どんな時も、最高の乾杯ができる人生を送りたい。HRコンサル、酒屋、父親と3足のわらじをはく青木佑介の生き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第889回目となる今回は、HR外部コンサルで酒屋、父親の青木佑介(あおき・ゆうすけ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

HR外部コンサルと酒屋、父親の3足のわらじをはいている青木さん。実家の酒屋でのエピソードや世界一周中の印象的なエピソードなどをお聞きしました。

実家の酒屋が、僕のアイデンティティ。

ー簡単に自己紹介をお願いします。

青木佑介と申します。株式会社リクルートでHR外部コンサル(リクルーター)として働き、土日は実家の酒屋を手伝っています。また、3歳になる子どもの父親をしています。

ー実家が酒屋ということですが、昔からあるお店ですか。

三重県伊勢市に大正14年より続く「酒のあおき」という小売の酒屋です。和製ミスタービーンと言われるド天然の父親と地域の肝っ玉母ちゃん的存在の母親が営む酒屋は、ハブの様な場所でした。

伊勢の地を訪れる旅人をはじめ、国会に出ている偉い先生や、朝からワンカップ片手に話しかけてくる陽気なおじちゃんなど、たくさんの人が集う家でした。

起きて家に知らない人がいることが当たり前の中で育ちました(笑)。

ーさまざまな人が集まる環境で育って、小さいながらに得たものはありますか。

世の中には色々な人がいて、その人と人が出会って、新しい何かが生まれることは面白い、と幼心ながら感じていました。

ー幼い頃、サッカーをやっていたそうですね。詳しく聞いてもいいですか

小学校に入学する前にサッカーと出会い、気がつくと夢中に。中学では、チームメンバーに日本代表がいるクラブチームに入っていました。好きなものを見つけると周りが見えなくなり、無我夢中に取り組む性格は、この頃に形成された気がします。

ー日本代表に入るメンバーのいるチームでの印象的なエピソードはありますか。

入団した直後に出た試合で、腕の骨:橈骨・尺骨(とうこつ・しゃっこつ)を複雑骨折し、全治2ヵ月の怪我をしました。その後、怪我が治って出場した復帰戦で再び同じ骨を折ってしまいます。結果、全治半年の大怪我になりました。

3年あるクラブ生活で、最初の半年を棒に振るのは選手として絶望的でした。

2度目の骨折の診断を受けた夜、母親に泣きながら「サッカーができないなら、腕を切断してくれ」と頼んだことを鮮明に覚えています。

今考えると笑い話ですが、当時はサッカーに命をかけていました。自分で決めた道だったので、自分に負けることが嫌だったんだと思います。

ー高校卒業後、大学に進学されるまでのお話を伺ってもいいですか。

当時、高校が大嫌いで、学校に行かない日もありました。ただ、友達は大好きだったので、たまに会いにいく感覚で高校に行っていました(笑)。

地方の進学校で、入学するなりいきなり「国公立が正義だ」と言われたことにとても大きな違和感を感じていたんです。

どうして、一度しかない人生を自分のことを知らない学校の先生が勝手に決めるのか意味が分かりませんでした

普段の授業にほぼ参加していなかったため、一浪しました。

ー浪人生活ではどんな生活を送っていましたか。

浪人した理由を「勉強していないからだ、学校に逆らったからだ」と言われることが悔しく、当時は狂気じみたように勉強していました。

当時、人生でやりたいことがわからなかった自分は、日本で一番多くの学問と面白い人に出会えそうな慶應義塾大学総合政策学部(SFC)を目指します。

学内初のチャリティーワイン試飲会を開催

ー慶応SFCといえば、いろいろな活動をしている人が多いイメージです。青木さんも何か活動していましたか。

大学時代は、心の赴くままに活動していました。SFCで初めてお酒を飲む公式イベントを主催したことは、今でも印象に残っています。

ある日、美味しいワインが飲みたくなったのですが、お金が無くて。どうしたらいいのか迷っていた時に、実家でラベルが剥げたり、傷ついたりしたワインが余っていたことを思い出したのです。

実家で余っているのだから、世界中にあるだろうなと。同時に、友達が熊本震災で被災して、できることを考えていたタイミングでした。

たくさんの人に手伝ってもらい、世界中の余ったワインを各地から約150本集め、美味しいお酒が飲みたい学生を集めました。また、学部長に「世界中のワインが飲めるんですよ、あくまで試飲です、やってみましょうよ、SFCじゃないですか!」と企画を提案し、「ワインのチャリティー試飲会」を開催することになりました。

SFCで公式にアルコールを出すイベントは初だったとか。集めた参加費全額を熊本地震に寄付しました。

ー他に、コーチングもされていたとか。

大学の講義で学んだコーチングを実践する団体を先輩と立ち上げ、 SFC生向けに、ライフコーチングを提供していました。

世間から見ると、SFCはいろいろなことをしている人が多い大学だと思うのです。

しかし、入学してみると「何をして良いかわからない」と悩んでいる人が多かったのです。そんな周りの学生に何かできないかと始めた活動です。

学問的にどういう質問をすれば内省が促されるかを、体験と座学を通して学びました。学生団体のメンバーで合計約100人、合計1000時間ほど、対話をしました。コーチングを受けてくれる方が、自分でも知らない自分に出会っていく瞬間に立ち会えたことは、とても貴重な体験でした。