普通のOLがブラジャーの悩みを解決して日商1000万円。24hブラ開発者・こじみく(小島未紅)の歩みとキャリア観

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第121回目のゲストは、株式会社ashlyn(アシュリン)代表取締役の小島未紅さんです。

Twitterで「こじみく」という愛称でブラジャーの正しい知識や自社ブランド「BELLE MACARON(ベルマカロン)」とノンワイヤーブラ「24hブラ」を発信している小島さん。日商1000万円を売り上げ、多くの女性の日常の悩みに寄り添う会社を運営していますが、意外にも創業前は「起業をしよう、売り上げを伸ばそう」という意識はなかったと言います。「ありそうなのに、なんでないの」という自分自身のブラジャーの悩みから生まれたプロダクトがここまで成長した軌跡を、小島さんの半生と共に辿りました。

 

「商品力」が日商1000万円の鍵

ー本日はよろしくお願いします!まずは、小島さんの自己紹介、現在のお仕事を教えてください。

小島未紅です。2016年5月に株式会社ashlynを設立しました。日本で初めてのノンワイヤーブラ専門のランジェリーブランド「BELLE MACARON」を立ち上げ、2018年11月からオンラインショップで「24hブラ」の販売を行っています。2019年には最高日商500万円、今年にはいり最高日商1000万円を記録しました。

昨年11月までは、複業でほかの仕事と並行して会社の経営とブラジャーの開発をしていたんです。株式会社ashlynはわたしひとりの会社なので、商品のプロデュース、サイトデザイン、商品写真のディレクション、マーケティング…ブラジャーのパターン作りやデザインはプロとタッグを組ながら、基本的にすべての工程をひとりで担っています。

 

ーランジェリー業界未経験で日商1000万円という実績から、起業家としても注目を集められていますが、ブランド立ち上げのきっかけはなんですか?

新卒で社員1万人規模の大手IT企業でシステムエンジニアとして働いていました。通勤時間がかかり、残業もあって勤務時間も長く…そうなると、ブラジャーの着用時間も学生のときより増えたんですよね。その上、デスクワークで長時間同じような姿勢で仕事をしていたため、ブラジャーを着けていることに大きなストレスを感じるようになったんです。

ストレスを軽減したくて、ノンワイヤーブラに変えようといろいろ探してみました。もともとランジェリーが好きだったので、可愛いものが欲しくって…でも、ノンワイヤーブラってシンプルなものやスポーティーなものばかりで、色もぱっとしないんです。ネットショップも、実店舗も、とにかく探しまくりました。けれど、満足いく「可愛くて、しかも快適」なノンワイヤーブラには出会うことができず…。

段々と、「作れそうなのに、どうして誰も作ってないの?」という疑問が湧き始めました。友人に相談をしても「そういえば、可愛いものってないね」という声ばかり。「可愛いノンワイヤーブラが欲しい!」とみんな言っていて、ニーズも感じたんです。確実に欲しがっている人がいる、ということが自信につながり、「自分でノンワイヤーブラを開発しよう」と一念発起しました。

ー24hブラはポジティブな口コミが多く、SNSで声が広がり、ブランド認知も向上しているイメージがあります。

実は、マーケティング費用は月に1万円ほどしかかかっていないんです。わたし自身の発信と、そして商品を手に取って気に入ってくださった方がSNSで発信し、2年近くかけてここまで成長していきました。

やはり、商品を本当にいいものだと感じてもらわないと口コミは生まれません。「商品力」の強さが成長要因だと考えています。24hブラは、2年半かけて開発しました。日本トップクラスのパタンナーとデザイナーとタッグを組み、そこにわたしが消費者目線を付け加え、1センチ単位の調整を重ね…妥協は決して許さず、とことん商品にこだわった結果として24hブラがあるんです。それを実際に着用してもらい、満足してもらえた…その結果が最高日商1000万にもつながっているのではないでしょうか。

 

起業がしたかったわけではなかった

ー起業ってリスキーなイメージもあると思います。踏み切ることに勇気はいりませんでしたか?

