まずは本気で目の前のことに取り組む。若いからこそできること。JOBSTYLE代表・菅和彦

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第807回目となる今回は、JOBSTYLE株式会社 代表取締役社長・菅 和彦(かん・かずひこ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

大学4年生のときに監督業を経験し、経営に興味を持った菅さん。起業して最高のビジネスパートナーと出会い、100億企業を目指すなかで大切にしていることを語っていただきました。

W杯を見てプロサッカー選手に憧れる

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

JOBSTYLE株式会社で代表取締役を務めている、菅 和彦(かん・かずひこ)と申します。転職サイトの『男前転職』と、オーダーメイドスーツの『GENTLE TAILOR』という事業を展開しています。

ー『男前転職』の名前の由来と強みを教えてください。

採用に携わる仕事をした経験から「男前なキャリアっておもしろそうだな」と思いついたのが『男前転職』でした。第一印象に自信を持ってもらいたいという思いで『GENTLE TAILOR』というオーダースーツの事業を始めましたが、多くのお客様は第一印象よりも自分の中身に自信を持てていなかったり不満があったりして。さらに稼ぎたい・成長したいという内側の部分を解決したい人が多いのだと気づきました。

だからこそ『男前転職』では入社をゴールにするのではなく、入社後に長く活躍してもらうためのプログラムを作っています。入社前に必ず目標を立て、目標を達成できたかが活躍・成功しているかの基準になります。例えばトップセールスマンになる・最速で社長になるという目標を達成した方が多く、しっかりキャリアアップできているところが私たちの強みです。

ーどのようにして『男前転職』を認知してもらったのでしょうか?

立ち上げ当初は転職のメディアでSNSに出ているところが少なかったのですが、私自身SNSマーケティングが得意だったため、発信に力を入れて。転職を取り上げているメディアが少ないInstagramで発信し、Instagramのユーザー層を募集していきたいと考えました。

転職の内容ではなく、私たちが大切にしている泥臭さやビジネスマナーを発信しました。発信したことが意外と世の中にハマり、良いときは200万回再生してもらうことができて。発信に興味を持ってくれた人たちが応募してくれました。

ーここからは、菅さんの過去を深ぼってお伺いします。どんな幼少期を過ごされましたか?

2002年の日韓W杯を見てサッカー選手になりたいと思い、小学2年生でサッカーを始めました。中学・高校ではJリーグの下部組織に所属し、全国大会にも出場しました。

プロになるという強い志を持って大学入学後もサッカーを続けていましたが、大学3年生までケガが多くて。大学3年生になってからも手術や入院が必要な大きなケガが3回も続き、人生終わったと思いました。

大ケガをきっかけに監督業を経験

ー大学4年次には監督業を経験されたそうですね。

現在の私の人格を形成していると言っても過言ではないほど、私の人生で大きなできごとでした。プロサッカー選手になるという小さい頃からの夢が手の届く範囲まで近づいてきたのに、ケガの影響でプロは難しくなってしまって。そんなときに大学のコーチから監督をやってみないかと言われ、迷わず引き受けました。

監督業をするにあたって、まずはビジョンに共感してくれる仲間を集めることから始めました。40人ほどのチームを作り、無敗でリーグ戦優勝を目標に掲げて。とてつもなく大きな目標ですが、私はできると信じていて、信じてくれるメンバーを集めました。

大学1年生から4年生までの大人をマネジメントするという部分、プロを目指す人とそうでない人がいるなかで全員のベクトルを同じ方向に向ける部分は、かなり難しかったです。難しいなかでも全員のベクトルが合った瞬間を感覚的に感じとれた瞬間があって、今でも忘れられません。結果的には、無敗でリーグ優勝という当初の目標を達成することができました。

ー何が原動力だったのでしょうか?

無敗で優勝するという目標に自分自身ワクワクしていて。ワクワクした目標を達成したいと思ったのが1番の原動力でした。また、ついてきてくれた選手たちを必ず勝たせたい・成長させたいという思いや仲間の存在も原動力となりました。

ー大学最後の1年間、監督業をして見えるものの違いはありましたか?

プレイヤーとしてピッチに立つことと、監督として自分以外の人を戦略通りに動かして体現してもらうことではまったく違いましたね。人が成長する瞬間は監督業をやっていて1番良かったと思う部分で、本当に楽しかったし、忘れられない経験です。

ー監督業の経験は、社会に出る上でどのような影響がありましたか?

監督としてチームをマネジメントした経験から、経営や起業することに興味を持ち始めました。大学卒業後に起業することも考えましたが、経営の知識も資金もなかったため、マネジメントをしっかり学びたいと思ったのです。

ー就職先ではマネジメントを学ぶことはできたのでしょうか?

若くして裁量権を任せてもらえるような会社で、ビジョナリー経営の経験や採用の経験をさせていただきました。なかでも、新卒の応募者が毎年数万人いるような会社での採用を見て学べたことは大きな経験でした。

ー現在の会社を起業しようと思ったタイミングはいつでしたか?

なぜ起業するのかという部分が大切だと気づいたときです。世の中で何のためにビジネスをするのかを考え始めて、自分にしかできないミッションがあることに気づきました。ミッションに対して燃え上がるようなマインドになって、当時所属していた会社のミッションと自分が解決したいミッションがずれているのを感じていましたね。

また、車や時計・スーツなど、男性の興味関心について取り上げている雑誌が昔から好きで。ただ、興味関心の部分を体現できる人たちがあまりいないことに気づきました。そこで、日本人男性のかっこいいのあり方を底上げしたいと思うようになり、現在のビジネスにつながっています。