多くの人がより幸せに生きる社会を。露口啓太が大切にするWell-beingの考え方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第521回目となる今回は、金沢大学医薬保健学域4年の露口啓太(つゆぐちけいた)さんです。

テクノロジーを用いて、多くの人がより幸せに生きる社会の実現を目指す露口さん。医療ビッグデータと機械学習を用いた疾患予測システムの研究をおこない、現在はWell-being向上のプロダクトを開発中です。

なぜ「医療」と「機械学習」を組み合わせた医療AIの道に進み、メンタルヘルスをよくするSaaSプロダクトを開発するのか。露口さんのこれまでの人生と、Well-beingで幸せに生きるためのヒントを伺いました。

幼少期から知的好奇心を持って、どんなことにも取り組んだ

ーはじめに、自己紹介をお願いいたします。

金沢大学医薬保健学域4年の露口啓太と申します。現在は休学中で、事業立ち上げの準備中です。元々は日本とアメリカで医療AIの開発研究をしており、僕自身もプログラマーとして開発しています。また、テクノロジーを用いてより多くの人が健康かつ幸福に生きられる社会を実現するために、メンタルヘルスやWell-being領域のプロダクトを開発中です。

ー大学での専門は医療分野かと思いますが、テクノロジー系の分野も大学在学中に追求されたのでしょうか?

そうです。大学1年生のときにプログラミングを始めました。医療系の専攻でしたが、AIを使って医療の諸問題を解決したかったので、テクノロジーやプログラミングを学ぶうちにポテンシャルがあると感じ、興味を持ちました。

ーここからは、露口さんが医療AIに至った背景や転機をお伺いできればと思います。まず17歳でアメリカのシリコンバレーに行かれたそうですが、その経験に至ったきっかけを教えてください。

僕の母校は、文部科学省指定のスーパーサイエンスハイスクール(以下、SSH)でした。その関係で僕の在籍していた理数科では、高校2年生のときにアメリカのシリコンバレーで研究するプログラムがありました。そのため、自分で頑張って掴んだというよりも、家から近くて通いやすい進学校で、すでに用意されていたプログラムに参加したという流れです。

ー露口さんはこれまでも興味関心を持って行動できるようなタイプでしたか?どんな環境で幼少期を過ごしていたのかをお伺いしたいです。

幼少期から知的好奇心が強いタイプでした。なぜかというと、小さい頃から様々な習い事をさせてもらえたことと、兄の影響があったからです。習い事は水泳、ピアノ、習字、英会話、小学校のクラブ活動など、親から勧められたものをやっていました。兄の影響という面では、小学生の時から大学の教授や博物館の館長と石を拾いに行くような知的好奇心の強い兄の姿を見て憧れていました。それに、通信教育で勉強していたのもあって、自分で何かを勉強する習慣が身についたと思います。

高校時代や浪人経験が、今の興味分野につながるきっかけに

ーアメリカのシリコンバレーでは、実際にどのようなことをしていたのですか?

約1週間の滞在期間中、スタンフォードやUCLAといった有名な大学を訪問したり、NASAの旧スペースシャトル打ち上げ場に行ったり、最先端で活躍する研究者とお話ししたりする機会があって楽しかったです。海外の文化に触れ、みんなオープンでとても楽しそうに生きている姿を見て素敵だと感じましたね。

ー価値観が変化する時間だったのですね。また、高校時代に酢酸菌の研究をされていたそうですが、詳しく教えていただけますか?

SSHの高校だったので、高校2年生の8月から高校3年生の6月まで研究をして、最後に論文を執筆しなければなりませんでした。酢酸菌の研究をしたきっかけとして、僕の地元である香川県で約300年続いているお酢の醸造所があります。それまでどの研究分野にも興味を持てなかったのですが、担当の指導教員に「お酢醸造で困っている技術がある」と教えてもらいました。実際に現場に行ってみたら案外おもしろくて。

そもそもお酢は米と水とアルコールと酢酸菌を入れて、2, 3ヶ月間そのまま寝かせて醸造すれば出来上がります。ただ、酢酸菌は温度変化に弱く、38度に保たないと死んでしまうんです。特に冬は寒いので、温度を保つのが大変なんですよね。仮にその菌が死んだとしたら、すでに保管してある菌があればなんとかなりますが、その菌を培養できなければ意味がありません。そこで、ゲノム解析や遺伝子解析、シークエンサーを使って菌の詳細を特定し、どうすれば培養できるのかを細胞実験する研究をしていました。

ー酢酸菌の研究をされて、実際に得られたものはありましたか?

国際学会で日本学生科学賞を受賞し、香川県内でも最優秀賞を受賞しました。さらに、お酢ができるメカニズムを突き止めて、生物学的に循環する様や培養方法も見つけることができました。自分にとっても、テクノロジーや研究そのものに対して興味関心がさらに湧いたように感じます。また、担当教員が博士号を取得している研究畑の方だったので、分析能力や論文を書く力も身につきました。アカデミアとはどういう世界なのかも、高校生ながらに感じられた機会だったと思います。

ーそうすると、その経験も大学の進路選択に反映されたのでしょうか?

実は、人生をかけてお酢の研究をしようとまではならなかったんですよ。でも他にやりたいことがあったかというと、そうでもなくて。僕は医療関係の家庭で育ったので、基本的に医療以外に目を向ける機会があまりなかったんです。そのため、安定した医療の道に進むことにしました。

ー高校を卒業されてから、悩まれた時期があったそうですね。

はい。浪人中に自分は結局何をしたいのかわからなくて、悩んだ時期がありました。価値を発揮できていない自分にもやもやして、生きる意味を考えては哲学書を読んだこともありましたが解決できなかった。そんな迷走している僕に、高校時代の友人たちがご飯を奢ってくれたんです。彼らにとっては些細なことだったかもしれませんが、なんの価値も発揮できていない僕に対して、同級生がよくしてくれることが当時の僕には衝撃でした。僕も誰かのために何かをしてあげられる人生にしたいと思いました。この出来事が、Well-beingのような社会課題に興味を持つきっかけになったように感じます。