正直、勇気はそんなに必要ではありませんでした。「人生賭けて起業をする!」みたいな熱いイメージを、学生の頃はわたしも抱いていたんです。でも、実際はそんなことなかったですね。わたしの場合、昨年までは会社員と兼任しての会社経営だったため、お給料を変わらず一定額もらいながら自分のスキルが上がっていく…むしろリスクではなくメリットが大きかったです。

大規模な目標を掲げていたわけではなかったことも、リスクが低い起業だったことにつながっているのではないでしょうか。わたしは別に、会社を大きくしようとは考えていませんでした。ただ、「理想とするものが欲しい」という想いの一心でしたし、好きなものの延長線上に起業があったんです。大きな目標があって、決断を要して…というより、理想的なノンワイヤーブラを世に出すために、ひとつずつ積み重ねていった。その結果、ここまで大きくなった。そう振り返っています。

 

ひとつのことに熱中する経験を積む

ー積み重ねによって出来上がった小島さんのこれまでの歩みを、さらに遡ってお聞きしたいです。幼少期はどんな子どもだったのでしょうか?

活発で積極的、集団の中にいても目立つタイプだったと思います。ムードメーカーで、人を笑わせるのが好きでした。その一方で、ひとりで過ごす時間も大事にしていて、なにかに夢中になるとそればっかりしているような子どもだったんです。

 

ー学生時代に打ち込んでいたものはありますか?

小学校から高校まで、吹奏楽部に所属し、アルトサックスを吹いていました。進学した中学校は、賞とかも獲ったことがないいわゆる弱小校だったのですが、ちょうどわたしが入学したときから「もっと上を目指したいよね」という空気に変わりつつあったんです。それもあって、コンクールで銀賞を獲ることも叶いました。

ただ、多くの吹奏楽部生にとっては、金賞を獲ることが目標なんです。それまで賞をひとつも獲ったことがなかったなか、銀賞という成果を残せたのは快挙ではあったものの、やはり悔しさが残り…高校は100人以上部員がいて、金賞の実績も多くある強豪校の女子高へ進学しました。

 

ー相当練習も厳しかったのではないでしょうか?

吹奏楽部は文化部として認識されますが、ほとんど体育会系の部活でしたね。炎天下での練習もありました。合宿ともなれば朝の5時から夜の10時まで練習。サラリーマンよりも働いていたと思います。軍隊みたいに厳しく、大変でした。

 

ーそのような環境で鍛えられたんですね。部活動に打ち込みながらも、高校では大学選びも大事になってくるかと思います。

部活最優先でそんなに勉強をしていなかったので、成績は振るいませんでした。周囲からも「勉強が苦手な子」と認識されていたと思います。悔しかったですね。このままでいいのか、と考え、自分の当時の学力よりも高い目標を掲げて受験勉強に明け暮れました。お風呂も忘れてしまうほど集中して、1日10時間は机に向かっていたんです。

吹奏楽にも熱中していましたが、ひとりでこんなに何かに打ち込むという経験はそれが初めてでした。偏差値を20上げて憧れだった立教大学へ合格。大学生活が始まります。

 

iPhoneとの衝撃的な出会い

ー自分を成長させるような大学選びをされたんですね。就職活動ではどのような選択をされたのでしょうか?

大学時代にいろんなバイトをしていました。回転すし店や、カウンターのおすし屋さんや、中国茶販売店、コンビニ、イベントスタッフなど…そのなかでも、一番楽しかったのが、レンタルビデオショップだったんです。映画が大好きで、それで、就職活動も最初は映画業界を目指していました。しかし、映画業界は狭き門で、思うように運ばず…。

大学の授業でプログラミングの経験があったのと、昔からPCを使ってHP作成や動画の処理などをしていたので、「パソコンにだったら1日10時間でも向き合っていられるな」という考えからIT業界も受けるようになりました。そして、NTTのグループ会社である大手IT企業にシステムエンジニアとしての内定をもらいます。

 

入社をする前に、とても印象深い出来事ありました。大学1年生のときにAppleがiPhoneを発売して、周りも一気にガラケーからスマホへの乗り換えの波が起こっていたんです。でも、わたしはたとえLINEが使えなくてもガラケーにこだわっていて、ずっとお気に入りの機種を使用していました。

