様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第565回目となる今回は、おこしやす京都AC代表の添田 隆司(そえだ・たかし)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
幼少期からサッカーを始め、東京大学では史上2人目のJリーガーとして活動。その後京都おこしやすACでスタッフとなり、現在は代表を務めている添田さん。今回は添田さんがサッカー選手になった経緯や、プロスポーツ業界の未来についてお話しいただきました。
幼少期からサッカーを続けるも、センスがないことに気づく
ーまず簡単に自己紹介をお願いします。
おこしやす京都ACの添田隆司と申します。東京大学を卒業後、東京大学では史上2人目のJリーガーとして、J3の藤枝MYFCでプレーしました。
その後おこしやす京都ACに移籍となり、現在はおこしやす京都ACで活動をしています。
ーサッカーを始めたきっかけを教えてください。
通っていた幼稚園にサッカースクールがあったからです。サッカースクールに通っている子たちが楽しそうだったので、自分もやってみたいと思って始めました。
ー幼少期に印象に残っている出来事はありますか?
小学校のころに所属していたチームは強豪チームで、5年生までずっと試合に出れませんでした。
小学6年生の時にコーチが変わるタイミングで、これがラストチャンスと思い、「どうやったら試合に出られるだろうか」と考え、ようやくレギュラーで試合に出ることができました。工夫して取り組んでいけば、成果も出るんだと自信に繋がりました。
中学時代は人生の中でサッカーに一番時間を割いた時期だったのですが、少ない練習量の中でどんどん上手くなっていく選手を見て、「自分はサッカーのセンスがない」と感じました。
ーサッカーにもセンスってあるんですね。
同じ練習をしていても、すぐできるようになる人もいれば、僕のようなセンスのない人間は、できるようになるのに時間が掛かっていました。サッカーに掛けた時間に対して、センスのある選手に比べて出来るようになる幅が大きくないというのは、ずっと感じていました。
ーそれでも練習を続けられた理由は何だったんですか?
当時思っていたことは、「絶対にセンスのあるやつには負けたくない」ということです。技術が全てではない部分もあるので、上手くなれるように努力しながら、サッカー選手として「いい選手」になれるように意識していました。
ー添田さんにとって「いい選手」とはどんな選手だと考えますか?
チームを勝たせられる人がいい選手だと思っています。技術面が優れているからチームを勝たせられるわけではなく、本当にチームに求められている選手というのは、例えばチーム全体のために走ることのできる選手など、チームの足りないところを補ってくれる選手だと考えています。
サッカーと勉強を両立し、東京大学に合格
ー高校に進学後もサッカーを続けられたんですよね。印象に残っている出来事を教えてください。
クラブユース選手権で勝ち上がるのは、Jリーグのユースチームがほとんどです。僕が所属していた横河武蔵野FCユースは強かったものの、あと一歩のところで負けていました。
高校2年生の時に全国大会出場を掛けた決定戦まで進み、浦和レッズユースとの試合で勝つことができました。
ー勝てた要因は何だったと思いますか?
粒ぞろいのメンバーが多かったというのが1つの要因でした。あとは月並みですけど、チームとしてまとまっていたと思います。
Jリーグのユースに所属している選手は、センスのある人たちの集まりだったので、勝つのは難しいのではないかと思っていました。絶対に勝てないと思っていた中で勝利を収めることができたので、自分にとっては大きな経験でした。
ー引退後に猛勉強して東大合格されたと思いますが、受験を通して得られたものはありますか?
最初にセンター模試を受けた時は5割しか点数を取れなかったのですが、「こうすれば点数が伸びるのではないか」と仮説を立てて勉強を進めて、運もよかったのか合格することができました。
しっかりと目標設定をして、戦略的にコツコツと積み上げていけば、どんなことも達成できるのだなと大きな学びになりました。
―東大での学校生活はいかがでしたか?
ずっとサッカーをしていました。ずっと学校と別のクラブチームでサッカーをしていたため、学校が同じ仲間とサッカーをするのが人生で初めてで、とても楽しかったです。
ー卒業後の進路はどのように考えていましたか?
自分の実力だと、プロの舞台で続けることはできないとわかっていたので、大学卒業を機に、サッカーには区切りをつけて就職しようと思っていました。
当時は海外に興味があったので、総合商社を中心に就活をして、三井物産に内定をいただくことができました。