共に生かし合う社会づくりを。新規事業支援が豊富な坂地航汰が目指す世界や価値観とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第514回目となる今回は、株式会社COLBIO代表取締役CEOの坂地 航汰(さかちこうた)さんです。

鹿児島県の知覧を訪れた経験から命の尊さを実感し、自分の人生を全うしようと決意した坂地さん。同じ時期にコーチングに出会い、パーソナル英語サービスのリリースや新規事業の立ち上げ支援をおこないます。現在は株式会社COLBIOを設立し、地球上の社会課題を解決するためのプラットフォーム構築をおこなっている坂地さんに、これまでの歩みや大切にしている価値観を伺いました。

コーチングやコンサルティングとの出会いは19歳

ーまずは、簡単に自己紹介をお願いいたします。

株式会社COLBIO代表取締役CEOの坂地 航汰と申します。会社で携わっている事業として、主に3つの領域があります。まずは、建築・空間デザイン領域。企業のオフィスや一般の住宅空間デザインや内壁の塗装をおこなう事業です。次に、組織コンサルティング領域。企業様向けにマネージャーの育成や研修をおこなっております。最後に、トータルブランディングの領域。主に地方創生の文脈で、現在は山口県萩市や三重県の伊勢や伊賀地域で活動させていただいております。

ー3つの領域で事業をされているのですね。最初に立ち上げたのはどの事業でしょうか?

最初は組織コンサルティングの領域から始めました。19歳のときに初めてコーチングのコンサルティングに出会い、基礎的なコーチングの考え方を学ばせていただいたのがきっかけです。

ー19歳のときに、どういったきっかけでコーチングに出会ったのですか?

当時、関わっていたプロサッカーチームのマーケティングや将来の展望を、コンサルティング会社の方にお話しする機会がありました。その際に僕のことをおもしろいと感じていただき、コンサルティングの仕事を通じてコーチングに出会いました。

ーコンサルティング会社ではどのようなことをされていたのですか?

アメリカのコンサルティング方式を日本版にローカライズすることで、経営者や役員が心から描きたい未来に対して、戦略立案から目標達成や問題解決までサポートをする会社で働きました。コンサルティングとコーチングの型を学んだあとは、自分で営業する実戦形式でした。知り合いが誰一人としていない状態からスタートし、企業の社長を紹介してもらいながら営業活動をして、契約から一年間のコンサルティング提供まで一気通貫でおこなっていました。

生きていることは当たり前ではない。命の尊さを知り価値観が変化

ー19歳のときに、坂地さんの価値観が大きく変わる出来事があったそうですね。

はい。鹿児島県の知覧という地域を訪れる機会があったんです。知覧は第二次世界大戦時に、特攻隊の方々が特攻の準備をしていた場所です。知覧特攻平和会館には、僕と同世代で特攻で散ってしまった方々の手紙がたくさん残されていました。そこで命の尊さを知り、生きていることへの罪悪感からしばらく号泣しました。僕も含めて自分の人生を全うできる人や、人生に価値を見出せる人を増やしたいと思ったタイミングでコーチングに出会ったんです。今の僕に必要なものはこれだと感じたので、コーチングの世界に飛び込みました。

ーとても大きなきっかけですね。それまでの坂地さんは、どのような人生を過ごしていたのですか?

幼稚園から高校を卒業するまで、サッカーに熱中していました。高いレベルでサッカーができる環境にいたので、プロのサッカー選手を目標にしていた時期もありました。ただ、高校では怪我や喘息でなかなかプレーができなくて。高校三年間は特に夢がなく、生きていることが苦しいと思う時期もありました。おそらく、生きる意味や自分自身について悩んでいたのだと思います。

ー当時は、悩みながらも何か行動していましたか?

本をたくさん読みました。小学生のときから、人が生きている理由が不思議だったんです。そのため、小説から漫画、哲学の本まで様々なジャンルの本を読みましたが、どうしても自分の解釈に落とし込めませんでした。

ー自己分析がうまくいかないときは、本屋さんのどのコーナーに自分がよく行くかで興味関心がわかりますよね。

すごくわかります。21歳のときに、少し辛さを感じたであろう時期があったのですが、当時は無意識にビジネスや自己啓発コーナーに足を運んでいました。そんな自分に気づいて、自分が嫌になったときもあります。

ービジネスや自己啓発コーナーに向かう自分が嫌だったのはなぜですか?

