挑戦することを恐れるより挑戦しないことを恐れるべき! 木村文哉の人生の挑戦とは

大学卒業後にファスナーメーカーに就職

ー大学卒業後の就職活動の軸はどのようなものでしたか?

海外で働ける環境に憧れがあり、海外に駐在できる日本企業を軸に就職活動をしていました。

ー海外という軸は持っていたんですね。社会人1年目に働いてみてどうでしたか?

新卒でファスナーメーカーに入社して、世界を代表する企業ということもあり、スケールの大きな仕事に携わることができました。一方、1年目は会社を理解することから始まり、商品の製造工程を学ぶなど、何度も工場に通う泥臭い仕事からスタートしました。

ー入社前と入社後でギャップはありましたか?

大企業で安心感はある一方で、保守的な側面もあり自分自身が主体的に動きにくく、本来の自分の力を発揮することが難しい側面もありました。

ー入社してから何かを立ち上げようという気持ちはありましたか?

何かできることはないかと考えて行動していました。

コワーキングカフェの立ち上げそして転職

ーコワーキングカフェの経営はどういった経緯でされたのでしょうか?

2020年の3月ごろからコロナが流行し始めたことで、学生時代のアルバイト先の飲食店の知り合いから、一時的にお店を閉めると連絡がありました。

飲食店は大学生の働き口の大部分を占めています。その人たちの働き口を確保するためにカフェというアイデアを思いつきました。飲食店が18時からオープンなので、使っていない時間をカフェとして使わせてもらおうと思ったことがはじまりです。

ー経営は難しいですか?

かなり難しいです。大きく分けて2つの課題がありました。1つ目は「集客」です。コロナ禍において「外出」のハードルが高くなり、店舗型経営の難しさに直面することになり、SNSを活用してどのように認知を拡散して集客できるかを考えました。

2つ目は「マネジメント」です。私は東京で働いていますが、カフェは名古屋にあります。遠隔でどのように従業員のエンゲージメントを高めることができるのかを考え、一人ひとりに向き合い、働き方にこだわりました。

ー実際手応えや掴んだものはありましたか?

インフルエンサーの活用による認知の拡散の影響は大きかったです。

ーSNSの運用をしてみて難しかったですか?

最初は難しく、日々ネタを考えるのが大変でした。現在は従業員にほとんど一任しています。コロナ禍でなくても競合はたくさんあり、どう呼び込むかが課題だと思っています。

ーカフェとコワーキングスペースには学生さんは多くこられたのですか?

ふらっと学校の課題をしに来てくれます。従業員から、学校のリモート授業をカフェで受けることがあったという話を聞いて、そのような役目もあるんだなと新しい発見もあり面白く思いました。

ー木村さんは成り行きでやってみようと思うタイプですか?それとも責任感から動くタイプでしょうか?

どちらもあって自分のよくないところなのですが、刹那的な行動をしてしまうことがあります。ただ、興味関心を持ったことはやるからには責任を持ってやるので、やめることや途中で投げ出すことは一切しません。

ー自分のよくないと思うことや自己分析というのは振り返りで見つけられたものですか?

自己分析しながら「なんでこんな行動を取るんだろう?」とよく考えています。

ーそこからリクルートに転職されたのですね。

ゼロベースからでも営業力や社会における基本的な能力、主体性などを学べる会社であったため、入社しました。

ー木村さんは立ち上げやゼロイチが得意そうだと思いましたがいかがですか。

社員の方々も、主体性を持った人たちが多い会社だったため、まだまだだと思っていました。そういった人たちから刺激をもらいながら働きたいと思い入社しました。