醸し人・竹澤元哉の「足るを知る」という考え方の原点とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第536回目となる今回は、醸し人・竹澤元哉(たけざわ げんや)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

2021年にナオライ株式会社に就職し、日本酒由来の熟成酒「浄酎」を製造・販売している竹澤さん。大学生の頃に変化した価値観や発酵文化に興味を持ったきっかけ、発酵に対する熱意について教えて頂きました。

心の豊かさの欠落に気付かされたスペイン・サンティアゴ巡礼

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

竹澤元哉と申します。「多様で豊かな日本酒文化を未来に引き継ぐ」をテーマに活動するナオライ株式会社に所属し、浄酎(じょうちゅう)というお酒を造っています。

ーどのような学生時代を過ごされたのでしょうか?

高校は地元の進学校に通っていました。高3で部活を引退してからは、いかに偏差値の高い大学に入るかを重視して受験勉強に取り組んでいましたね。その後、なんとか第一志望の大学に合格できました。

当時の僕は、勉強しようという気持ちより「私立文系大学生」という肩書きに浮かれ、授業もまともに受けず、遊びやサークルに夢中でした。そんな生活を続けていたら、1年生の時点で留年の危機となってしまって……。大学生活は自分が想像していたよりも厳しいことがわかり、それからしっかりしなければと思い始めましたね。

―確かに、高校生の頃大学生活は充実しているイメージですよね。それから21歳の頃に価値観が変わる出来事があったそうですね?

21歳の頃にスペインのサンティアゴ巡礼に行きました。サンティアゴ・デ・コンポステーラというキリスト教の三大聖地があり、フランスの国境沿いから800㎞、ひたすら歩いて向かうのです。日本でいえば、お遍路めぐりと似ているかもしれません。初めての1人海外旅行でした。

自分に対して「このままで良いのか」という初めて疑問が生まれたタイミングでした。そんな時にスペイン語学科で仲の良い先輩にサンティアゴ巡礼を経験した方がいて勧めてくれたのです。

サンティアゴ巡礼は、ただひたすら歩くのみ。費用の負担も少なく、ほかの巡礼者とコミュニケーションを取れば、語学の勉強になると思い行くことに決めました。

―結果的にサンティアゴ巡礼を経験して、得られたものはありましたか?

サンティアゴ巡礼には、僕以外にも多くの巡礼者がいました。さまざまな人とのコミュニケーションを通して、人の本来が持っている「あたたかさ」や「親切さ」に触れることができましたね。

僕は1人で参加したので、まったくのゼロから関係性を作る必要がありました。しかし毎日歩いていくうちに、友人6名で巡礼をしていたスペイン人の方々と親交を持つように。彼らから「一緒にご飯を食べよう」と声を掛けてくれたのです。

800㎞歩き切った後、彼らはバルセロナの自宅に招いてくれて、1週間ほど滞在させてくれることに。彼らは日中仕事をしているのにもかかわらず、僕に鍵を預けて「自由に出入りしてくれと」言ってくれました。仕事が終わった後も、サッカーのバルセロナの試合を見せてくれたり、スペインの観光地を一緒に巡ってくれたりしたのです。

見ず知らずの僕に鍵を預けるなんて……!自分が逆の立場だとしたら同じ対応はできないなと思ってしまいました。その時、自分は精神的に豊かではないと感じたのです。

自分は打算的な考え方で、人を助けることにおのずと見返りを求めていました。その考え方は精神的に豊かではないなと。

僕に鍵を預けたり、観光地を案内してくれたりしても、利益を得られません。お金も持っていない、何者でもない自分に対して、彼らは尽くしてくれたのです。

彼らと過ごすまでは、いかに名の知れた大学に入学し、卒業後には年収の高い会社に入るかを重要視していました。「自分だけ良ければすべてよし」的な世界観で生きていましたね。

しかし、この経験の中で、自分が何か受け取る側になり初めて気付くことがありました。それはお金を持つことと、精神的に豊かに生きることは別だということです。

留学を経て日本の食文化に興味を持つようになった

―サンティアゴ巡礼を経て、その後はどんな進路を歩まれたのでしょうか?

