どんな形でも、家族は家族。フォトグラファー天草晴菜が写真で伝えたいメッセージ

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第48回目のゲストは、家族写真などを撮影するフォトグラファー・天草晴菜(あまくさ はるな)さんです。

高校生の時、偶然出会ったとある写真をきっかけに日本大学芸術学部を目指し、卒業後は株式会社クッポグラフィーのフォトグラファー兼店長として活躍する天草さん。彼女を変えた家族とフォトスタジオという存在について迫ってみます。

写真は、自分の伝えたい感情を表現する手段になると気づいた高校時代

ーフォトグラファーというお仕事や、写真の道を志すキッカケは何があったのでしょうか?

高校1年生の頃、昔から絵を書くのが好きだったので美術の先生に進路相談をしたところ、日本大学芸術学部のオープンキャンパスを紹介してくれたんです。このオープンキャンパスに行ったことがきっかけで写真学科に出会い、展示を見て「写真がやりたい!」と志すようになりました。

また、どんなフォトグラファーになろうかなと色々な方にお会いしたりする中で「クッポグラフィー」のスタイルや撮影する写真が好きで、これだ!とビビッと来たんです。

ー「写真だ!」と思った一番のキッカケは?

当初は、写真=ワイワイ撮る記念写真というイメージしかありませんでした。たまたま、展示されたカンボジアの子供たちの写真を見た時に、「こんなにも人の感情を残し、伝達する手段があるんだ…」と思ったのが大きかったですね。そこから、私が残したいのは”泣けるような感動”だと思ったんです。それを伝える手段はこれだ!と感じたのが写真でした。

ー大学入学後は、どのような学生生活だったのでしょう?

憧れだった日芸の写真学科に入学が決まり、非常に幸せでした。でも入学後はあまりにもこれまでと違う環境で「挫折」をしたんです。

同級生は輝かしい功績を持っている人ばかりで、最初から評価されるメンバーも決まっていて悔しかった。それでも、私は努力で負けない!と思い自分にできることを考えてグループ展示なども挑戦しました。周りも、自分が好きなことを続けてきているメンバーが多かったので、これまでにない出会いも多く、刺激しあえる友人達に出会えました。挫折していながらも、大学生活は非常に楽しかったですね。

 

家族を愛せなかった自分を変えた転機は、17歳下の「妹」の写真だった

ー大学時代、大きな転機として「妹さん」の存在があったということなのですが、聞いてもいいですか?

そうですね。私の人生を語る上で欠かせないエピソードなのが、家族のことです。

母は20歳で私を生み、離婚を経て再婚しました。私が高校生で部活や進路のことでちょうど悩んでいた時期に、新しい家族が増えました。知らない他人が急に現れたという感覚に戸惑い、悩み、1人で抱えていました。子供が出来たと聞いたときには「もう自分の家庭ではない」と思いました。

妹が生まれてから3年くらいは、家庭内で引きこもり、子供を可愛がったり再婚相手の方とも関わることがありませんでした。そんなときに、憧れだったクッポグラフィーで、子供がいる家族向けのフォトスタジオが出来ると聞きました。それをキッカケに、撮影に行ってみよう!と言い出しました。それ以降、頑なに拒絶していた妹をテーマに撮ってみよう!と思えたんです。勇気を出して、撮影をはじめました。

妹と、再婚相手の方、母親…家族の姿を追っていくうちに、妹がだんだん心を開いてくれました。写真を通じて、妹が笑いかけてくれるようになったんです。これまで拒絶していたけれど、自分が無意識に敵対していただけなんだ…誰も悪くないんだな…と考えが変わっていきました。それを大学の展示会で、表に出してみようと「わたしの妹」という作品にしました。

ーそうやって「自己開示」の方法を選んだんですね。

そうですね、身近な人にも言ったことのない感情をあえて展示という形で出しました。教授の後押しもあって展示をしたところ、お客様からの反響も大きく、数ある出展者の中で受賞することが出来ました!

展示ブースに置いていた感想ノートには「感動しました」「泣きました」という言葉が書いてあり、ジーンと来ました。無名のただの学生の写真に感動してくれた人がいる。これが高校生のときに感じた、写真を通じたメッセージだ!と思えたので、それから自分の感情や考えていることを写真を介して出していこう!という気持ちが強くなったんです。

ーそれをキッカケに家族の関係性も変わったんですね。

写真があったからこそ、コミュニケーションが生まれ、愛情が生まれました。私の人生も、家族の人生も大きく変わったキッカケになったんだと思います。今では妹ともすっかり打ち解け、笑顔で過ごせるようになりました。

 

憧れと現実は違うことを知った。辛い時を乗り越えられた原動力とは?

ークッポグラフィーは学生時代から参画したということなのですが、そのキッカケは?

19歳くらいのときにクッポグラフィーに出会って、感情が高ぶりすぎて社長の久保にすごい長文のメッセージを送りつけたんです。そしたら事務所に呼んでくださって。私の写真も見てくださって。いつか働かせてほしい!とお伝えして、その時は帰りました。

数年後、就活を始めたのをキッカケに改めてメッセージを送ったところ、また会ってくださったので、そこで働きたいです!という意思を伝えました。はじめはフォトスタジオのアルバイトとして採用していただき、いつかはウェディングフォトを撮りたい…と思っていたのですが、今でもそのフォトスタジオにいて、今では店長をしています(笑)

ー他のキャリアや選択肢があった中で、そこまでクッポグラフィーにこだわった一番の要素は?

