デザインの力で課題を解決!渡邊優に学ぶ、人生における“縁”とは

大手人材会社に就職するも、クリエイティブ業界にキャリアチェンジ

ー大学でマーケティングを学んだ後、新卒でどんな会社に就職をしたのでしょうか。

就職活動ではいろいろな業種にチャレンジしました。どんな業界でもチャレンジしたい感覚や、何をしても楽しそうが就職のときのマインドでした。

もちろんマーケティングや広告の仕事にも興味はあり、いずれはやっていきたいと思っていました。しかし、新卒として入る会社は大きい組織に入りたい思いがありました。

社会人として自分を鍛えたかったのもあり、めいっぱい奔走できる組織に入ろうと一番最初は人材系の広告会社への就職をはたします。仕事内容としては、人手の不足している企業や店舗に、求人広告の営業をして、人材不足を改善する仕事でした。

ー実際に働いてみていかがでしたか。

売り上げ目標達成を目指し、営業に全力投球する日々で、1日100件の架電や飛び込みなどゴリゴリの営業をしていました。お客さんとのコミュニケーションがすごく好きでしたし、大手企業にいることで得られた経験もたくさんありました。

しかし、毎日形式の決まった商材を売り続けるなかで「自分が提案している商材が、お客さんの抱えている本質的な課題解決につながっているのかな?」と疑問を抱きはじめます。

お客さんの課題は会社によって異なるのに、同じものを提案する日々に葛藤していました。

ー異なる業界に転職しましたが、その理由を伺えますでしょうか。

結局、最初に入った会社は1年で辞めました。初めは「どこで働くか」を意識して会社を選びましたが、1年間社会人を経験してみて自分にとっては「何をするか」が重要だと気づき、意識するようになったのです。

その結果、0→1の創造が出来るクリエイティブの仕事をしたい感情が芽生えました。顧客によって抱えている課題が異なるように、お客さんにとって本当に価値あるものをゼロベースから生み出し、価値を最大化できる仕事に就きたいと考えたのです。

2社目に行った会社は、商業空間のデザイン会社でした。お客さんを集めるための空間をどう作り込むか、サービスを訴求するためにどう魅力的に伝え空間に落とし込むか、戦略から細かなクリエイティブ設計まで総合的に提案し、作り込んでいく仕事です。

業務範囲は多岐にわたりますが、お客さんを深く理解した上で、会社毎にあった提案をするのは自分にとってすごくしっくりくるものがありました。

ー新しい職場やクリエイティブの業界はどうでしたか。

転職先の会社は、求人広告上はデザイン学校卒やデザイン会社での実務経験が必須とありましたが、何か惹かれるものがあったのです。

面接時、面接担当者に「営業の経験はあるので売上に貢献することを約束します、デザインはやりながら感覚を覚えていくのでこの会社に入社させてください」とお願いし、その熱意を受け入れてもらえました。

それまで大企業にいて、数字をあげる営業だけに奔走していたため、ものづくりをビジネスにする難しさや、0→1をつくりあげるプロジェクトのマネジメントスキル、デザインのいろはなど学ぶことが多すぎて毎日筋肉痛の状態で大変でした。

しかし、1年目の社会人経験で感じていた葛藤を、自分の行動で納得のいく結果と成果に変えていける楽しさが勝ったところがあります。思い切って新しい業界にチャレンジしてよかったと、私の居場所はここにあると身をもって経験できました。

組織の買収・解散を経てフリーランスとして独立

ー26歳のときに2度目の転職をしていますが、なぜ転職に至ったのでしょうか。

天職かもしれない、と思った2社目の会社規模は20名ぐらいの組織です。営業や企画、デザインコントロール、提案、複数のベンダー選定、仕入れ発注業務、現場監督から運営管理、利率のコントロール、請求書発行まで全てを自分が担当していました。会社でかなり濃厚な時間を過ごしていました。

当然一緒に働いている会社のメンバーと過ごす時間も長く、家族よりもお互いを知っている関係値で、切磋琢磨して働いていましたが、ある日突然会社が買収されます。

先々月まで「みんなで意識を高め合いながら頑張ろう」といっていた矢先に、こういう予期せぬ事態に出くわすことってあるんだなと衝撃を受けましたが、これもひとつのきっかけなのかなと思いました。

自分が新しいフェーズに進むために訪れたチャンスと捉え、これを糧にまた新たなチャレンジをするマインドに繋がったのです。

ー2度目の転職を経て、ご縁をいただいた場所はどんな環境ですか。

2社目は「自分が何をするか」にすごくこだわって転職をしましたが、その次は「誰と働きたいか」を意識するようになりました。私は人生は時間であり、時間は命そのものだと思っています。

人生の大半を占める仕事の時間で「誰と何をするか」はとても大事だと考えています。スキルを追求するうえで、よりプロフェッショナルな人がいる環境に身を置きたいと感じていました。そこをひとつの着眼点として持ち、少数精鋭のクリエイティブスタジオに転職します。

3社目は6名程度の小さな会社で、クリエイティブのプロセスを大事にし、血の通ったクリエイティブワークを行う制作会社でした。

空間に限らずWebクリエイティブや、実店舗を持ちながら自社でもプロダクト制作を行う稀有な環境で、クリエイティブの仕事の幅を広げられる会社でした。

ーそこからフリーランスの働き方に変わったのはどんなきっかけがあったのでしょうか。

3社目に転職した会社では、入社後、コロナの情勢も合間って組織が解散の運びとなり、私を含めたメンバー全員がそれぞれ同意の下、新しい進路へとコマを進めることが決まったからです。

決して長い期間ではありませんでしたが、私はこの会社で培ったスキルや濃厚な時間、働き方が今の自分を形成しているといっても過言ではありません。

世の中に新しい価値を生み出すために、命を削ってものづくりをしている人達が周りにいたからこそ、学べることがすごく多かったです。

こうして、立て続けに組織の買収から解散を経験したわけですが、この時既に、私の人生で何が起きてもあまり不安や恐怖はありませんでした。次はどんな人生にしようかなと、俯瞰的に自分を捉え、楽観的に考えていたのです。

もうこれまで、だいぶ仕事に突っ走ってきたし、1年間くらいは人生の夏休みを作ってもいいなとも考えたのですが、そんな間も無く、これまたとあるご縁をきっかけにフリーランスへと転身を果たします。転職ではなく、独立を決意しました。

ーフリーランスとして働こうと考えたのは何かきっかけがあったのでしょうか。

きっかけは2つあります。1つめは、組織解散のタイミングでこれまで取引のあったお客さんや、外部の仕事仲間からオファーをいただき、自分を気にかけてくれる人がいてくれる事実に前向きになれたからです。

人の優しさに触れ、求めてくれる人がいるなら自分ができることを最大限に提供したい気持ちになりました。

2つめは、次を考え始めるタイミングで、たまたま再会した学生時代の旧友に「お前は企業勤めには向いていない、組織に所属しないで自分の力でやってみろ」と背中を押してもらったからです。

正直、臆病者の私には独立の選択肢はそのまだなかったのですが、すでにここまでいろんな現象に遭遇してきた私にとって「フリーランスになる」選択は、逆らえない運命のような気もしました。

トライしてみてもいいのかもしれないと自分の中で受け入れられたので、動き始めました。