様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。
第941回目となる今回は、フォトグラファー・川原涼太郎さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
フォトグラファーを軸に挑戦者を支える黒子として、社会に広げるサポートをしている川原涼太郎さん。これまでの人生の転機と大切にしている価値観についてお話を伺ってきました。
挑戦者を支える黒子としてサポート
ー自己紹介をお願いします。
茨城県出身の川原涼太郎と申します。大学時代は機械工学や図書館情報学を学び、2018年にフォトグラファーとして開業しました。
現在の仕事はフォトグラファーだけではなく、スタートアップ支援や地域ビジネスのコミュニティ作り、茨城県内や東京都を中心に年間170本ほどのイベントや企画運営に携わっています。
そのほか、芸術系学生のキャリア支援や宇宙スタートアップの広報、ラジオディレクターなど挑戦者を支える黒子として、社会に広げるサポートをしています。
ー川原さんは多様なお仕事をしています。多様性は川原さんの中でなにか軸があるのでしょうか?
「こんな仕事を、このような条件でしよう」などといった制限は特にかけていません。もともと趣味が多く、知的好奇心が強いほうだと思っており、それが様々な仕事に繋がっていると思います。
もっぱら誰かからお声がけいただくことが多かったので、自身のキャパシティと相談しながらも、とても多くのことに関わらせていただきました。
興味のあるものに取り組んでいると、気づいたときには仕事になっていることが多いです。
ー川原さんが黒子として徹するときに、何か意識していることはありますか?
仕事に取り組んでいる相手が一番輝くにはどうすればよいのかを、相手視点に立って考えています。なにかに真剣に取り組んでいる方がいてはじめて黒子としてサポートさせてもらえるので、相手へのリスペクトは本当に大事だと捉えています。
仕事で写真を撮るときも、自分がしたいことより「相手をどう輝かせるか」を意識してきました。それは僕のすべての仕事に共通していることだと思います。
「街」に目が向いた東日本大震災
ー幼少期はどのように過ごしていましたか?
飛行機やロケットが好きな少年でした。本を読むことも好きで、小学生のときは読書記録で県知事賞をもらったことがあります。
中学生のときは所属していた科学部での活動をきっかけにカメラを買い、宇宙の写真をよく撮っていました。
ー14歳のときに転機があったとお聞きしました。何があったのでしょうか?
14歳のときに東日本大震災が起こりました。茨城県常総市で生まれ育ったのですが、通っていた中学校と宮城県石巻市の中学校が被災地支援の活動で繋がったことをきっかけに、現地を実際に訪ねて調査学習をする活動が始まったのです。
参加を希望して手を挙げた僕は「復旧・復興計画」のテーマに興味を持ちました。当時中学2年生の僕には、存在があたりまえだった街がなくなることの意味を震災で初めて痛感しました。
たくさんの人が住んでいた街がなくなり「これから新しい街を作ることはとてつもないことだ」と衝撃を受けたのです。調査学習ではどのように石巻市を新しく作っていくか、そのために何をする必要があるのか、10年後にどんな日本や未来をつくるのかを調べました。
現在の仕事につながる地域やコミュニティ、街づくりの領域に興味を持ったきっかけが、東日本大震災の調査学習でした。
ー調査学習に参加したいと手を挙げたのは、川原さんの中で何かピンときたものがあったのでしょうか?
当時からイベントや課外プログラムなどに参加するのが好きでした。震災をきっかけにした一連の動きは日本にとって非常に大きなインシデントで、何らかの形できっかけを掴み参加せずにはいられないと思う気持ちがあったのです。
「自分のやりたいことをやればいい」と確信した
ー大学受験ではどのように過ごされましたか?
東北大学の航空宇宙工学科に進みたいと思っていましたが、受験期に親が体調を崩してしまい、受験どころではなくなってしまって。
そのときに茨城県にある実家の近くにいようと思い、茨城大学の工学部に進学しました。
ーカメラマンを始めたのはいつからでしょうか?
高校では写真部にも所属し、大学進学後はさまざまなイベントに参加するなかでせっかくだからといつもカメラを持ち歩いていました。
大学2年生のあるときに「この日イベントがあるんだけど5000円で写真を撮ってくれないか」と初めてお金をいただいて。それがフォトグラファーとして動き出した瞬間でした。
ー地方ビジネスのイベントでカメラを撮っているときに転機があったとお聞きしました。何があったのでしょうか?
当時大学生の僕は地域ビジネスやイベントによく参加していました。
ある地方ビジネスに関するイベントでカメラマンをしていたときに、登壇者が「今ここにきて話を聞いてる人たちたくさんいるけれど、どうせやらないんでしょ?」と言った言葉がすごく悔しくて。
この一言で今まで頭の中で考えていたことやできないと思っていたことも、まずはやってみないと何も意味がないことに気づかされました。
「余計な制限は取っ払って、自分がやりたいことをわがままに叶える。それでいいんだ」と確信した瞬間でした。