様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第728回目となる今回は、木村 文哉(きむら・ふみや)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
高校卒業時にカンボジアに渡り、大きな価値観の変化があり、支援団体の立ち上げや新規事業を立ち上げなど様々な活躍をされてきた木村さんの生き様に迫りました。
受験の失敗、高校を卒業後にカンボジアへ。価値観に大きな変化をもたらす
ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
大学卒業後ファスナーメーカーに入社して調達、購買を担当していました。リクルートに転職し新規・既存の営業を担当し、2度目の転職ではPR会社で食品メーカーのPRを支援しました。その後、SNSでインフルエンサーを活用し新規事業を立ち上げて、現在はライフェックスのセールスチーム立ち上げのミッションに参加しています。
ーまず、過去のお話をお伺いしたいのですが、高校受験に失敗してしまったとお伺いしました。そのときはどんなお気持ちでしたか?
高校受験に失敗して行きたい学校に行けなかったことが悔しかったです。この経験が今後のキャリアの大きな転機となりました。
ー人によっては大きな変化になり得ますよね。
僕が行きたかった高校に友人が行っている姿を見て反骨精神のようなものが芽生えました。何か大きなことをやってやろうという気持ちまではありませんでしたが、当時は大学進学に意味を見出せず就職への気持ちが強かったです。
世界史の授業でカンボジアの歴史に興味を持ち、自分のやるべきことを見つけることができました。
ー高校を卒業してカンボジアにいくのは珍しい選択だと思うのですが、不安や躊躇はありませんでしたか?
自分の中では楽しみが大きかったです。周囲は心配していたと思いますが、自分なりの覚悟がありました。世界史の先生が日本人は「平和ボケしている」と言っていたことを聞き、知らない世界を直接自分の目で見て確かめたいと思いました。
ー高校を卒業してからどれくらいの期間カンボジアに行かれたのですか?
高校を卒業してから8ヵ月間です。働きながら知らない価値観に触れ、勢いのある発展途上国から刺激を受けました。日本から支援団体が来ていてコーディネーターの仕事のお手伝いを経験し、このような仕事をしたいと思いました。
ー行った後と行く前で気持ちの変化はありましたか?
日本は多くの人が大学まで行けますが、カンボジアでは小学校ですら行けるかわかりません。学べる環境が少なく、子供のころから働いている姿を目の当たりにしました。学びたいことを学べる日本は恵まれていると感じることができました。
ーカンボジアの生活を目の当たりにして、日本でやってみたいと思ったことはあったのですか?
ふたつあって、ひとつは恵まれている環境だからこそ大学に行こうと思いました。もうひとつはカンボジアの支援団体を立ち上げることです。
大学進学、支援団体の立ち上げ
ー大学のときはどんな活動に取り組まれましたか?
カンボジアの教育問題を解決するために支援団体を立ち上げました。既存のものだとコネクションや活動に縛られると思い、ゼロから立ち上げることに関心がありました。
ー支援団体を立ち上げるときに難しさや困難はありましたか?
企画を考えた中で、誰のためにどのような支援をしていくかをコーディネートしていくことが難しかったです。当時は5人でやっていたので、立ち上げのハードルは高くなかったと思います。
ー学生団体を立ち上げてからはどういった活動をされたのですか?
現地の小学校で運動会を開催しました。カンボジアの学生と一緒に作り上げることに重きを置いていました。