サンティアゴ巡礼を経験した1年後、大学を休学し留学をすることに。元々、スペイン語圏に長期滞在してみたいと思っていたからです。中でもキューバに興味を抱いていました。キューバはスペイン語圏の中でも特殊な社会主義の国。日本のように何でも簡単に物が購入できたり、ビジネスを始めたりすることができません。

社会主義と聞くとあまり良い印象はないと思うのですが、実はキューバは「成功した社会主義」と言われています。お金が無くても、暮らしている人々の幸福度が高いと大学の授業で知ってから興味が湧きました。

ところがキューバは社会主義のためビザが取れません。そのためまずは近くのメキシコに住みながら、キューバに行けるタイミングを見計らっていました。結局、キューバに行けたのはトータル1ヶ月くらいでしたね。

―キューバに行ってみて、成功した社会主義を体感できましたか?

実際に行ってみて、やはり水も自由に買えないような国でした。しかし、コンビニやインターネットなどが無くても、音楽を楽しみながら暮らしていて……。まさに豊かな心を持っているように感じましたね。

ー留学の大半を過ごしたメキシコでではどのような生活を送っていましたか?

メキシコも特に裕福な国ではありませんが、たくさんの人が僕に対して施しをくれました。サンティアゴ巡礼の時と同じような感覚を覚えましたね。

メキシコは親日家が多く、日本に興味がある人から食文化やアニメなどについて質問されることもしばしば。それから僕も改めて、日本の食文化に興味を持つようになりました。

ー帰国後、何か変化はありましたか?

海外に行って、改めて日本の食文化に興味を持つようになりました。メキシコに滞在中「醤油や味噌はどのように造るの?」「和食とはどんな食べ物なの?」と聞かれたときに、答えられない自分がいたのです。

「日本人なのに和食について知らないのはどうなのか」と考えるようになり、次第に、食文化が日本の魅力だということに気づいて……。特に日本の発酵文化は世界に誇る文化だと思います。当時から僕は日本酒が好きだったので、日本酒の文化を調べつつ発酵の魅力を発見していきましたね。

特徴的な日本の発酵文化に関わりたいと思った

ーそもそもなぜ発酵に目を付けられたのでしょうか?

日本酒を造るには「麴菌」という日本固有のカビによる発酵プロセスが欠かせません。日本の気候や菌があるからこそ成り立っている文化です。それがとても興味深くて次第にはまっていきました。

ほかの国にももちろん発酵食品はありますが、日本の発酵文化はかなり特徴的であり、多様性があります。

―実際に、日本酒に関わる仕事に就こうと思ったのはいつ頃なのですか?

「将来的に日本酒に関わる仕事に就きたいな」とは思っていましたが、果たして新卒で決めるべきなのか、どのような仕事に就くべきかという葛藤はありました。正直、新卒で日本酒携わるとは思ってもいませんでした。

ー最終的に、ナオライ株式会社に入社を決めたのはどのような理由があったのでしょうか?

元々、日本酒に興味はあったものの、「味が美味しい」「文化的価値がある」程度でしか考えていませんでした。しかし、ナオライは「日本酒を通して社会課題を解決する」という考えのもと活動していると知り衝撃を受けたのです。

ナオライは日本酒酒蔵の皆さまと、日本酒の多様な文化を守っていきたいというビジョンを持っています。「古来から続く多様な食文化を守ることにどのような意味があるのか」と日々考えることが自分にとって重要なポイントだなと思いました。

ーたしかに、普段の生活では欠かせない醤油や味噌などをじっくり考えて食べたことがありませんでした。改めて考えてみると、自然の力によって僕らの生活は成り立っているのだなと感じますね。

そう考えると価値観もおのずと変わってくるのではないかと思います。スペインから帰ってきた後も、なぜ自分は見返りを求めず、他者に何かを与えること、いわゆる“贈与”の心が欠けていたのかとずっと考えていました。おそらく日本の生活では、既に自分が様々なモノを受け取って生かされているということに、気づけなかったのだと思います。

前提として贈与する人は、さまざまな人や物から与えられていて、その価値を知っているからこそ、自分もほかの人に返すという循環があります。現代の日本においては、お金ですべての物事を解決しようとしたり、お金を稼いでいる自分のおかげで、食べ物が手に入ると考えてしまいがちだなと感じます。

ー恵まれているとなかなか人に与えるという感覚が薄くなりがちですよね。ナオライに就職されてやりがいはありましたか?