それが、大学4年生の秋、22歳のときに愛用していたガラケーを紛失してしまったんです。せっかくだから、と、iPhoneを使用し始めました。そうしたら、生活が一気に変わるような感覚すら覚える衝撃を受けて…。新しい価値観が根付いたような気持ちでした。「ITや新しいサービスは、社会にこんなにもインパクトを与えられるんだ」と感じ、世の中に根差したサービスを生み出したい、という想いが、このときに芽生えたんです。

 

安泰と思われていても…大企業ゆえの悩み

ー起業につながる情熱がそのときから灯っていたのかもしれませんね。大企業での社会人生活はどうでしたか?

システムエンジニアとして、オンラインストレージサービスの開発プロジェクトに参加しました。200人近い人が関わる、大規模なプロジェクトです。正直、それだけ大きなプロジェクトだったため、自分の目の前の仕事が「何かを作っている」という感覚がありませんでした。

 

ー大企業ならではの悩みを抱えられていたんですね。

社会人2年目になり、不安や焦りが大きくなっていったのを感じました。世間では、入社できれば安泰だと思われるような会社です。大企業がゆえに、自分がやっている仕事が、自分自身のスキルとして身についているのか分からなくて…。転職は考えていなかったのですが、転職をしようと思ったところで、活かせる実績があるようにも思えず…。

その時期に、「ブラジャーの着用がストレス」「だけど理想のノンワイヤーブラがない」という身体の悩みも重なって、自分でプロダクトを作り、自分で売るということを考え始めたんです。

現在、D2C業界が盛り上がりを見せていますが、その当時はまだそんなに目立った例もなく、ネットで他のブランドの発信方法を調べたり、ヤフー知恵袋で経営や売れるネットショップに関しての質問への回答を読み込んだりしていました。

自分でプロダクト開発をして、ネットで発信して、オンラインショップで販売するーーこの経験は、確実に自分のスキルとして蓄積されます。サイト制作やマーケティング、経営の経験やお金の知識は、たとえブラジャーじゃなくなっても、転用して活かせるもの。大企業だと手に入れられなかったスキルが、起業を通して身になるだろうと思いました。

 

会社員、起業、複業…経験から後押しする「第三のキャリア」

ー起業してからはどのような生活を送られていたのでしょうか?

2017年に大手IT企業を辞めて、派遣社員として受発注業務に関する事務処理を行っていました。その勤務時間が14時から23時半。それ以外の時間や休日を、ノンワイヤーブラの開発にあてていました。

自分が納得できるものを作るために、1からです。「工場 ブラジャー」や「ブラジャー デザイナー」という検索ワードで提携先を探し、200件以上のリストにひたすら電話で問い合せをする日々。予算が合って、サンプルを送ってもらっても、質が悪く発注できないということも何度もありました。泥臭く、ひとつひとつ課題をクリアしていったんです。

 

ーシステムエンジニアから、ブラジャー開発というのは大きな方向転換だったのではないでしょうか?

わたしは、あまり大きく変わらないな、と思っています。エンジニアも、仕様やデザインを決めて、課題を解決していく。ブラジャー作りも似ているなって。ひとつのことに熱中してやる、という幼いころからの気質も、活きたと思います。起業には、様々な側面がありますから、いままでの経験のいろんなことが役立っている感覚を覚えるんです。

 

ー今後の小島さんの展望を教えてください。

24hブラは、ブラジャーの悩みから女性を解放するプロダクトです。今度も広め、育てていきたいですし、別の商品開発にも注力したいと考えています。年内には、新しいプロダクトをリリース予定です。ぜひ楽しみにしておいてもらえると嬉しいです!

また、わたしのこれまでの珍しいキャリアや実績を今後も発信しつづけ、挑戦しようとしている人の背中を押せれば嬉しいです。リスクの少ない起業を考えてきたからこそ、できる発信があると思います。就職や転職に並ぶ第三のキャリアとして、起業という道が確立された社会を推進していければと考えています。

 

ーこれからも小島さんのご活躍とBELLE MACARONの成長が楽しみです!本日はありがとうございました。

 

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取材:高尾有沙(Facebook/note/Twitter
執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter