スキルやお金がなくても学びながら走る!Biime代表・上米良優季の人生の歩み方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第782回目となる今回は、株式会社Biime代表取締役・上米良 優季(かみめら・ゆうき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

パン職人から未経験でIT業界の事業に参画し、現在は​​SNSと動画の広報支援会社を経営している上米良さん。どのようにスキルを身につけたのかや、​​会社を設立するまでの経緯をお伺いしました。

22歳でパン職人から個人事業主へ

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

株式会社Biime代表取締役の上米良 優季(かみめら・ゆうき)と申します。パン職人から独立後、IT業界の会社の立ち上げに参画した経験があります。

2022年の3月末に​​SNSと動画の広報支援会社Biimeを設立し、現在は運用戦略を立てるところから運用するまでを一貫してサポートする事業を行っています。

ー独立前は、異業種であるパン職人をされていたのですね。

はい。5年ほどパン職人をしていましたが、22歳で退職をして個人事業主になる選択を取りました。

ー非常に大きなご決断だったと思います。個人事業主になった経緯をお聞かせください。

私が22歳のときに仮想通貨が流行していて。中学時代の同級生がきっかけで、高騰する前にビットコインを買うことができたんです。パン職人として一日中働きながら、仮想通貨のお金が増えていく経験をしました。

いろいろな稼ぎ方や働き方があると知ったのがきっかけとなり、いろいろな情報を取りにいくようになりました。

一方で、パン職人としては月給13万円ほどしかもらっていなくて。その環境で働き続けることに不安を感じ、今後どうしようかと考えていました。

パン職人になる夢を叶えてかなり経験を積ませてもらったので「次のステップに進みたい!」と思い立ち、退職をしました。

能力の上限値を広げるため未経験からIT業界へ飛び込む

ー退職後、個人事業主として独立したときの状況を教えていただけますか?

当時はお金も時間も相談相手もいない最悪の状態だったので、かなりマイナスからのスタートでした。

とにかく自分のできることをしようと子ども向けのパン教室を開いたり、イベントでカレーパンを作ってその場で配ったりしました。

ーIT業界の仕事につながるきっかけはなんでしたか?

自分にできることが少ないなと実感したのがきっかけです。

当時、農家さんや料理人さんの作ったものが捨てられる食糧廃棄問題に、純粋に疑問を感じていて。パン教室を開くようになってから、すぐにフードロスの活動を始めました。

そうすると次第に、「22歳のパン職人あがりの子がフードロスの活動をしている」と応援していただける機会も増えていきました。

でも「農家さんや料理人さんのためにやりたいことはたくさんあるのに資本力やスキルを持っている人には勝てない」と痛感して、自分自身のスキルを上げる必要があると感じました。

そのときに、知り合いの社長に「動画のマーケティング学校の立ち上げメンバーにならないか」とたまたま誘っていただいて。

今までの分野はフードロスでしたが、自分ができる能力の上限値を広げたいと思い未経験からIT業界へ飛び込みました。

ーなぜ上米良さんは社長からお誘いしていただけたのでしょうか?

当時私は何者でもなかったのですが、周りを巻き込んで応援される人を社長が採用していたからだと思います。

自分が何かその人たちのためにしたいと思っても今の自分にはできない悔しさがあって。その悔しさをバネに「誰からでも学ぼう!」と目を輝かせながら話を聞いていましたね(笑)。

22、23歳のときにいろいろな人と会って、スポンジのように吸収し価値観を変えてもらって。とても若かったけれど、尖りすぎずに行動できました。

ー未経験から事業に携わる中で、経験者のメンバーと比較してしまった経験はありましたか?

お金や自分のスキルの面で、不安や打ちのめされたことは多々ありました。

でも、今の事象だけを見るのではなくて、習得したいスキルや半年後になりたい姿を強くイメージできていて。そのおかげでくじけることなく走れました。

自分のスキルがまだまだだったから「ここを逃したら拾ってくれるところはないぞ」ぐらいの気持ちでいましたね。