メンバーも少ないので、自発的に考えて行動しなければなりません。大変ですが、やりがいがあります。実際にお酒を造るところから、どのように売るかまで一貫して携われるのは大きな魅力だなと思います。

また僕は、ナオライと出会うまでは微生物の存在を感じる機会はありませんでした。発酵は目に見えない微生物の力で行われますが、普段の生活では気にしない情報ですよね。

現在の食品産業は大量生産・大量消費が当たり前となっていて、本質的な情報が消費者に届けられていないのが問題点だなと思っています。味噌や醤油が造られる工程を知ると、改めて、私たちは自然の力や、さまざまな人の支えで生きているのだなと気付かされます。

浄酎の製造を通じ自然や人に支えられていることに気づく

ー最後に熟成酒「浄酎」について伺います。浄酎はいつ頃製造されているのですか?

浄酎は、原料の日本酒を仕入れることができればいつでも生産可能です。というのも、浄酎はかなり特殊な造り方で。

一般的な日本酒酒蔵だと10月から冬にかけて生産していきますが、各地の日本酒酒蔵から日本酒を仕入れて、それを独自の加工・蒸留をして造っているお酒なのです。

ー日本酒を加工・蒸留するのは特殊なのでしょうか?

「低温浄溜」という独自の特許技術を取得しています。一般的な蒸留は、お酒を100度近い高温で沸騰させて、お酒からアルコール分を分離しますが、私たちの技術では40℃以下の温度でお酒を蒸溜することができるため、日本酒本来の豊かな香りや味わいを失わず加工することができます。

一般的に、日本酒は新鮮であればあるほど価値が高いとされていますが、アルコール度数を高めた浄酎にすることで、常温でも保存が利く(=時間の経過が価値になる)お酒に変わるのです。

―徐々に20代の方でも日本酒好きが増えているイメージですが、まだ日本酒にハマっていない方に向けて日本酒の楽しみ方を教えていただけますか?

作り手のストーリーを知っていることでより日本酒に愛着を持てると思います。また最近では日本酒のwebメディアが増えてきました。

ネットで簡単に調べられるようになっているので美味しいなと思った日本酒があればリサーチしてみても良いかもしれません。

ー最近、地産地消の食材を見かける機会が増えたので、スーパーでもどの農家さんがつくったかわかりますが、日本酒はあまりストーリーがわからないかもしれませんね。

そこが日本酒の課題だと思います。日本酒は衰退産業と言われていて。1970年代がピークなところから消費量も蔵の数も約3分の1に減ってしまいました。

原因の一つは、造り手のストーリーを伝えてこなかったことだと思います。美味しさのみの訴求では、なかなか普及しないかなと。

ー最後に、今後竹澤さんが成し遂げたい、人生において何かやりたいことがあれば教えてほしいです。U-29世代に何かメッセージがあればよろしくお願いします。

日本酒をきっかけに、発酵文化の魅力に気づいてもらえるような発信をし続けたいと思っています。自分自身も発酵文化を深掘りして、現代社会をより良く生きるためのヒントを探っていきたいです。

私たちの身近には、意外と多くの発酵食品が存在しています。ぬか漬けなど簡単に家庭で造ることができますよ。食べ物が造られる過程を知ると、いかに自身が多くの支えによって生きているのか気付かされます。

「足るを知る」という言葉がありますが、自然・社会の循環の中で自分の存在を捉えることができると、何気ない日常生活にも感謝できるようになると思っています。

ーありがとうございました!竹澤さんのお話を聞いて、改めて私たちは周りの人々や自然によって活かされているのだなと実感しました。竹澤さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:増田稜(Twitter
執筆:Risa(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter