仲間と本気で人生を生きるために。沢田直也の実現したい世界とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第796回目となる今回は、株式会社センキョ・沢田 直也(さわだ・なおや)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

4年間勤めた会社を退職し、自己実現のため日々奮闘している沢田さん。人生を懸けられる仲間と出会う過程で、大切にしている思いを伺いました。

本気で日本をよい国にするために転職

ー簡単に自己紹介をお願いします。

株式会社センキョの沢田直也です。政治家と有権者である国民の距離を近づけるためのプラットフォーム作りを行なっています。

ー政治に興味があって入社されたのでしょうか。

まったく興味はありませんでしたが、面接で「この会社の事業を成功させることができたら、日本全体をよくできるのではないか」と感じました。

自分には「最強のチームを作る」というビジョンがあり、それを達成する環境としても最高だなと思えたので、入社を決意しました。

バスケットボールにのめり込んだ高校時代

ーここからは幼少期について伺います。わんぱくだったとお聞きしています。

愛知で育ち、3人兄弟の末っ子だったこともあり、かわいがられながら自由に育ちました。両親もやりたいことをさせてくれたので、自分の決めたことを否定された記憶はありません。

小学6年生の時、学校で走り回って右足を怪我したことがあったのですが、嫌な顔一つせず夜間に病院に連れて行ってくれた時はありがたいなと思いました。

ー中学に進学し、壮絶ないじめがあったと伺っています。

目立っていたこともあり、半年から1年ほどいじめを受けていました。暴言やネットへの書き込みもありました。

ーいじめを受けていた当時はどのように行動し、乗り越えたのでしょうか。

僕自身が行動したというより、先生がいじめに気づいて親身に守ってくれ、徐々に減っていきました。仲良くしていた友達の存在も大きかったです。

高校の部活動はバスケットボール部に在籍されていたのですね。

高校に入学して、部活動を決める際に体育館でバスケットボールをしていた先輩を見て「かっこいいな」と思い入部を決めました。初心者で身長も低かったのですが、バスケットボールをしている時間が楽しく、朝にも自主練習をしていました。

誰よりも早く来て、体育館を独り占めする時間は最高でしたね。はじめは1人で練習をしていましたが、楽しそうにしている自分を見て、徐々に朝練習に参加するチームメイトが集まるようになりました。

そこから平日の練習と、土日の練習時間が増え、「どうすればチームが勝てるか」を話す時間が増えたのです。勝つという1つの目的のためにみんなで話し合って、チームのこと、自分のことを指摘してくれる仲間に恵まれたことは嬉しかったです。

ー仲間に対する思いが、中学生の時とは違うように感じます。

仲間と一緒に過ごした時間は濃密でした。熱量を高く持ち、自発的に練習に取り組めていたからこそ、自分が嫌われることを恐れず、言いにくいことを相手に伝えることの大切さを感じました。

「練習した分だけ上達を実感できたこと」「試合に出場することができたこと」、この2つが充実していたからバスケットボールに熱中できたのだと思います。

僕は身長が高くなく、高さを補うためにより練習で技術面を伸ばす必要がありました。コンプレックスを感じていましたが、努力が実り、最終学年ではレギュラーとして試合に出場することができました。