2018年。その4月から翌年7月まで約15ヶ月間、毎月一週間ずつ各地に行ってまた帰って……というのを繰り返しながら、販売を続けました。
その旅でいろんな地域の人たちにお会いして話を聞き、それをWebメディアで発信しつつ、全国の作り手の人たちとの繋がりを作ってきたのが2019年の夏頃ですね。そうやっていろんな地域に行くうちに、僕たちも岡山という地に根差して活動していきたいと思うようになりました。
ー 全国を見てきたからこそ芽生えた想いですね。
今までは店舗を持たず、いろんな地域に行っては帰るということをやっていたんですが、そろそろ腰を据えて、この地域に人を呼び込んむことで貢献したいなと思いまして。2019年9月、クラウドファンディングで開業資金を支援してもらって、僕らの本拠地である児島に「DENIM HOSTEL float」を作ったんです。
自分の生き方に迷っていた学生時代
ー EVERY DENIM立ち上げから現在に至るまでのお話を伺いましたが、立ち上げ以前の山脇さんはどんな少年時代・学生時代を送ってこられたんでしょう?
小さい頃からジーンズが好きで、よく履いていましたね。父親がアメカジ世代で、ジーンズやバイク流行していた時代の人なので、そういうものをたくさん持っていたんです。そんな中で「いいな」とずっと思っていて、それは弟も同じだったと思います。
だけど、それを職業にするなんてもちろん思っていませんでしたし、むしろ小学校から高校までずっと野球に打ち込んでいました。大学でも本格的な野球の団体に入って続けていたくらいです。
ー では大学時代は、主に野球をして普通の学生生活を送ってたんですか?
大学2年になるまでは、そんな感じで過ごしていました。ただ、大学2年の途中で弟に「将来のこと何も考えてないでしょ」と言われてしまって。実は当時、けっこうモヤモヤしていたんですよ。
ー このままでいいのか、という気持ちはあったわけですね。
ありましたね。正直なところ、「どうやって生きていこう」と真剣には考えてなかったですし、なんとなくの就活情報が全てだったので。
そんなとき、東京で大学生がやってるビジネスコンテストがあると教えてもらって行ってみたんです。そしたら、自分と同世代や年下の大学生が、自分の熱い想いやビジョンをプレゼンテーションしているところを目の当たりにして。「何をやってたんだ俺は」と、自分を変えたいと思うようになりました。
ー 何か熱中できることをやりたい、と。
はい、自分も向き合うものを見つけたいなと思って、そこから一年間休学することにしたんです。そして東京のベンチャー企業で経験を積もうと、2社でインターンをしました。
ー インターン先には、どんな会社を選ばれたんですか?
最初は、Web業界で話題になっていた株式会社LIGという制作会社で3ヶ月ほどインターンをさせてもらいました。その後、アパレルブランドを展開しているライフスタイルアクセント株式会社で1年ほど働かせてもらったんですが、当時はちょうど成長期のタイミングだったので、組織が大きくなる様子を横で見ながら学べたのはすごく貴重な体験でしたね。
ー インターン先で受けた影響は大きかったでしょうね。
挫折経験がEVERY DENIMの転機となった
ー 大学でインターンを経験して就活して……という流れはよくあると思うんですが、山脇さんは休学した年の12月にはEVERY DENIMを立ち上げられたわけですよね。きっかけは何だったんでしょう?
使命感を持ってやれることを模索してる時期だったことと、その中で自分にとってすごく輝いている身近な大人が工場の人たちで、すごく惹かれたというのがきっかけですね。彼らのことを広げていく活動を、本格的にやっていきたいなと強く思うようになって。「まずやってみよう」とスタートさせました。
だけど、最初にメディアを立ち上げてから、実際に製品を作って販売し始めるようになる転換期のほうが実は大きなきっかけがあったんです。
ー どんな出来事があったんですか?
当時、ものづくりの現場に一般のお客さんも来て見学できたほうが楽しめるんじゃないか、という動きがジーンズの街でもあって。 ジーンズ業界で長くデザイナーを務められた後に定年された方が、「この業界に貢献したい」という熱い想いを持って実現しようとしていたんですね。
それで、工場を巡るツアーを企画されていたので、僕の弟がEVERY DENIMと並行して手伝わせてもらってたんです。だけどその企画、「あと少しで実現しそう」というところまできて頓挫してしまったんですよ。
ー そんなことがあるんですか……頓挫の理由は?
