吟詠家・尺八演奏家の前田健志が考えるご縁の大切さ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第875回目となる今回は、吟詠家・尺八演奏家・前田 健志 (まえだけんし)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

大学に通いながら吟詠家・尺八演奏家として活動している前田 健志さん。現在の活動に至るまでにさまざまな決断やご縁があったとのこと。前田さんが大切にするご縁について話してもらいました。

留学がきっかけで日本の良さを知る

ーまず初めに自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。

大学4年生で、吟詠家・尺八演奏家として活動しています。3歳で詩吟を始め、9歳から尺八を始めました。卒業後は音楽の道で頑張ろうと思っています。2021年5月からはトランペットや和太鼓、尺八で和洋折衷バンド「暁-AKATSUKI-」を始めました。

ー本日は過去から人生を振り返らせていただければと思います。高校進学前に転機があったと伺っておりますが、どのような転機だったのですか。

中学3年生の12月、受験間近に知り合いから留学に行ける高校がある話を聞き、直感で進路を180度転換しました。医者になりたい気持ちもあり、最初は進学校に行こうと思っていたのです。学校や塾の先生もびっくりしていましたが、最終的には後押ししてもらえました。

ー高校に入学し、留学には行けたのでしょうか。

高校2年生のときに、アメリカのペンシルバニア州に1年間留学に行きました。英語が苦手だったので最初の3ヶ月は、ホストファミリーや学校の先生の言葉がわかりませんでした。留学生専用のサマースクールに行き始めてから、コミュニケーションがとれるようになりましたね。

ホストファミリーのお父さんが教会でベーシストとしてバンド活動をやっていて、12月のクリスマスコンサートではバンドに入らせてもらい、尺八と西洋楽器のコラボを初めて経験させていただきました。皆さんから好評をいただき、また尺八の可能性を実感し、さらに尺八を好きになるきっかけになりました。

大学進学とともに東京へ上京

ー大学に入学した際、どのような転機があったのでしょうか。

大学進学で東京に行きました。東京は刺激が多く、ただただ楽しかったです。多くの方とご縁をいただき、刺激的な毎日を送っていました。ただ、入学当初は将来的に、ミュージシャンとして生きていこうと決めていたわけではありませんでした。

まだこの時点では自分でも悩んでいる時期で、まずはいろいろ挑戦してみようと思っている段階です。

ー19歳のときにコロナウイルスが前田さんの環境に影響を与えたとか。

大学2年生の4月に緊急事態宣言が出されました。アパート暮らしで音も出せないため、詩吟や尺八の練習もできませんでした。友達や知り合い、家族にも会えず、人との関わりが一切断絶され、最初の1ヶ月はとにかく寂しかったです。

暁の結成、音楽の道に進むことを決意

ーその後20歳でバンド活動を始めていますが、どのような経緯でバンドを結成されたのでしょうか。

大学2年生の夏、ある日突然トランペッターの方から「昔から和楽器とコラボしたいと思っていたので、一緒にバンドをやりませんか」とDMをいただきました。その方とは大学1年生のときにInstagram上でフォローし合っていて、お互いの活動は知っていたんです。

留学のときのような西洋楽器とのコラボをまたやりたいと思っていたので、一度逢ってお話させていただきました。すると、”音楽は国境を越える世界共通語”という思いが一致したのです。

私自身、留学で英語圏の方々に向けて演奏した中で、音楽は音の表現によって喜怒哀楽などの感情や曲の情感がダイレクトに伝わることを実感していましたので、意気投合したその場でバンド結成が決まりました。

バンド名は、コロナ禍や戦争で暗く活気のない世界を日本人の力で、音楽のちからで照らす太陽になろうという想いで”暁-AKATSUKI-”と命名しました。

ー高校のときのコラボを経て、今回のコラボに違いはありましたか。

楽しい反面、難しさも体感しました。芸大や音大を出ている訳ではなく、邦楽の中で育ってきたので、コードを覚えたりや五線譜から尺八譜へ整理したりするのは正直大変です。コラボすること自体は容易ですが、和楽器の良さを出し、人の心に届く演奏をすることは簡単なことではありませんね。

入学当初に悩まれていた音楽活動について、このときはどのように考えていたのでしょうか。

大学2年生のときはまだ100%気持ちが振り切れていませんでした。当時コロナウイルス蔓延による娯楽の制限で、コンサートやライブの機会が失われ、音楽家は厳しい状況に見舞われていました。

そのため安定した収入を得ることも必要だと思い、暁の活動やソロ活動をしつつ、大学2年の夏から3年の冬頃まではインターンに参加していました。

当時コロナウイルスでコンサートやライブが失われ、収入の安定がない状況では厳しいだろうと考えていたので、暁の活動や個人活動もしつつ大学3年生までインターンをしていました。

ー本格的に音楽の道に進む決心がついたのはいつ頃でしょうか。

大学3年生の冬頃です。『SAKURA COLLECTION』というファッションショーに暁として出演させていただき、ランウェイのバックミュージックも担当させていただきました。久しぶりに本格的な音楽活動を進められ、音楽をやっていきたい感情が高まったんです。

今でも本当にやっていけるのかどうか不安はもちろんありますが、舞台に出たり人とのご縁をいただいたりする中で、まずはやってみようと思いました。