様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第936回目となる今回は、マネージャー 澤田拓真さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
コーチングを基礎としたスタートアップ・ベンチャー企業への転職支援業をしている澤田さん。7月からは福岡拠点立上責任者として、新規拠点の立ち上げにも挑戦する予定です。そんな澤田さんの価値観を形作った原体験を伺いました。
海外で過ごした幼少期。自己表現と行動の大切さを学ぶ
ー最初に自己紹介をお願いします!
澤田拓真です。HR領域でサービス展開をしている株式会社BOXに就業しています。株式会社BOXは採用の文脈で、企業をサポートする会社です。現在はマネージャーとして、事業・チーム運営に携わっています。
メンバー一人ひとりの多様性や、やりたいことに向き合いながら、メンバーの人生と会社の歩みがしっかり重なる機会を生み出すことを大切にしています。
ー幼少期はどのような子どもでしたか?
周りの視線をよく気にする子どもでした。親、先生、クラスメイトが「今、どう思っているんだろう」「何を感じているんだろう」ということは常に気にしていました。
理由は、幼少期に親の仕事の都合で転勤することが多かったからだと思います。数年に1回は転勤があり、環境が変わる生活を送っていました。引っ越した場所は日本国内だけではなく、シンガポール、ベルギーなど様々な国で過ごしました。
ー小学時代は主にシンガポールで過ごしたと伺いました。印象的な思い出はありますか?
シンガポールでテニスを習っていた頃、スポーツを通じて国民性の特徴を実感したことがあります。シンガポールは多国籍国家で、日本、中国、韓国、インドなど、さまざまな国の人・文化から成り立っています。
テニスをした時に、例えば日本の子どもは審判の言うことは絶対と捉えているけれど、中国の子どもは小さいながらに自己主張ができる。インドの子どもは試合時間ちょうどに会場に来ないことも……。
さまざま国の人と触れ合うことで「自分の考えや自分の文化を表現してもいい。それこそ健全な姿なんだ」と感じるようになりました。
ーその他の思い出や、感じたことはありますか?
海外に住んだことで、日本がさらに好きになりました。日本食の美味しさに気づいたり、日本人同士でチームを組んでスポーツをした時は、日本の文化や考え方がいいなと感じたり。日本に対して誇らしさを感じていました。海外にいた経験があったからこそ、日本の良さに気づけたのだと思います。
ー海外から日本に戻った時に、苦労したことはありますか?
人間関係の築き方に窮屈さを感じたことを覚えています。日本では、仲の良い友人が集まってグループを作っています。シンガポールにいた頃は、言語や年齢も関係なく遊んでいたので……。
ギャップを感じていましたが、グループ関係なく遊びたい友人には、自分から声をかけたり、自分の思いを説明したりすれば、受け入れてもらえました。「自分次第のアクションで克服できる」と行動する大切さを感じました。
ーその後また、海外に住むことになったそうですね。
ベルギーに住むことになりました。シンガポールと違って、欧米では日本製品や日本食は少ない環境でした。日本はまだまだ頑張れる国だなと感じたのと同時に、将来は日本が良くなることや、世界に日本をもっと強く認知してもらうことに携われたらいいな、とぼんやり感じていたことを覚えています。
ボランティアで学んだ「恩送り」が大切な価値観に!
ー高校時代以降は、日本に帰国されたと伺いました。高校時代に印象的だった出来事はありますか?
ボランティア活動です。日本に帰国する1週間前、東日本大震災がありました。その時私はベルギーにいました。しかし当時ニュースで流れていた映像は鮮明に覚えていますし、同じ日本人として苦しみを分かつ経験が出来ていないことに、コンプレックスを感じていました。
そんな思いがずっとあった中、高校3年生の時に、学校主催で東日本へのボランティア活動を実施することになり、参加を決めました。現地にいる方の思いを聞かせていただいたり、何が起こったのかを身近に感じさせていただく機会となりました。
また「恩送り」という考え方を教えてもらいました。高校生なりに精一杯できることをした私たちに対して、現地の人が「みなさんへの感謝を今ここで返すのは簡単。そうではなく、明日私たちが恩を違う人に届けることで、恩が巡り巡って、もっと大きくなってみなさんに帰ってくる」と言ってくれたのです。とても素晴らしい考え方だと感じました。
ー「恩送り」という考えを体現した経験があると伺いました。
大学時代に立ち上げたフラッシュモブサークルは、ボランティアで学んだ「恩送り」がきっかけになっています。「恩送り」の考え方を教えてもらってから、自分たちの元気やエネルギーを誰かの笑顔やポジティブな気持ちに転換したいと思うようになりました。
ちょうど当時、フラッシュモブが流行っていたのですが、パフォーマンスを届けた相手だけでなく、たまたま通りかかった人たちも笑顔にできます。恩送りに近い活動ができると思い、一緒にボランティアに行った友人らと、団体の立ち上げ・運営をすることにしました。
この思いは団体の理念として浸透していて、引き継いだ後輩からも「フラッシュモブはツールで、「誰かの幸せのお手伝い」をしたいという思いに共感した人がメンバーとして集まっている」と聞いています。未だに自分が大切にしていた思いが文化として、大切に継承されていることをありがたく思っています。