日本と中国、二カ国でのマイノリティを力に変え、起業のアクセルを踏んだ、株式会社Lincの仲思遥さん。

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第104回目のゲストは株式会社Lincの仲思遥さんです。

日本、中国で学校に通学し、秀逸な仲間に囲まれて自分の輝けるポジションを意識しながらも、小さな努力を絶えず惜しまずに取り組んでいました。

残業だけで月平均200時間を仕事に打ち込んだ仲さん。大手投資銀行から独立を決めた背景には、ビジョンの不一致の経験と、外国人として自身がこれまで感じていた課題がありました。

優秀層の外国人に日本での就労機会を与えるというひらめきの背景

ー株式会社Lincを創業し、経営されてらっしゃる。簡単に略歴も含めて、お仕事の紹介と自己紹介をお願い致します。

6歳で初めて日本に来ました。当時、僕の父親が中国の会社を辞めて日本に留学に来ました。福岡で小学校卒業まで住んでました。その後、父親の仕事の都合で、中学校から中国に戻りました。大連に移住し、インターナショナルスクールに通い始めました。高校卒業まで、中国にいました。高校卒業し、僕の友達たちは欧米の大学に進学しました。

自分の強みを生かしたかった。今欧米に行っても自分のポジショニング的にあんまりおいしくないと考えました。日本も好きでした。したがって、日本の大学に進学しました。大学を卒業し、野村証券会社に入りました。投資銀行業務に 3 年間ほど従事しました。IT系企業向けの M&A・資金調達を担当しました。主にIPOが中心でした。当時リクルートのIPOの主幹事証券を野村が務めました。僕のチームが担当しました。

リクルートのビジネスモデルを色んな方向から見て、面白いなと思いました。 リクルートは情報の格差といった「負」がある産業において事業者と一般消費者を結びつけます。ビジネス手法が、面白いなと思いました。一方で過去の経験を振り返ると、一外国人として使いづらいなぁと、感じる部分もありました。就職活動でリクナビに登録しましたが、ほとんど使いませんでした。

ふと、外国人が使いやすいライフイベントサービスを作れないかと思いました。日本は少子高齢化で、深刻な人手不足です。生産性を保つためにも今後特に優秀層の外国人が増えると予想しています。日本に外国人が増えて来る将来に備えて、サポートできるインフラを今から整えたい、外国人材版のリクルートを目指すべく、3 年間働いた後に会社を退職し、現在の株式会社Lincを作りました。

ー起業自体は、昔からやりたいと考えてた?

僕が就職活動をしたのは、2012年から2013年の間です。中国では起業が爆発的に増えました。例えば、タクシー会社「ディーディー」さん、TikTokを運営するバイトダンスさん等。どういう会社が出て、何が成功したのかに興味がありました。しかし、自分が大学卒業しすぐに起業しても、武器がないと気づきました。

自分は起業したいのか、何をやるかを含めて少し修行したい気持ちが強かったです。修行なら少なくとも、経営者に会える環境に行きたいと思いました。投資銀行かコンサルが選択肢に上がりました。専門的な知識を身に付けたい。投資銀行を受け、ITのセクターに行きたいと伝えていました。無事通りました。様々な規模の企業のIPOやM&Aに携われました。色んな案件を通して、経営者の思考や意思決定の仕方等を学びました。 最後は1 ヶ月以内にすぱっと辞めて、起業しました。

ー事業は、学習支援事業のLinc Studyと、キャリアマッチングサービスのLinc Career。 2 つをやろうと思ったのはなぜですか?

Linc Studyの方から申し上げます。僕は日本に留学していました。僕の父親も 30 年前に一回日本に留学しましたが、 30 年前と現在で変化はありません。

学生たちは高校を卒業したら、エージェントや仲介業者に頼り、語学学校に入ります。しかし、語学学校の差別化はあまりありません。2 年間の学習期間で、基礎的な日本語は学べますが、進学の対策はほとんど独学で行いました。

大学進学は、留学生版のセンター試験があります。物理、化学、数学、数Ⅱ・数Ⅲをはじめ、受験科目を語学学校のみで勉強することができなかったため、当時は不便だと感じました。僕自身福岡の語学学校に通いながら、独学で受験科目を勉強しました。とても大変でした。だったら、支援できる環境を作りたい。Linc Studyは、日本に渡航する前から利用でき、進学に必要な情報や学習を一気通貫でオンライン上より提供できます。

また、中国では受験競争が世界トップレベルで激しい。近年は競争に揉まれるより早い段階から留学にしたい人が多くなりましたが、進学の準備ができる仕組みが中々ありませんでした。

中華圏で日本語を学ぶ方は115万人程います。Lincは来日前の留学生や全国で800校ある語学学校向けにLinc Studyを提供します。またLincは、進学のみではなく、生活面に関しても様々な企業と提携し、留学生にとって必要な情報やサービスを提供してます。

Linc Careerは学生と社会人が対象です。これまで多くの1、2年間働き離職した若手社会人を見てきました。求職者と企業のミスマッチは頻繁に起きてます。Linc Careerは「インバウンドタレント(外国人材)の可能性を再定義する」ことをミッションにマッチングのみならず、自己理解やスキルアップワークショップ、そしてコミュニティを提供してます。

Linc Careerをやり始めた理由も、自分より優秀な方が軒並み就職活動に苦労されていることを知ったからです。特に僕が就職活動してた2012、13年は氷河期でした。優秀なのに日本に残れなかった友人を何人もみました。。日本の就職活動はすごく特殊です。例えば、セミナーが参加自由なのに出席をとったり。キャリアカフェと言いながら、カフェでは全然無くて、面接だったり。外国人の方からしたら、「Why japanese people?」って感じです。

また、なんとなくみんなが就職するから就職するのではなく、自分が何をやりたいのかを知ることがとても大切です。Linc Careerを通じて私たちはより多様性と包容力あふれる社会を実現したいと思います。

日本でも、中国でもマイノリティだったので、自力で語学を克服した努力

ー「日本に来て良かったを、最大化させる」という思いの原体験は何でしょうか。

大学4 年生で実家に戻った時に、 6・7歳の時の住んでいた場所に行きました。そうしたら、若い人が全然いませんでした。おじいちゃん、おばあちゃん、ばっかりでした。小さい時に遊んだ遊具は、めちゃくちゃ錆びていました。長期間放置されていたからです。

総務省の人口動態調査があります。2020年の 1 月時点で日本国内の日本人は、確か前年度より 50 万人近く減少しました。1968年に人口動態調査は開始しました。それ以来最大の減り幅です。日本国内に確か在住外国人が 20 万人ぐらい増えています。20 万人ぐらい増えたのも、1968年以来最大の増え幅です。

外国人が最大の振れ幅で増えて、日本人が減っていました。かつ住んだ地元の状況をみて、深刻さを感じました。労働力不足の時代で、日本が持続的に発展するためには、優秀層の外国人を増やす必要があります。自分がいち外国人としてできるのは起業でした。

日本は、特にアジア圏の国からしたら幸福度がものすごく高いです。若い世代は、日本のアニメと音楽を知っています。ニコニコ動画のビジネスモデルを模倣したのが中国のビリビリですが、若者から絶大な信頼を得てます。ビリビリも一昨年ぐらいに上場し、今は1兆4000億円というとてつもない時価総額がついてます。

ー中学校入学のタイミングで中国(の学校に)転校されてました。大学で日本に進学されました。日本と中国の両方を知る中で、それぞれの良し悪しを感じますか。

初めて日本に来た時はマイナスでした。(事前に手渡されたライフログでは)マイナス30ぐらいに書いたと思います。5 歳半ぐらいで日本に来ました。マイナスの理由は、日本に来て、言葉が通じないからです。いきなり小学校に入れられ、何もかもわかりませんでした。

小学 1 年生の学校初日に、給食がカレーでした。カレーは見たことがありませんでした。カレーが美味しかったことを今でも鮮明に覚えています。しかし、日本での生活に最初は慣れませんでした。福岡はまだ外国人が少なく、外国人というだけで物珍しかったです。どこに行くにもマイノリティでした。

日本に慣れたと思ったら小学校卒業後に中国に戻りました笑。しかし、ここでもめちゃくちゃ慣れません。もはや日本語が母国語だったので、今度は逆に中国語ができませんでした。日本の繁体字(はんたいじ)は書けますが、中国語の簡体字は書けないし、分かりませんでした。

さらに、インターナショナルスクールなのに、英語が全然できませんでした。発音は日本式の発音でした。例えば「白い」をそのままカタカナで「ホワイト」と発音したら、クラスメイトは大爆笑しましたが、なぜ笑うのか当時は意味が分かりませんでした。

何もかもできない。中国語もできない。英語もできない。したがって、当時は言語習得を頑張りましたね。勉強はすごい苦しかったです。発音ができないと、友人に笑われます。

単語をネイティブみたいに言えるようになるまで、どこでも練習しました。特に中学時代は、 5 時 50 分ぐらいに起きて、6 時 30 分 までグラウンドに行き、ずっと大きな声で英語の発音練習を繰り返しました。

ー欧米の大学に進学する友人が多い中で、中国でも欧米でもなく、日本の大学を選択したのは、何が理由だったか。

日本がすごく好きだったので、いつか日本に行きたいと思っていました。大学進学はいい機会でした。自分の得意じゃないことをやってもしょうがないと考えていました。僕はルームメイトが 3 人いました。1 人が、カナダのトロント大学に行き、1 人がアメリカのUCバークレーでした。両方トップ校です。 2 人は、すごい勉強もできて、 2 人と、3 年間ずっとルームメイトでした。

2 人を見て、勉強だけで戦っても優位性が無いなと正直思いました。僕自身もそこそこ成績は良かったのですが、欧米の学習環境に行ってもあまりバリューが無いと思いました。そこで、勝てる場所を探しました。自分の強みは日本の文化と日本語がわかること。そして英語・中国語もできることでした。そして、自分の強みを一番発揮できる・差別化できる場所を考えたら、日本という結論に達しました。日本も好きだったので、あまり迷いませんでした。先生たちはびっくりしてましたけどね。

