様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第913回目となる今回は、ヨコガオイベンターあくびさんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
Webメディアの会社に勤めながら様々なイベントを企画するあくびさん。理想と現実のギャップに悩んでいた時に出会った「ヨコガオ」。人生を生きやすくするためのヒントとして「ヨコガオ」について語っていただきました。
幼少期は泣き虫。アニメの主人公に憧れて動きはじめる
ーまずは自己紹介をお願いいたします
「ヨコガオ」イベントを主催している、あくびと申します。学生時代から様々なイベントを行っておりました。
社会人になってからオモテの顔だけではなく「いろんな顔を持っていろんなことをやって生きる人生にしませんか?」と問いかけるイベントを運営しています。よろしくお願いします。
ーあくびさんの名前はどういう意味で付けられたんですか?
あくびを見た人にあくびが伝染っていくように、私が作ったイベントをきっかけに、人の輪や幸せがどんどん広がってほしいという意味があります。
名付けたきっかけは友人と旅行をした時に見かけた「あくびカフェ」の名前で「あくび」をかわいいと思ったからです。
ーあくびさんの幼少期はどのようなお子さんでしたか?
とにかく泣き虫で、嫌なことがあると「やだ」と泣いて逃げてしまう子どもでした。アニメを見ることが好きで、10歳の頃はアニメの主人公に憧れていました。
今でも主人公に憧れています。主人公の自分がやりたいことをはっきりと言うところが格好良いです。泣き虫で何もできない自分とは違うなと思っていました。仲間と一つの物事を成し遂げるところも羨ましかったです。
ーアニメの主人公に憧れて実生活に変化はありましたか?
小学校の委員会に入る一歩を踏み出せました。
小学校の中で目立つタイプではなかったのですが、どうしたら主人公になれるのかを考えていた時に、全校集会で委員会を見つけました。全校生徒の前で堂々と話す学級委員長を見て「かっこいい」と思い、委員会に立候補。
委員会では裏方の仕事をがんばっていましたが、仲間と一致団結して何かを成し遂げる体験がなく、心は曇っていました。
ー中学生でも生徒会に入られていたのですね?
生徒会にも立候補し、活動しているうちに「なんでもこい」と強くなることができました。生徒会では特に憧れていた文化祭に力を入れます。中高一貫校だったので、5年間生徒会の役員として文化祭に携わりました。
毎年文化祭の締めに先生の制作したエンディングが上映されるのですが、なぜか盛り上がらず不完全燃焼でした。大学受験前の高校2年生は、主体的に動ける最後のチャンスです。何かを残したいと考えていた私は、エンディングを撮影から行いました。
エンディング映像は「生徒全員が主人公」という思いで作りました。上映した時に会場から歓声がきこえて、アニメのワンシーンにも感じられ、みんなの個性をみんなで共有できた瞬間でした。とても思い出深いです。
大きな挫折と気づき、1からイベントの企画をはじめる
ーあくびさんは選択する時に憧れを大事にしている印象がありますね
自分のやりたいことを持って前に進もうとしてる人がとても好きですね。
中高生の時は、自分の中にしっかりとした信念がありませんでした。深く好きだと思えるものもなくて「自分には何もないなぁ」と思っていました。
ーその後、大学に進学されて、実際大学生活はどうでしたか?
実は私、13校の大学に落ちたんです。
周りの友人が自分よりレベルの高い大学に進学しているなか、受験後期で唯一残っていたところに入ることになって「私はダメだ」と思っていました。大学に通うと楽しく過ごすことができて、学歴や勉強ができることが全てではないと気づきました。
ー大学生の頃に大事な友人との出会いがあったと伺いました。
大学2年生から参加したプログラミングスクールで出会った子で、私が出会った中で一番個性的で魅力的な女の子です。
おもしろいと思ったことは全部やる子で、私がイベントをやりたいと相談すると「やればいいじゃん」「やりたいなら全部やりな!」と背中を押してくれました。
「無理だと思っていたことが全部できるな」と思えて、実際にインターン中に1から企画をたてて運営することもできました。
やりたいことをすべてできるようになった時期ですね。
ー就職の選択はどのように決めましたか?
就職活動の時は、やりたいことが多くとても迷いました。悩みながらいろいろな会社を受けていた時に、Webメディアでやりたいことを全部できるよといわれて「そんな夢のような仕事があるんですか」と驚きました。
たしかにWebメディアは記事を軸にしていますが、デザインもできますし、取材で写真撮影もできます。さらにオフラインイベントもあるんです。自分がやりたいことが本当に全部できると実感して、Webメディアに就職しようと決めました。
ー現在就職活動をやってる大学生にかけたいアドバイスはありますか?
就職したからといって、会社が自分のすべてではないと言いたいです。
就職して会社のコミュニティだけで、50年生きるわけではないと思ってほしい。「最初の一歩がここから」程度の気持ちではじめてほしいです。
就職がすべてだと思うと、選考に落ちても「たった15分であなたのことすべてはわからないよ」と思ってほしいです。約20年間がんばって生きてきたのだから。
オフラインへの思い、75点の日々から脱却
ー初めてのWeb業界は大変だと思うのですが、苦労したことをお伺いしてもいいですか?
記事の閲覧数だけが送られてきて、何万人に見られたと報告があります。閲覧数が多くても、見ている人の感情がよいのか悪いのかがわからず、結果を飲み込むことに苦労しました。
就職して最初の1年半は「私は一体何を作っているんだ?」と思っていました。
ーあくびさんはオフラインイベントに触れることが多かったからこそ、オンラインの動きにギャップを感じましたか?
オンラインで人の顔が見えない、誰に届いてるかわからないだけでやりにくさをとても感じます。何万人にも届けることができるWebメディアをつくることは好きですが、自分のやりたいことを100%叶えられているわけではないと感じました。
自分の中でやり切ったという感覚がなく「毎日75点だな」と思っていたところで会社から新人賞をもらいました。新人賞をもらえたことは素直にすごいと思いました。
とてもうれしかったですが「自分が思っている75点の進み方であってるよ」と言われた気がして、理想と現実のギャップに割り切れない気持ちでした。
ーオフラインのイベントを再開したきっかけはありますか?
大学生の頃から親交のあった学生団体の方に慰安旅行を企画してほしいと相談されて、オフラインのイベントを再開するきっかけをもらいます。
企画を進めると楽しくて「やりたいことはオフラインのイベントだったんだ」と強く感じました。
自覚してからは本業の仕事を辞めてイベント企画の道に進むか迷いました。本業の仕事が嫌ではなく楽しかったこともあり、やめずにイベントを副業でやってみようと思って「あくび」という名前で活動しはじめました。
私の「ヨコガオ」のはじまりです。