ウルトラマンのような「希望の光」になりたい|トライアスロン日本代表・松井一矢

献血と骨髄バンクに登録。アスリートを続けながらドナーを提供

ー高校を卒業し、就職した松井さんは骨髄バンクのドナー提供を26歳でされています。献血や骨髄バンクを始めるきっかけはありましたか。

献血は高校2年生から続けています。親から「高校生なったら献血行くのは当たり前のこと」と学び、献血ルームに足を運びました。しかし、当時、若者が献血ルームに行っていないことに気付き、問題意識を持ちました。「自分がたくさん献血したら時代は変わるかな」と期待感を持ち、献血100回以上を目指し始めたのがきっかけです。

骨髄バンクのドナーに登録したのは、21歳のある日、献血ルームに足を運んだときに骨髄バンク説明員の方がボランティア活動をされている日と重なり「献血の検査時に2mlの血液を提供すれば骨髄バンクに登録できる」と説明を聞き、「そんなに簡単に登録できるなら今すぐします」と答え、登録したことが始まりです。

ー献血や骨髄バンクを続ける中で起きた変化などはありますか。

骨髄バンクに登録した直後、HLA型が適合したと連絡が届いたことには驚きました。適合確率が低い中で自分を待っている患者さんが居たことを知り、「もっと早く登録しておけば良かった」と思いましたが、提供には至りませんでした。

この経験から骨髄バンクのことを伝え、広める活動をしようと考える中で、全国各地のマラソン大会にタスキをつけて出場するコミュニティー「骨髄バンクランナーズ」と出逢い、活動を始めました。自分の走りで献血・骨髄バンクを伝え、広められる喜びと切実さを胸に抱きます。

25歳になり、献血回数が累計100回に到達した年に、トライアスロンの日本代表選手に。骨髄バンクランナーズで活動を続けていた26歳の時に、2回目の骨髄バンクのドナー適合通知が届きました。コロナ禍ではありましたが、なんとかコーディーネートが進み、無事提供まで至りました。

ー骨髄バンクという言葉は聞いたことはあるのですが詳しくなく。HLA型など詳しく教えていただけますか。

骨髄バンクはHLA型という白血球の血液型であり、基本的には完全一致しないと提供できないという決まりがあります。免疫細胞の関係で、自分の体液とは異なる他人の体液を受け取ると拒絶反応が起きます。このHLA型の適合する確率は、兄弟間で4分の1、祖父母で16分の1、親戚一同を回っても適合者が見つからないことが多々あり、家族以外(非血縁間)における適合確率というのは、数十万から数百万分の1とも言われています。

個人・家族、友人だけで適合者を探すことは極めて困難になるため、骨髄バンクが集約をして、HLA型の登録管理を行っています。適合確率は低いため、骨髄バンクにドナー登録(HLA型の登録)をした人たち全員が提供するというものではないです。

登録者数は全国で現在54万人(2023年9月現在)。登録できる年齢にも制約があり18歳から54歳まで。55歳の誕生日を迎えると卒業になります。ちなみに骨髄バンクを介してドナー提供できる年齢は20歳から55歳までです。

ーアスリートをしながら献血や骨髄バンクの提供をするのはハードルが高いと感じました。松井さんが続ける理由を伺ってもいいですか。

骨髄バンクのドナー適合通知が届いたということは、数十万から数百万分の1の確率で適合したことを意味します。

僕じゃないと助けられない人がいる。この肉体が健康であるから人の命を救える

こんなに嬉しくて素晴らしいことはないと考え、少しでも健康を世の中に還元しようと提供を続けています。

ウルトラマンのような「希望の光」になれるように心を磨いていく

ー社会人になって神戸マラソンに出場したそうですね。マラソン大会出場がランニングを続けるきっかけになったのですか。

社会人になってからは走ることを引退し、卓球部に入っていました。入部して半年が経ったころ、神戸マラソンに当選し、再び走り始めました。出場したところ、奇跡的に年代別で優勝。これがきっかけとなりランニングを再開。

おかげさまで、21歳でランニングチームを創設することにも繋がり、2023年で9年目になりました。数多くの仲間たちと出会う機会にもなり、再び走り始めて本当に良かったと思います。

ーランニングチームでの活動はどうでしたか。

チームのメンバー一人ひとりが本心で関わり、みんなが元気になるコミュニティを作りたいと願い運営をしています。しかし、創設してしばらくは、自分自身がコーチとして未熟で指導できず、コーチを雇ったり、会費制のコミュニティになったり、試行錯誤してきました。コロナ禍を経て、2022年4月に、会費制をやめてボランティア団体としてランニングチームを再始動。

チームメンバーに「一緒にチャレンジして、一緒に成長を目指し、プロセスを共有しながら、本当の絆を育むランニングチームを作ろう」と伝え続けた結果、再始動直後は30名程だったチームは、1年間で150名を超える大きなランニングチームになりました。

ー松井さんの今後の展望を教えてください。

僕にできることを一つひとつ積み重ねていきたいです。僕個人としてはウルトラマンのような「希望の光」になれるように心を磨いていきたいと思います。

ー最後に、記事を読んでいる方に向けたメッセージをお願いします

僕が10代、20代だったとき、夢や憧れを持ってチャレンジしていませんでした。本当に20歳を超えるまで夢や、やりたいことがなくて、流されるままに生きていました。

夢はいつか見つかります。憧れを1つ持って挑んでほしいです。

皆さんの10代、20代は貴重な時間で、大変なときもあると思います。自分の知らない世界に興味を持ち、一歩踏み出す勇気を持って一緒に成長しましょう

ーさまざまな経験をして、チャレンジしている松井さんだからこそ響いた言葉だと思いました。本日はありがとうございました!松井さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:戸田光(Twitter
執筆:Kumi(Twitter
編集者:松村彪吾(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter