学びに終わりはない?田村まりの仕事と研究どちらも楽しむ生き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第925回目となる今回は、株式会社おしんドリーム・取締役の田村まりさんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

ベンチャー企業にて新規事業を行いながら、研究活動もしている田村さん。当たり前と受け取らずに疑問をもつ大切さや、働きながら学びつづける選択肢について語っていただきました。

 性差ないドローン操縦から未来に新しい選択肢を

ーまずは自己紹介をお願いいたします。

株式会社おしんドリーム・取締役の田村まりと申します。

おしんドリームは、連続テレビ小説『おしん』のような芯が強い女性たちのエンパワーメントを通じ、社会の底上げを目指す会社です。ミャンマー初の女子大学をつくろうという声がけから始まりました。

現在は海外情勢の不安定さから、国内でのドローン事業に力をいれています。先日、ドローンインストラクターのライセンスを取得しました!

また、仕事と並行してモスクやムスリムに関する研究活動も続けています。趣味は海外バックパッカー旅で、現在27ヵ国ほどを訪問しました。

ー現在のお仕事に関して、海外で女性を支援するのと、国内でのドローン事業にはどういった関連性があるのでしょう?

私たちは次世代の教育と人材育成をテーマに、とくに女性教育に力をいれています。

ドローンは、男性でも女性でも身体障害があったとしても、手指を動かしてコントローラーを操作できさえすれば操縦できるんです。かつ、操縦は非言語でもあるので、海外に事業として持ちこむ未来も描いており、日本でまずはたたき台をつくろうとしています。

スマートフォンが一気に普及したように、ドローンが空をとぶのが当たり前になる社会がこれから来ると思っていて。未来の新たな職業や選択肢を提供するのもおもしろいと考え、ドローンスクール開校にむけた準備を進めています。

ーなるほど。ドローンは性差なく使える分野なのですね。

ここからは、女性教育や国際協力に強い関心をもつようになった田村さんの過去をさかのぼってお伺いします。どのような幼少期を過ごされていましたか?

私はアメリカで生まれ、その後マレーシア、フィリピンと海外で暮らしていました。6歳から日本に来たのですが、転勤族だったので国内でもいろいろな土地を移動していましたね。

様々な国籍の人がいる幼稚園にいたこともあり、幼いながらに異文化への理解を感覚的にもっていたと思います。

ーその後、国際協力に興味を持ち始めたのはいつからですか?

きっかけは東日本大震災でした。

様々な海外支援団の人たちが被災地へ行き、日本の被災者を救護、支援している映像をニュースで見ました。その時に私も何かこういうことがやりたいと、漠然と思ったんです。

震災当時は中学3年生でした。このきっかけが大学への進路選択で文系を選び、国際関係を学ぶ考えに繋がりました。

「勉強は嫌いだけれど、研究はおもしろいかも」思考しつづける意義

ー実際に大学では国際協力を学ばれたのですか?

はい。津田塾大学の国際関係学科に進学しました。

大学では、国内外の社会問題に高い意識を持つ学友たちに恵まれて。

学友たちの影響や授業での学びを経て、なんとなく興味のあった国際協力に、もっとしっかり関わっていきたいと思うようになりました。

また、幼少期フィリピンにいたころ、貧しい人たちが暮らしているのをふつうの風景として見ていたんです。大学での学びを経て、自分が当たり前だと思っていた光景は貧困や格差の象徴だったと気づき、大きな衝撃をうけました。

ー女性教育に関心をもつようになった経緯を教えてください。

私は中学・高校と女子校で過ごしましたが、「女性(男性)だからこうしなさい/すべき」など性別に基づいた役割を求められる場面がありませんでした。性別の前に一人ひとりの人間としてのびのびと生きられた環境だったなと思うんです。

大学に入りサークル活動等もふくめ男性との関わりが増えていきました。そこで、たとえば荷物をもつのは男性が好ましい等、潜在的な男女の固定概念がたくさんあると気がつきました。

趣味の海外バックパッカー旅行中には、結婚していないのか、早く子どもをつくるべきだと発展途上国の男性から何度も言われて。

津田塾大学は日本に女性教育をもたらした津田梅子さんが創設したこともあり、ジェンダー問題に取り組み、発信している卒業生がたくさんいます。

こうした経験から、次世代の女性たちがもっと生きやすい社会にしていくために、自分も何かしたいと次第に考えるようになりました。

ー社会人になった今でも研究を続けている田村さん。研究のおもしろさを感じたのも大学生のときですか?

はい。高校までの学びは、正直ぜんぜん楽しくなかったです(笑)。

高校までは、「A=B。これを覚えなさい」と決められた勉強が中心でした。

大学からは、「A=Bと習ってきたけれどほんとうにそうなのか?A=Cの可能性はないのか?そもそもAは存在するのか?」といった問いをたてる学びになり、それがおもしろくて。

「勉強は嫌いだけれど、研究は楽しいかもしれん!」と思ったんです。

大学院ではさらに答えなき問いにたくさん頭をひねらせました。国際協力という、何が正解になるか分からない現場に関わりたいからこそ、多角的に学べた環境は非常によかったです。

新しい技術の発明や発見など有用性が分かりやすい理系学問に比べて、自分が研究している文系学問の意義が分からなくなったときもありました。

でも研究をしていくうちに、長期的な視点をもって既存の価値観を考え直し、新しい価値観をとりこんでいくのが文系学問の意義だと捉えられるようになりました。

ー大学院での学びで他にも大きな気づきがあれば教えてください。

学びには終わりがないということです。

大学院では社会人学生を始め、指導教員よりもずっと年上の方、お子さんがいらっしゃる方までいて、学生の年齢層がかなり幅広くなりました。こういった方々をみて、自分も学びつづけられる大人でいたいと思いましたね。

ーーたしかに大人になると自分から学ぶことは少なくなりますよね。

そうですね。

目の前の仕事に忙殺されてしまい、物事を批判的に考える余裕がない人も多いのではないでしょうか。今の行動は正しいのか、社会にどのような影響を与えるのか、しっかり考えるため定期的に学問に触れるのは大切だと思います。

日本では、文系で大学院に行く選択は少数派ですが、大学院は学びたいと思ったときにいつでも戻れる場であるべきだと強く感じました。