自分との約束を守り続ける!モデルの八軒あやねが語る、今後の夢

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第835回目となる今回は、八軒 あやね(はちけん・あやね)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

フリーランスモデルとして活躍中の八軒さん。学生時代のエピソードや、現在の活動内容、今後の展望などについてお話していただきました。

幼少期からファッションが好き!スカウトを受けモデルデビュー

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

八軒 あやね(はちけん・あやね)です。フリーランスでモデルのお仕事をしながら、Instagramでのインフルエンサー、Instagramの講師、モデルのキャスティングをしています。

わたしの掲げるモットーは自分との約束をコツコツ守ることで、いま女性の自立を応援する活動をしているところです。

まずは幼少期の頃のエピソードから教えてください。

小さい頃から人の本質が見えてしまうタイプでしたね。あとは周りの子と同じことがしたくなくて、小学校〜高校まで、人と同じ道を歩まされるのが嫌でした。自由がない縛られた環境も苦手で、行動範囲が狭い高校生までは辛かったです。

大学を決めるときに、服が好きなこともあって、アパレル系の会社に勤めたいと考えました。店舗で働くよりは、広報やプレス、バイヤーなど、早く本社勤務になりたいと考えましたね。

ハイブランドにも興味があり、有名なシャネル、エルメスなどのブランドの推薦に強い大学に入りたいと思って、進路を考えていました。

大学生のころ、モデルデビューされたんですよね。

はい。大学に入る前、大阪のファッションショーを見に行ったときにスカウトしてもらって、事務所に入りました。

このファッションショーの運営元が、ちょうどモデルスクールを立ち上げるタイミングで、スカウトの方を多く入れようとしていたそうです。

書類や面接での選考も通過して、本格的な活動は秋ごろから始まりました。大学1年生の頃は授業、バイトと並行して、90分のレッスンを週に2回受けていて、時間に追われていましたね。

モデル業を初めて家族に打ち明けたときは反対されました。両親としては心配・不安の方が多く、「社会人になってもモデルを続けるの?」「顔を出すのは怖いよ」と言われましたね。

当時はアパレルブランドをプロデュースしたいと思っていて、もしモデル活動で有名になれたら、きっと肩書きが役に立つだろうとも思っていました。

1年以内に仕事が1件も入らなかった場合は辞めること、肌の露出はしないことの2つの約束を家族と結んで、モデル活動を始めました。

当時、何か転機はありましたか?

半年くらいは仕事がなかったのですが、ある日、ハロウィンに関するイメージモデルの大きなオーディションがあって、受けに行きました。ここが大きな転機になったんですよね。

このオーディションは、色んな事務所からモデルさんが受けにいって、1人しか受からないものでしたが、奇跡的に、芸歴が浅いにも関わらず私を選んでいただくことができました。

当時19歳の若さで、若干ギャルっぽいメイクもしていて、それが求めていたイメージにぴったりということで受かったそうです。

美人で可愛い子もいっぱいいた中で、わたしでもイメージに合えば選んでもらえるところが面白くて、続けていきたいと思いました。

このお仕事は、等身大以上のパネル、チラシ、ビラ、ポスターなどに使われて、至るところへ大々的に載せてもらえましたね。

街の至るところに自分がいるのは不思議な感じがしましたが、すごく嬉しかったです。友人・知人・親戚みんなも喜んでくれて、両親もこのタイミングで応援してくれるようになりました。いろんなことが変わったタイミングでしたね。

事務所も実績ができたことで喜んでもらえて、推してくれるようになり、お仕事が増えてきました。

早朝に起きて学校に通って、レッスン、バイトの生活でした。車の免許も取りたかったのですが、取れずに卒業しましたね。忙しい毎日でしたが、当時は若かったのでなんとか乗り切った感があります(笑)。

芸能界の闇に触れ、女性活躍支援を志しはじめる

ーモデルさんの生活はきらびやかなイメージがあります

ひどい扱いを受けたこともありますよ。お酒が飲める年齢になって、会長さん、社長さんから会食に連れていかれることがあって。新しく事務所のスポンサーになった方や、案件のクライアントさん、芸能人の方もいらっしゃっていましたね。

そこは普通の会社の接待とは少し違っていて、女性をモノとしか見ていない感じがありました。無理やりお酒を飲まされたり、枕営業のような性的搾取に持っていく言動や雰囲気を感じたりしましたね。

キラキラした世界の裏には闇がつきもので、女性は男性を喜ばせるモノと感じているんだなとひしひしと感じました。

わたし自身は夢に向かって頑張っているのに、事務所からこうした環境に連れていかれるところに嫌悪感を感じました。同期や後輩も間違った道に進んだり、鬱になってしまったりした人もいて、周りの大人に対して許せないと思いましたね。後輩が相談してくれても、わたしは話を聞くことしかできなくて、無力さを感じました。

事務所のトップや権力を持っている方々に発言したとしても聞く耳を持ってもらえないどころか、仕事がやりづらくなると思い、、まずは自分達が強くならないといけないなと考えました。モデル以外でも収入を増やし、経済的にも精神的にも豊かになれば自然と周りの環境も変わると考えました。

ーそこからどんな行動に移したんでしょうか?

事務所の退所も考えましたが、人脈もないため、きっと仕事がなくなってしまうと思いました。学生のうちに経験を積もうと考えて、SNSでの発信に力を入れました。

そんな中、ミスコンに出場して、女性の自立を応援していることを発信しようと考えました。女性たちを応援したい方々がスポンサーになっていて、そこでの優勝を狙いました。

2017年に京都大会へ出場した際は特別賞をいただきましたね。でも、やっぱり1番を目指したい気持ちがあり、3年かけて、2020年に故郷の兵庫県大会に出場しました。そこでようやく、優勝できたんです。

2017年の出場時は、自分が優勝したいという考えしかなかったんですよね。2020年の大会では、周りの人たちのために頑張ろう、自立したい女性を応援しようと思って臨みました

2020年の大会では、女性の自立についてスピーチする機会があって、「わたしの夢は、自立する女性を増やすこと」として、今後の活動や夢についてお話しました。審査員には男性が多くて「生意気だ」と思われるリスクもあって、当日本番まで悩みましたが、一か八かで挑戦しました。

幸い、このスピーチも審査員の方に「すごく良かった」と褒めていただいたり、女性経営者に「一緒にやりましょう」とお声がけいただけたりして、挑戦して良かったです。

ー今はどのようなお仕事をしているのでしょうか。

2021年7月に事務所を退職しました。SNSや、友達からの紹介経由でのモデルの仕事は続けていました。

このコロナ禍で、モデルの仕事が0になってしまったんです。自粛生活の影響で、アパレルブランドや旅行パンフレットなど、モデルが必要な広告自体が少なくなったので、お仕事がありませんでした。仕事はほとんどライブ配信アプリのみでした。

モデルだけでは仕事も安定しなくて、セカンドキャリアのことも考えて、経営者が集まる会に参加し始めました。そこで出会った経営者の方に「講師の仕事もいいのでは?」と言われて、Instagramでの発信や、立ち振る舞いについての講師もやってみようかなと考えたんです。今では専門学校で100名ほどを担当しています。

モデル生活ではSNSで発信したり、美しく振る舞ったりすることが当たり前だったのですが、これもビジネスになるのだなと気付かされましたね。

今はフリーランスのモデルや、インフルエンサーの仕事に加えて、Instagramのマーケティングなどの講師の仕事もやっています。わたし以外のモデルさんも、講師として活躍できる環境を作りたいですね。