ー久々に日本にきてどうでしたか。

大学生活は、勉強もそこそこしましたが、それ以上に沢山の経験を積む事ができました。交換留学はアメリカとカナダに行きました。今振り返ると、日本への留学は100%正しかったです。

欧米のすごい勉強できる仲が良かった友人も就職は苦労していました。差別とまではいかないけど、アジア人は就職活動に苦労すると感じました。日本は、外国人にあんまり差別がありません。やろうと思えば、機会が平等に与えられます。すごい素敵だなと思いました。

てみて日本への進学は大正解だったなと思います。

過酷な労働環境ではなく、個人の価値観の違いで崩壊した組織

ー就職のタイミングで、野村証券の投資銀行部門に就職を選択されました。当時就職活動すると、どんな軸で会社選びをして、最終的に野村証券に決めた決め手は。

結論から申し上げますと、今選ぶなら投資銀行とコンサルは絶対行きません。当時の自分を振り返って、投資銀行とコンサルは周りの優秀な人が受けるから自分もまずはなんとなく受けてました。今だったら選択しません。

当時就職活動した軸は、優秀な人と働きたいということでした。優秀な人と働きたい、そうするで自分を成長できる。早く成長できる会社に行きたいので、早い段階で裁量権がもらえること。少数精鋭でできること。プラス経営者の思考を知りたいのもありました。経営者と接触できる仕事がしたいことが軸でした。早く成長できましたし、めちゃくちゃ働きました。毎日朝 3時・ 4時ぐらいまで働くことなんてザラにありました。

アメリカとのいわゆるクロスボーダーの案件で、日本とアメリカが昼夜逆転なので、毎日ほとんで寝れ無い時もありました。過酷な環境を乗り越えたので、成長はできたと思います。ただ、今僕がもう一回選ぶなら、価値観、ビジョン・ミッションが明確で、優秀な人が多い会社に行きたいです。投資銀行の業務では、経営者の考え方に触れるのは、一部にしか過ぎません。むしろ優秀な経営者と一緒に働く、もしくは、起業家のマインドセットがある会社で働く方が面白いと思います。自分が事業創造の立場に立てるからです。

ーせっかくなぜ聞きたいけど、今もし就活なら、この企業に就職かも、バイネームはあったりされるか。

ベンチャー企業やリクルートは行きたいと思う。僕が就職活動をするなら、「早いうちに成長できる、明確なビジョン・ミッション・価値観がある、新規事業に携われる」を大切にします。起業家のマインドセットが強いし、教育を受けられます。給料は新卒でもそこまで悪くありません。

投資銀行とコンサルは労働集約型ビジネスの典型ですが、今の時代ではあまり付加価値が高くないと感じます。例えば企業価値計算はアルゴリズムでパパッと計算できるようになると想いますし、朝 3 時ぐらいまでExcelをごりごり回して計算するすることは必要ではなくなるかもしれません。

ー野村証券の投資銀行部門に所属されて、26 歳の時にLincを起業されてらっしゃるとけど、ハードシングスがあった。

ハードシングスはつきものですし、それはしょうがない。頭でわかってもできないことが多いと思います。当時組織が崩壊した一番大きな理由は、明確な価値観を共有しなかったからです。

例えば当時投資銀行で働いても、「いいから、手を動かして」「とりあえず頑張りますはいいから、結果だけ出して」という環境でした。ミッションビジョン価値観がありませんでした。

例えば、チャレンジか、それとも保守的かを考えます。組織で価値観の違いが明確でした。チャレンジしたい人と、保守的に進めたい人で、意見が分かれました。なぜチャレンジするかを、僕は言語化できなかったので失敗しました。最後は組織が崩壊しました。一気に人が辞めて、気づいたら 2 人になった。うまくいっての 2 人じゃなくて、いかないでの 2 人だったので、毎日気まずかったです。

当時は能力ベースで人を採用していました。しかし、能力はいいけど、価値観が合わないのが原因で辞めることが分かりました。現在は、価値観を大事にしてます。ビジョン・ミッション・価値観が同じ人の採用を進め、さらに上のポジションから採用しています。

今は社員が 15 名ぐらいいます。業務委託・インターンを含めると、40人近くになりました。ここ1 年間はあまり辞める方はおらず、少しずつですが、理想の組織像に近づいてきたと実感してます。

ー最後に、今リンク会社を経営される中で、実現したい、今後のビジョンをお聞きしたいと思います。

今日本ですでに働かれる外国人の方は160万人ぐらいですが、予測では2030年までに400万人ぐらいになると言われてます。これからどんどん増えると思います。その時までには国籍を問わず、多様な個人が主役になれる多文化共生社会を作りたいと思います。

取材者:西村創一朗(Twitter
執筆者:津島菜摘(Twitter/Note
デザイナー:五十嵐有沙