二つの課題があって。ひとつは、一般の人が見学にくるということに対して工場の人たちの理解を得られなかったことですね。それまで、工場からアパレル企業へというtoBの仕事でやってきているので、ツアーの必要性を説明してもなかなかニーズを感じてもらえなくて。
もうひとつは、一口に「ジーンズの産地」と言っても、一ヶ所にギュッと集まっているわけではないので、お互いに切磋琢磨しているライバルのような存在なんです。だから、横並びで扱われることに抵抗があったようで。
企画を立てたのはジーンズ界の重鎮のような方で、周囲からもすごく慕われていたのに、それでも実現できないという事実がすごくショックでした。その頃には、企画の運営チームもどんどん人が減ってしまって、結局解散することになってしまったんです。
ー それは切なすぎますね。
企画されていた重鎮の方も相当ショックだったみたいで、「こういう活動、もうやめとこうかな」なんておっしゃっていて。僕らとしては、歳が離れていても同じ価値観を持って活動できたことがすごく嬉しかったので、「僕らが彼の意思を引き継いで、いつかツアーを実現させることを目標に活動していきます」って約束したんです。
それで、情報発信にとどまってちゃいけないな、もうちょっと深く関わっていかなくちゃなと思うようになりました。
ー それが山脇さんのターニングポイントになっているわけですね。
そうですね。この出来事がなかったら事業にもならず、普通に就職していた可能性も高かったです。僕らにとって、すごく大きな出来事でした。そこから一層、自分たちの使命感を持てるものが生まれたんです。
初めてのクラウドファンディングで製品販売に成功
ー 企画が頓挫したことで、兄弟にスイッチが入ったわけですね。その後は、具体的にどう行動していったんでしょう?
そこからは、めちゃめちゃ早かったんです。工場に行って自分たちがやりたいことを伝えたら、「ちょうど製品化したかったものがある」と言ってもらえて。
アパレルの工場は、素材を作る人・形にする人・加工する人といった具合に分業化されているんですが、それぞれ発注元がデザインを決めてお願いするという関係性なんです。だけど工場のほうでも色々と試作をしていて、アパレル企業に採用されなかった試作品はデッドストック状態になっていました。
僕らが最初に話を聞いたのがジーンズを加工する工場だったんですが、そこで試してみたいものを僕らの第一弾の製品として届けていきましょう、と決まったんです。そこから、どうやって届けていくのか考え、半年後に製品販売をスタートしたという流れでした。
これだけスムーズだったのは、一度工場見学をさせてもらってお話を伺うなど関係性ができていたのも大きかったと思います。
ー ゼロから関係を作っていったわけじゃなかった、と。
そうですね。関係性のない状態で「ものを作らせてください」だったら難しかったかも知れないですけど、さきほどお話ししたツアーの企画者の方にもあちこち連れていってもらったり、優秀なデザイナーの方を紹介していただいたりしていたので、知恵もスキルも何もない状態にしては、恵まれたスタートを切れましたね。
ー 製品として販売をスタートさせたのは、具体的にいつ頃ですか?
2015年の9月に、「Makuake」というプラットフォームを使ってクラウドファンディングで販売を始めました。
普通の大学生だったので貯金もなくて、でも早く実現させたいという気持ちがあったので、クラウドファンディングに挑戦してみようかな、と。まずは、どれくらいのロットだったらジーンズを作ってもらえるのか教えてもらって、その製造原価を計算して目標金額を決めました。
ー そして、クラウドファンディングは目標金額の2倍以上の額が集まって成功。どのようにして共感してくれる人を集めたんでしょう?
サンプルができた段階で、岡山県内のいろんな事業者や起業家の方に見てもらって話をして……と、コツコツお願いして回っていました。皆さんすごく応援してくださったので、無事に立ち上がったという感じです。Webマーケティングというよりは、直接顔の見える関係性の中で完結した気がしますね。
ー これはひとつの成功体験になりましたよね。
こうしてひとつ形にできたのはよかったですね。ただ、経験値が少なかったので、キャッシュフローが全然分からなくて、次の製品を作るためのお金がなかったんですよ。だから大学生向けのビジネスプランコンテストに出て、そこでもらった賞金をジーンズの製造に充てるということもしていました。
ー そうやって製造から販売までの流れを掴んでいったんですね。
全国販売がきっかけで生まれた拠点づくりへの想い
ー それからEVERY DENIMのお二人は、キャンピングカーで47都道府県を巡り、販売をしながらそれぞれの土地のものづくりに触れてこられた。実際に巡ってみて、どうでした?
