人生には無限の可能性がある!REHATCH・COO山崎源が考える、意思決定の重要性

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第774回目となる今回は、山崎 源(やまざき・げん)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

REHATCH株式会社の共同創業者兼COOとして活躍する山崎さん。学生時代のエピソードや、現在のお仕事、今後の展望などについてお話していただきました。

野球、海外経験、学生団体…多くのことに挑戦した学生時代

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

山崎源と申します。大阪出身で、就職を機に上京しました。

2020年の3月に独立し、マーケティング会社のREHATCH株式会社を設立して、現在創業3年目に入ったところです。採用を強化中で、現在、業務委託も含め30名程度の規模になりました。

ーまずは幼少期のエピソードから教えてください。どんなお子さんでしたか?

子どもの頃は、野球のことしか考えていなかったですね。小2から始めて、甲子園を目指すくらいに上手くなりたいと思っていました。バッターボックスに立って、球場の全員から注目される中で打つことが好きだったんです。

僕の住んでいた大阪は野球の激戦区で、高校生になると、大阪桐蔭など、強い学校や選手がたくさんいました。公立高校に通っていたので、私立高校には敵わず、いつも府大会ベスト8くらいで負けていましたね。

高校野球でちょっと燃え尽きた感があり、大学でも野球を続けてはいましたが、1年生の頃に肩を故障し、やめることにしました。

ー​​大学でほかに熱中したことはありますか?

大学2年生のとき、学生団体を立ち上げました。それまでは野球にしか目がいかなかったのですが、スポーツ以外にも本気で取り組んでいる大学生がいることに衝撃を受けて。副代表として、学生団体にのめり込むようになりました。東北ボランティアツアーや経営者セミナーの実施などをしていましたね。

野球で甲子園を目指していたときのように、僕は個人でやるよりもチームプレーが好きなので、周りと一緒に活動できてやりがいもありました。

ー​​その後は海外にも行かれたそうですね。

大学3年生の頃、1人でタイやベトナムに、1ヵ月バックパックへ行きました。最高の旅だったのですが、日本人と一緒にいてばかりで、英語はあまり上達しませんでしたね。

海外で働いてみたい気持ちはあったので、休学後、ワーキングホリデーでオーストラリアに行きました。仕事は、現地の求人サイトから応募しました。現地では、シドニーのシティエリアから3時間くらい離れた地域の大家族にお世話になりました。住んでもよいか交渉し、倉庫でよければ良いと言われて、10ヶ月滞在しました。

バックパックとは違い、日本語のない環境下で過ごしたので、英語力はTOEIC300点から900点へ伸びましたね。どこの国でもやっていける自信もつきました。成長のためには、伸びる環境のもとにいることが大事だと痛感しました

新卒入社後はマーケティングに携わる。3年で独立を決定

ー就活は日本で行ったのでしょうか?

そうですね。オーストラリアから帰国後、社会に出て自分のスキルを試してみたいと考えて、就活を始めました。

学生団体の活動では、SNSアカウントの運用や、集客のためのDM送付をしていました。広告も出したらもっと影響が大きいだろうなと考えていて、広告系に興味を持っていましたね。

卒業後は、サイバーエージェントグループへ入社して、企業の広告を含めたマーケティングに携わりました。1年目の秋には、外資系の大手スポーツブランドを担当し始めて。インフルエンサーのプロモーション、駅内や屋外の広告など、マーケティング全体を担当しました。このクライアントは、僕が退社するまで担当させていただけて、とてもいい経験になりました。

ーその後、独立を選んだのですよね。

サイバーエージェントのメンバーも雰囲気も、仕事も好きでしたが、事業の立ち上げの方により興味が湧いたんです。入社3年目の終わり頃、​​大学時代の学生団体代表とともに立ち上げました。

コロナ禍は立ち上げ当時、全く想定していなくて。1年目は営業活動も思うようにできず苦労しましたが、今は売り上げも伸びて、成長してきています。

ー立ち上げた会社のどこが好きですか?

1番好きなのは、意思決定で世界を動かすというビジョンです。僕自身、これまでの人生で、会社を辞める、ワーホリに行くなどの意思決定をしてきました。個人も会社も意思決定の積み重ねが大切だと思ってまして、、より多くの人が後悔のない、前向きな意思決定をできるように支援していくことに非常にやりがいを感じています。