「変化を恐れず、挑戦し続ける」面白法人カヤック じょうの行動力の秘訣

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第994回目となる今回は、面白法人カヤックで働くじょうさんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

企画・編集・執筆・プロジェクトマネージャーを中心に、幅広い仕事をされている定塚さん。目立つことが苦手だった幼少期から、大学時代の入院を機に大きく変わった価値観と、夢ができてからの行動や変化を恐れない考え方についてお伺いしました。

勉強も部活もうまくいかず、劣等感が強かった学生時代

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

現在、面白法人カヤックという企画プロデュース会社に勤めながら、副業でローカル雑誌のオンラインメディアで編集や執筆を行なっているじょうと申します。

2つに加えて、和歌山のみかん農家さんと商品を作ってクラウドファンディングしたり、ローカルな企画に携わったりしています。

最近はキャリア相談や新規事業相談に乗るセッション「壁打ち」も、週末を利用して実施しています。

ー小さい頃はどのような子どもでしたか?

目立つことが苦手で、周りのみんなに合わせて生活している子どもでした。「合唱コンクールの指揮者をやりたい」「漫画を描いてみたい」とか、当時もやりたいことはたくさんありました。ただ、想像するだけで行動に移したことはありませんでした。

実家がキリスト教で両親と一緒に教会に通っていたのですが、小学校低学年のときに「日曜日に教会へ行くのは俺ん家だけなの!?」と他人と異なる生活環境であることを知りショックを受け、人と違うことに敏感になりました。仲間はずれになりたくなくて、自分を表現することに消極的だったと思います。

ーそうだったんですね。高校生は大きな闇の時代だったとお伺いしましたが、どんなことが起こったのでしょうか?

第一志望の高校に落ちてしまい、劣等感を抱いたまま高校に入学しました。

中学と同様に陸上部へ入部したんですが、中学では上から3番目の成績だった陸上も、高校では下から1、2を争うほど成績が悪くなってしまって…。誰にも認められず劣等感がさらに強くなりました。

そのまま、高校2年生のときに陸上部を退部しました。

ー部活を辞めたあとは、どのように学生生活を過ごされましたか?

最初は大学受験をがんばろうと意気込んでいましたが、想いとは裏腹に成績は下がり続けてしまって。勉強に身が入らず、いろんなことに言い訳をして、長い間現実逃避していましたね。

大学受験でどこにも受からなかったことでようやくお尻に火が付き、1浪して第一志望だった立命館大学に進学しました。

入院生活で得た20代最大の夢

ー立命館大学を志望された理由を教えてください。

周りの環境を変えて人生をリセットしたいと思ったからです。明確にやりたいことはありませんでしたが、問題解決ができるスキルセットを持ってから社会に出たいと思ったので、政策科学部に入りました。

結果的に、幅広い学びを得ることができたのでよかったです。自転車の放置問題、外国人労働者の問題などの「課題」を解決するために、何が必要なのか現状を調査して政策を考えました。フィールドワークや、アンケートをとりながら答えを生み出すことがおもしろかったです。

現実世界の問題に、感覚的な部分と数字的な統計どちらからもアプローチをして、考えることが自分に合っていました。

ー大学2年生の時に大きなターニングポイントがあったとお伺いしました。

自転車でアルバイトに向かう途中に、崖から自転車ごと落ちてしまい、複数箇所を骨折して4ヵ月入院しました。落ちたときは、正直「もう死んだ」と思いましたね。夏休みに入る直前だったこともあり、大学の単位は取れず、夏休みの計画はすべてパーになってしまって。「この先どうなるんだろう……俺のエンジョイ大学生活は終わった……」と少し自暴自棄になりました。

しかし入院生活がはじまるとベッドでじっとしていられず、車椅子で病院を回遊していました。一日3人は初対面の方と話しましたね。当時の自分より年上の方が多く、後悔していることや一番楽しかったことなどのエピソードや人生観をたくさん吸収することができました。

印象に残っている言葉は「人生は一回しかないからな」です。この言葉は、入院中に耳にタコができるほど聞き、人生の先輩方から激励を受けました。

入院生活を経て「やりたいことは頭で考えているだけではダメなんだ」「恥ずかしくても行動に移さないといけないんだ」と少しずつ自分の価値観が変わり始めたんです。

ー行動をしたことで、新たな価値観を見出されたんですね。

考え方は変わりましたが、まだ具体的にやりたいことは決まっていませんでした。そんなときに看護師さんが「地球の歩き方」というガイド本を持ってきてくれたんです。

今まで海外旅行に行くためには、どこへ行くにも100万円はないと行けないと漠然と思っていましたが、本を読み30−50万あれば渡航ができる国があることを知り、世界を今まで以上に身近に感じるきっかけになりました。

同時に病院で長く他人と共同生活をしたこともあり、人のリアルな生活に興味を持ち始めていたんです。「海外はどんな生活スタイルなんだ?」「暮らすように旅してみたいな」と世界を巡ってみたいという思いが湧きました。

退院してからすぐに、TABIPPOが主催している「世界一周の夢を叶えるコンテストDREAM」に参加。このコンテストは、世界一周をしたい学生が集まり、自分が世界一周でやりたいことをプレゼンして、一番賛同を得られた1人だけが世界一周航空券をもらえるというものです。

結果、500人中20人までは残りましたが優勝を逃し、世界一周の夢は途絶えました。

コンテストが終わり就職も考えましたが、世界一周の夢を諦めきれず、大学を休学することを決意し、やりたいことを実現するために大きな一歩を踏み出します。