クッポグラフィーの社長である久保の撮影する写真は何度見ても泣けるんです。

もともと紛争地で活躍していた久保が撮影したウェディングフォトは、どこか強いメッセージが込められているような気がして、ただきれいな写真ではない何かが感じられたんですよね。それを目指したいと思っていました。

ー憧れと異なる現実を感じたことあると思います…入社後のギャップはありましたか?

そもそも、社長の久保がスタジオには居なかった…というのがギャップでしたね。(笑)

一方フォトスタジオは、メンバーそれぞれがお客様を思いやり、カッコつけないで残したい写真を残すのがモットー。ルールやテンプレートのないフォトスタジオなので、飽きない写真・いろんな個性を表現出来る写真が撮れたことはギャップではなかったです!

アルバイトをしていた時から、撮影の仕方に関してその場で見て学ぶスタンスが肌に合っていたと思います。

ーそこまで「自分ごと化」して頑張れる原動力は?

たとえ仕事で上手くいかないことがあっても、お客様のために頑張ること・成長することが、自分に出来る唯一のことだ!と思っていました。

まずは自分を認めてもらおう!と努力できたのが大きかったです。次第に認められ、今では店長を受け継ぎました。元店長だった方は沖縄店をオープンして離れてしまったのですが、今では自分の一番の理解者となっています。

 

写真を喜んでもらうのは当たり前!お客様の期待を超えて初めて「かけがえのない思い出」になる。

ーご自身が成長するために、何を強く意識していたのか教えて下さい。

お客様の1回の撮影で、1回は”挑戦”することを自分に課していました!その挑戦を喜んでもらえた瞬間に、また1つ成長したなと感じたんです。

スタジオに来てくれるお客様はクッポグラフィーの写真が好きで来てくれているので、喜んでいただけるのは当然のこと。その上で自分が挑戦することで更に喜んでもらいたい!期待を超えたい!と、お客様の涙や笑顔のために考え、努力できたのが大きかったですね。

ーすごく素敵なエピソードですね!具体的にどんなことに挑戦していましたか?

大学の時に学んだ撮影技法などを活かし、家族写真をあえて下からの構図で撮影してみたりとか。ただ正面で撮影するだけではない色々な視点や手法を取り入れました。また、走っている子を撮るために自分も一緒に走ってみたり。

毎回「こういう撮影方法もあるんだ!」と発見もあるし、「これじゃ納品出来ないから再撮影しなきゃ…」と失敗したこともあります。それくらい攻めた挑戦をしていました。

ーご自身で考えた企画の中で覚えているもの、何か1つ教えて下さい!

七五三フォトでは、着物を着用する子が多いのですが嫌がって着ない子もいますし、泣いてしまう子も多数います。私達は、そんな子が泣いているところから、お母さんの困り顔なども1つの家族のストーリーとして撮影し続け、形にしていきました。過程も残すことが、個性を撮影することに繋がっていると思います。その影響か客層もガラッと変わり、お店は順調に成長中です。

ー入社してから5年目。一番印象的だった出来事はありますか?

「きほのちゃん」という女の子との出会いですね。

きほのちゃんは先天性の疾患を持っている子で、3歳の七五三撮影で初めて来てくれました。その時、ママさんから事前にいただいた相談メッセージには「うちの子は座ることも出来ないし、寝ていることしか出来ない。それでも撮影出来ますか?大丈夫ですか?」と不安な思いがたくさん書かれていました。

その時、「必ず素敵に、どんな形でも撮影します!」と返答し、来店いただきました。その子が生まれてきたことへの感謝、家族が愛しているということ、その子が生きている証を残すことが私達の使命だと感じました。撮影後は非常に喜んでくださいました。

それからしばらく経って、きほのちゃんは誕生日に入院してしまいました。入院中の病院で撮影の依頼が来た時、出張撮影に駆けつけました。許された撮影時間は短くても、できるだけ良い写真を残そうと撮影を引き受けました。撮影後に、ご家族から「あなたはもう家族の一員です。ありがとう!」という言葉をいただいて本当に嬉しかったですね。今後もこの家族の未来を見守ろうと決めました。

きほのちゃんの撮影の様子を店長ブログで配信し、どんな家族のカタチでも歓迎して撮影するというメッセージを発信した結果、すごく反響がありました。「私達もフォトスタジオに行っても良いんだ…」と病気や障がいのあるお子様のいる家族が来店してくれる出来事になりました。私は、このためにフォトグラファーになったんだなって思っています。

ーついウルッと来てしまいました。そんな天草さんの、今後のキャリアは?

今は「見たことがない写真を撮りたい」、「自分の限界を超えたい」と感じて毎日撮影に奮闘しています。フォトグラファーとして独立などはまだ考えていないのですが、きほのちゃんとの出会いで「本当は写真を残したいと思っている家族が、フォトスタジオには来れない」と気づいたんです。もっと気軽に、本当は必要としている方々が写真を残したいと思えるような働きかけを続けたいです。

「どんな形でも、家族は家族。」病気でも、シングルマザーでも、完成された家族じゃなくても良いんです。私もそうだったから。フォトグラファーとして、フォトスタジオとして、色々な家族に愛される存在になりたいです。

 

取材:西村創一朗
写真:山崎貴大
デザイン:矢野拓実
文:Moe