全ては、自分がまず幸せを感じることから。見た目カウンセラー野島里奈の人生哲学

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第786回目となる今回は、野島 里奈(のじま・りな)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

スタイリストとして活躍する野島さん。学生時代のエピソードや、現在のお仕事、読者に向けたメッセージなどについてお話していただきました。

物心ついた頃からファッションが好き!信念を貫いた学生時代

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

野島里奈と申します。元不動産営業で、現在は、モデルさんの広告・CM用のファッションスタイリングや、一般の方にお洋服で魅力を引き出すためのカウンセリングのお仕事、あとは法人向けに、営業マンの服装講座もしています。

ーまずは幼少期のエピソードから教えてください。どんなお子さんでしたか?

物心ついたのが4歳頃で、その頃すでにお洋服が好きでしたね。自分でコーディネートも組んでいましたし、お小遣いがもらえる年齢になってからはファッション小物か服にしかお金を使っていませんでした。

当時は、衣装がお姫様みたいに可愛かったのをきっかけに、バレエを習っていました。特に、お姫様みたいなふわふわの衣装がすごく好きでしたね。普段は本当にぼーっとした子だったように思います。

ー​​その後もバレエは続けていたのでしょうか?

はい。大きな転機は、生まれたときに住んでいた神奈川から転校して、福島の、世界一有名な大会にも生徒を輩出する有名教室に通い始めたことです。この教室は、中学校に上がる前に、特別クラスに入るか入れないかのジャッジがあって。そこで入れなかったらその後はずっと入れない、厳しい世界でした。

当時、私は先生の話をぼーっと何も聞いていないのもあって(笑)、クラスで1番下手でした。でも、ずっと下手な自分に嫌気がさしてきて(笑)。「先生の話をそのまま全部実践してみたら、私でも特別クラスに入れるんじゃないかな。1回本気でやってみよう」と考えるようになったんです。

その後は、みるみる上達して、先生が驚きのあまり私の母親を呼び出して「何かあったんですか?」と聞かれるほどにまで成長したんです。結果として、狭き門の特別クラスに入れました。先生からは、親以上に厳しく教えていただいて。踊りはもちろん、ルールやマナーも含め、人として大事なことを教わりましたね。

この時期まではなんでも平均、平凡だったのですが、その頃から自分は本気でやればなんでもできると思えるようになりました。この教室には、また神奈川へ転校する13歳まで通い続けていました。

ー​​バレエに鍛えられたのですね。転校先はどうでしたか?

それが、入学したのが神奈川の中でもかなり荒れているヤンキー校だったんです。改造自転車で学校に入ったり、校舎の窓を破ったりと、昭和ヤンキーな風貌の子達がやりたい放題でした。

当時の事件は、友達が、いじめっ子集団のボスにいじめられていたことです。現場を見てショックでしたが、バレエで培った、「自分の信念を曲げないところ」を発揮して、いじめへ反抗しました。結果として、ボスや取り巻きたちから突然髪を切られたり、唾をかけられたりと集中的にいじめられるようになりました。

当時から、「自分の人生は自分が主人公」と考えていたため、自分の描く主人公像に忠実に行動していました。現実は辛い状況でしたが、何があっても屈しない、他にいじめられている人がいたら寄り添うなど、信念を貫いた経験ができたことは、ある意味幸せだったと思っています。

新卒入社後に挫折。自分らしく生きるために、キャリアチェンジを決意

ー社会人になって、初の就職先は不動産会社だったそうですね。

22歳で、不動産会社の法人営業部に入りました。投資用不動産を仲介するお仕事です。テレアポを毎日100〜200件してひたすら新規開拓する日々を送りました。

この頃は「社会人たるものこうあるべき」と勝手に解釈して自分の首を絞めてしまっていた時期でもあります。

まずは私の尺度をまっさらにして社会人としての考え方を学ぼうとしていたんですが、この方法が合わず体調を崩してしまうこともありました。

ー苦労されたんですね……。キャリアチェンジのきっかけについても教えてください。

不動産会社の先輩がイキイキと自分らしく働いているのを見て、「私もこんな風に働きたい」と影響を受けました。それと同時期に、いとこが、私が中学校のときに好きだったアパレルブランドのデザイナーになることが決まって。いとこの話を聞いて、趣味でいいかと諦めていたファッションこそ、私が本当にやりたい分野だと気づいたんです。

道ゆく人の服装をみては「私だったらこんなコーディネートするな」と想像するのが日課だった私がイキイキ楽しく仕事をするには、ファッションスタイリストが合っているんだろうなと考えるようになりました。

今ではSNSでスタイリストアシスタントを募集するのが一般的になっていて、私もSNSを通してアシスタントに応募し、不動産の仕事を続けながら、休日にアシスタント業をする毎日が始まりました。

まさに「プラダを着た悪魔」という映画のワンシーンのような、煌びやかなお洋服に囲まれた世界で仕事をするのは本当に夢のようでした。

自分らしく生きることを主軸に、そのためにはどんな仕事でどんな働き方をすると幸せなのかを考えることにより、今では本当に楽しく日々を送ることができるようになりました。

仕事は殆どの場合、人生の時間の大部分を占めるのだからその時が幸せじゃないっていうのは不幸な選択ですよね。幸せになることを諦めないこと、これが一番伝えたいことです。

ー現在はファッションのお仕事で活躍されているんですよね!

ありがたいことに、ファッション関連の複数のお仕事をいただいています。例えば、一般の方向けの見た目のカウンセリングでは、「似合うことももちろん大事だけど、自分の好きも大事にして」と伝えています。

最近、骨格や顔タイプの診断がブームで、似合う・似合わないが重要視されていますが、好き嫌いの感情を置き去りにして、似合うことに特化していると、本人にとってしっくりこないことも。その方の似合うものと、好きなものをすり合わせてワクワクする、幸せを感じるファッションをご提案しています。

ー複数のお仕事は、どれから始めたのでしょうか?

まずモデルさんのスタイリングから始め、一般の方へのカウンセリングを含めたスタイリングサービス、そしてビジネスファッション講座へと幅を広げました。モデルさんは既に自分の魅せ方をよくご存知ですが、一般の方は自分の良さを引き出す方法が分からない方もたくさんいらっしゃいます。一般の方も「自分ってこんなに素敵だったんだ!」と気がつけるためのお手伝いができたらと考えています。

これらは事業ごとに、それぞれ違ったやりがいがあります。モデルさんのスタイリングは、クリエイターとして「可愛い」や「洗練された雰囲気」を突き詰めて具現化できることが幸せですね。講座を含め一般の方へのサービスでは、その方が実際にお洋服を纏って自身が素敵だと気づいたときに、パッと顔が明るくなる瞬間がとても嬉しいです。