すごく良かったですね。全国を巡ることでインプットの時間が増えてしまうので、事業の成長としては自らストップをかけている状態だったんですが、それでも「自分たちがやっていることを間違ってはないんだな」ということをいろんな事例を見て確かめたいと、二人とも思っていたので。
衣類産業の人たちだけでなく、農業や漁業、鉄鋼産業、伝統産業などに携わっている人たちにも話を伺いに行ったんです。その中で、共通するものづくりへの思いや愛着といった精神的な部分をいろんな人たちから聞くことができて、僕らのモチベーションも保たれて……という1年3か月でしたね。
ー 特に印象に残ってる都道府県やエピソードがあったら教えてください。
青森県の弘前市でリンゴ農家をやってらっしゃる方がいて、幼い頃に食べたリンゴの味を再現するためにすごく独創的なチャレンジをされていたんですよ。周りとは違った作り方なので白い目で見られることもあるようなんですが、「自分はおいしいリンゴを追求するんだ」というスピリットで取り組まれていて、すごくいいなと思いました。
東北が台風でひどい被害を受けたときも、その方は「困ったときはお互い様だよね」という精神で、自分のことを白い目で見てきた農家さんからりんごを買い取ったり。そういう、土地に根差した感じがすごく素敵だな、と染みたんです。それから、47都道府県を巡り終わったら児島に固定の拠点を持ちたいなと思うようになりました。
ー EVERY DENIMの本拠地である児島に拠点を作ろうと思ったとき、なぜただのお店ではなく、宿泊できるようにしたんでしょう?
自分たちが全国を巡っていく中で、現地のみんなにすごく温かく迎えてもらったんですよね。だから今度は自分たちが迎える側になりたいなって思ったとき、宿泊できるようにすればよりみんなをもてなすことができますし、一泊という滞在時間の中で僕たちが気に入ったものを見てもらって伝える機会も増えるなと思ったんです。
あとは、紹介してもらった物件がもともと宿泊施設として使われていたもので、しかも部屋の中から瀬戸内海が一望できるようなすごくいいロケーションだったので即決しました。
ー 「float」という名前には、どんな意味が込められているんですか?
漢字だと「浮」の文字をイメージしているんです。瀬戸内海では、小さい島がポコポコ浮かんでるイメージが美しいとされていて「多島美」と呼ぶんですけど、そういう島々の様子を楽しんでほしいなという想いがあります。
あとは、僕らが関わっているジーンズの作り手さんや、僕らがいいなと思って使わせてもらっているものの生産者さんたちのことを、この場所で思い浮かべてほしいなと。そして「浮かれる」ということも大切にしているので、温暖な気候の中で海や山のアクティビティを楽しんで「浮かれる」という意味も込めています。
ー 3つの意味が込められているんですね。最後に、EVERY DENIM今後の展開について教えてください。
まずは、2019年にオープンした「DENIM HOSTEL float」をもっと盛り上げて、たくさんの人たちが児島という街に来てくれるようになることを目指したいですね。あとは、工場の担い手や経営者をこの街に作って、僕たち以外でも新しい風が吹くようにしたいな、と。
理想の「工場で働く職人像」を自分たちなりにちゃんと持って、そういう人を見出していく。そして実際に工場で働く人にしていく、というのが自分たちの役割だと思っています。日本のジーンズ産業の窓口として、ここを起点に人を増やし、工場ももっと今の時代にフィットした形で続けていけるように、どんどんチャレンジしていきたいですね。
ー ストーリーをただ伝えるだけでなく、「float」という拠点を持ってこれから多くの人を迎えていくEVERY DENIM。そしてその拠点となったデニムの街・岡山県倉敷市児島に、今後どんな新しい風が吹いていくのか楽しみです。山脇さん、ありがとうございました!
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取材:西村創一朗
写真:山崎貴大
文:ユキガオ
デザイン:矢野拓実