難しい選択をすれば人生は変わる。リエゾン共同設立者・清野紫苑が大事にする価値観

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第845回目となる今回は、一般社団法人リエゾン共同設立者の清野 紫苑(せいの・しおん)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

幼少期から海外で過ごし、人の多様性に触れてきた清野さん。大学時代にグローバルヘルスの領域と出合い、現在は団体で国際的な健康の課題解決に取り組んでいます。喜びや挫折を経験しながら、今の価値観に至った清野さんの人生を紐解きます。

世界レベルの健康課題や多様な生き方の普及をテーマに活動

ーはじめに自己紹介をお願いいたします。

一般社団法人リエゾン共同設立者の清野 紫苑(せいの・しおん)と申します。現在はグローバルヘルス領域で、すべての人が公平に保健医療にアクセス可能な世界をつくることに取り組んでいます。また休日は、在日米国大使館助成プログラムの一環であるGirls Unlimited Program(女子中高生をエンパワーするプログラム)でも活動しております。

ーそもそもグローバルヘルスとは何でしょうか? また、具体的にどのようなことを行っているのかについても教えてください。

グローバルヘルスとは、人々の健康において国際レベルで連携が必要な課題を解決する分野のことです。現在まで続くパンデミックにおいても、ひとつの国で起きた保健問題が日本にも影響してくることを、おそらくみなさんも感じたと思います。

具体的には、日本からどのように健康課題を解決できるかに取り組んでいます。例えば、他国で必要な人に対して、日本で生まれた医療技術やシステムを受け入れられる仕組みを導入できるかを検討しております。

また、学術面からどのようにしてグローバルヘルス領域に貢献できるのかも考えています。実は医療の世界というのは、医学部などの医療従事者以外でも携われる世界です。私自身も医療関係の学部とは無縁の学部卒です。誰でも貢献できる分野だということをいろんな人に知っていただき、次世代のリーダーを生み出せる活動をしております。

ー清野さんは、日本の医療を海外でも提供できるように橋渡しをされているのでしょうか?

そうですね。毎年日本政府の予算の一部は海外のために使用するのですが、海外の医療システムがよくならないと日本人の健康にも影響を及ぼします。国内はもちろん海外事情も考慮した上で、資金や人材を含めたリソースを海外に提供してもらえるようにわかりやすく説明します。また、学生向けや社会人向けのイベント運営も私の仕事です。

ーもうひとつ、本業以外で関わっているGirls Unlimited Programについても教えてください。

Girls Unlimited Programとは、世の中で活躍している方々の講演を聞き、ワークショップ、ディスカッションを通して、女子中高生が自分らしく輝くことを応援する教育プログラムです。

現在はオンラインで開催をしております。全国から集まった女子中高生が、4週間をかけて自分の人生や将来像をじっくりと考える内容を提供しています。

私自身も小さい頃に母から「ジェンダーに関係なく、いろんなことにチャレンジしてみなさい」と言われ続けていて。「世界には様々な生き方があって素敵」だということを、より多くの人に小さい頃から知ってもらいたいと思っていました。だから、運営側から声をかけていただいたときは、まさにこれだ!としっくりきたんですよね。現在も、プログラムの運営側としてやりがいを感じながら活動しています。

多様な生き方や価値観を肌で学び、社会課題に関心を持つ日々

ーここからは、清野さんのこれまでの人生についてお伺いします。どのような幼少期を過ごしていましたか?

大人しい子だったと思います。父の仕事の関係で、子どもの頃から海外に住んでいました。一番長く住んでいたのはアラブ首長国連邦のドバイです。ドバイといえばリッチな印象があるかと思いますが、当時は開発前だったので砂漠の中に住んでいる感覚でした。

アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなど様々な国の子どもたちが通っている学校で、みんながマイノリティみたいなクラスだったんですよね。そんな環境にいたので、いろんな文化や宗教、生き方があるんだというのを肌で感じながら9歳まで過ごしました。

ーそのような環境だったからこそ、現在につながる価値観や考え方になっているのですね。

そうですね。いろんな人種や生き方の家族に出会ったなかで、正しい生き方があるわけではないことを学びました。だから私たちの団体でも、どういった家庭環境で生まれようが、どういう信条があろうが、生き生きと自分らしく生きられる世界を実現したいです。

そのためにも、健康でなければ何もできないので、元気に生きられる世界をつくるというミッションにつながっています。

ー素晴らしい価値観ですね。その後も海外で暮らしていたのですか?

9歳までドバイに住んだのち、ブラジルに引っ越しました。ブラジルでは、周りの人がとても優しくて今でも大好きな国のひとつです。

その後、小学5年生からは日本に住むことになりました。公立の小学校に転校したのですが、先生もクラスメイトもみんないい人たちで。それに、掃除や給食の時間は初めての経験だったので楽しかったです。卒業後はそのまま公立の中学校に進みました。

ー海外と日本の学校制度の違いを楽しく感じながら過ごしていたのですね。大学時代に転機があったそうですが、まずは進学先の決め手を教えてください。

私は国際基督教大学(以下、ICU)に進学しました。ICUを選んだ理由としては、日本語だけではなく英語も活用しながら、国内外でグローバルに活躍できる人になりたいと思ったからです。

ICUでは、入学してから2年間は特定の専門科目がなく、興味のある分野を選んで学ぶことができます。当時の私は文学を学びたかったのですが、他の分野も気になっていたのでちょうどよかったと思います。

ー様々な分野を学べる強みがある大学で、特に熱中していたことはなんでしょうか?

ジェンダー関連の講義は必ず履修したことだと思います。学生や先生方のジェンダー理論を聞き、様々な論文を読む日々を過ごしていました。

また、大学での講義や卒論に取り組んでいるなかで、人権や格差といった課題から、どうしたら自分らしく生きられるのかを考えていました。アジアはもとより日本でも、どうして生き方や生活基準にレベルがあるのかを議論することもありました。ジェンダーについても、多種多様な性の生き方を見ていくと、差別される理由を何もわからないまま議論していたように思います。

やはり幼少期に海外で過ごした経験から、「あの頃はみんな平等で楽しく生きていたのに、実際はなんでこんなに世界は課題だらけなんだろう」と大学の講義室で悩んでいました。