やさしさに包まれて。滝野朝美がふろしきガールになるまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第852回はふろしきガールとして活動中の滝野朝美さんです。学生時代は風呂敷とは無縁だった滝野さんが、風呂敷と出会い、その魅力に夢中になるまでのお話をお伺いしました。

会社員とふろしきガールの2足の草鞋生活

ーまずは簡単な自己紹介をお願いいたします!

風呂敷の使い方や結び方を教える活動と風呂敷の製作販売をしています、滝野朝美です。出身は愛媛県で、現在は会社員として働きながら、終業後や週末の時間を使ってふろしきガールとしての活動を行っています。

ーふろしきガールとしての活動についてもう少し詳しく教えていただけますか。

風呂敷についてSNSで発信したり、風呂敷の製作販売、風呂敷の講師として教えたりしています。日テレ「スッキリ!」ふろしきのモデルで登場、日経新聞「風呂敷を身近に活用」掲載、クルーズ客船風呂敷講師、JICA海外日系人協会で風呂敷講師をしています。

また直近では、個展を麻布十番のギャラリーで開催。カフェとコラボをして店内を風呂敷で装飾したりしました。

音楽、フラダンス、留学。風呂敷と無縁だった日々

ー現在に至るまでのお話を聞かせてください。幼少期・中高時代から風呂敷と関わりがあったのでしょうか。

風呂敷と繋がりを持つようになったのは実は社会人になってからの話になります。幼少期の頃はクラシック音楽が好きで、小学3年生の時に母校の吹奏楽部の演奏会に行き、「この高校の吹奏楽部に入って、一番になる」と思っていました。

実際にその高校に入学し、高校2年・高校3年で全国大会にも出場することができました。

ー大学時代でも音楽を続けられたのですか。

高校でやりきったので、大学では吹奏楽は続けませんでしたが、レコード会社への勤務やライブでのタレントスタッフ業務など音楽に関わる活動などは行っていました。

また、大学ではフラダンスをしていました。高校生の時に震災が起き、その際にテレビでみた福島のフラガールの方々のことがとても記憶に残っていたのがきっかけです。歌詞を手で表現するフラダンスはとても楽しかったですね。いろいろなイベントで踊らせていただきました。いつも笑顔で踊るのは幸せな気持ちでした。

ふろしきガールと呼ばれるまで

ー社会人として働かれる中で、風呂敷と出会うことになったのは何がきっかけとなったのでしょうか。

鞄が壊れて閉まらなくなってしまったことがあり、知人がその場で風呂敷を使い可愛く結んでバッグを補強してくれたことがありました。おかげで無事に鞄は保たれ、見た目も鮮やかで可愛くて、鞄が壊れて焦っていたのに、「赤とピンク、どっちの風呂敷がいい?」と聞いてくれて。その余裕さと便利さに、心惹かれました。

その日、家に帰ってから、役目を終えて畳まれた風呂敷を見たときに、今日の私を助けてくれた風呂敷っていいなと初めて思ったんです。と同時に、私は毎日考えすぎなんじゃないか?困ったときに、必要な時に考えて動くくらいの余裕や心の余白が必要だと感じました。風呂敷みたいにならなきゃなとなんとなく思いました。

 

ーそこからどのように活動に繋がったのですか。

鞄を直してくれた知人はふろしきの講師をしている方でした。その時風呂敷で直してくれた鞄の写真を記念に撮ってくれていたのですが、そういった風呂敷の活用をまとめた本を一緒に作ろうと誘っていただきました。そして2ヶ月の期間、毎週チームで集まって撮影を行う中で、風呂敷の結び方や使い方を学んでいきました。そこから徐々に風呂敷を使ったり、作ったりするようになりました。

そんな中、講座の講師を務めてほしいと連絡があり、海外のビジネスマンを対象とした風呂敷講座を1日で4回も担当することに。日本語も通じないし、開催の3日前くらいの依頼だったので不安だったのですが、思い切って引き受けてみました。

実際に講座をやってみるととても楽しく、参加者の方も楽しんでくれているのを見てやってよかったと思いました。そして自分が好きなものを誰かが好きになってくれる嬉しさも実感することができ、活動を続けるようになりました。