人生を豊かにするものは、ビジネス領域だけではないと思いました。それなのに当時の僕は、ビジネス領域で成果を出すことしか考えていませんでした。自分の見えている世界が狭くて嫌に感じていたんだと思います。

ーそのことに気づいてから変化はありましたか?

アートや建築の本、日本の絶景が掲載されている本などを読むようになりました。右脳的な世界観を意識的に取り入れることで、様々な世界があることを知りました。

ー先ほど21歳のときに辛さを感じたとおっしゃいましたが、何かあったのでしょうか?

仕事上はうまくいってたと思いますが、心身の不調を感じるようになってしまって。自分と対話する時間がとれていなかったのかもしれません。それにその頃、周囲でも生きる意味がわからない、辛いといった言葉を聞くことが多かったです。僕はコーチングという職業をしながら、何も伝えられなくて。経済発展の裏側で苦しんでいる人たちがいる一方で、僕の力では解決できない。本当に無力感で、理想の世界と現実のギャップについて考えることが増えました。

ーそこからどのように立ち直ったのでしょうか?

実は昨年の春に父が脳梗塞で倒れてしまい、建築領域の家業を継ぐことになりました。さらにコロナの影響もあって、ある月の家業の売上がゼロになってしまったんです。職人さんたちもいるので、お金を稼ぐために建築領域のチームづくりや収益を上げる仕組みを開発しなければならず必死でした。自分の家族や大事に思える人の笑顔を守り、幸せをつくり続けるために闘っていたら、新しい考え方が身について自然と立ち直っていました。

ーこれまで悩んでいたのは、大きな世界観や構造において人を不幸にしてしまうかもしれないという部分なのかもしれないですね。ただ、家業を継ぐことは資本主義の世界で生きることになると思いますが、その点は割り切れるようになりましたか?

たしかに、僕は今も資本主義構造の中で生きています。資本主義に苦しみを感じるとはいえ、この世界で生きていくには資本主義の中でどうにかするしかないと理解できるようになりました。それに今では、資本主義領域とポスト資本主義領域の両輪を常に回しながら生きられるようになったのが大きいです。少し前の僕は資本主義の世界でビジネスをしていて、経済性も追うけど新しいサステナブルのモデルにどうやったらできるのかを考えていました。そうすると、現実世界とのギャップを常に感じる人生になってしまう。そこで、資本主義の世界で価値を提供し続けることと、仮説検証をしながら新しい経済システムを考えていこうと思ったんです。この両軸に関われるようになったことで、楽に生きられるようになりました。

課題解決のために。地球上で提供可能なプラットフォーム構築に向けて

ーポスト資本主義の話に興味があるのですが、坂地さんがそのような経済圏をつくっている途中だとお聞きしました。

はい。ポスト資本主義は、ヒト・モノ・カネ・情報・衣食住といった資本を各地域でシェアしながら発展させていく、いわゆる共同資本(コモンリソース)という考え方です。それを前提に現在取り組んでいるのは、各国各地域の課題フェーズに合わせた課題解決を共同資本を通して提供することで、新しい国家の発展につなげていくことです。僕自身それに可能性があると感じて、現地の方々とどうすれば実現できるのかを話し合っています。

ー具体的にどういったものなのかをお伺いできますか?

例えば世界を見てみると、先進国といわれる国とこれから発展していく国があります。それぞれ経済面と精神性などの切り口から見ても、例えば日本が今抱えている課題が、同じく現在のパキスタンの課題ではありません。パキスタンが成長した20〜30年後に、今の日本と同じ課題にぶつかるかもしれない。それらの課題を解決していこうと考えています。

ー解決策の主な方法はなんでしょうか?

最初に取り組むべきものは、一次産業の発展や強化、教育、それに付随した各国地域のカルチャー情勢、この3領域だと考えています。それらをすべて提供できるプラットフォームを現在構築中です。

ープラットフォームをつくるのは、ものすごい膨大なリソースが必要だと感じました。一次産業に着目した理由を教えてください。

付加価値をつけられる可能性が十分にあり、興味深い領域だと感じたからです。三重県の伊勢を訪れた際に、自然農法で農業をされている方とお会いしました。大企業と連携して、西アフリカ地域で間伐した砂漠地域の中で自然体の森を再現し、そこで農作物が取れるのかといった仮説検証をされている方です。

地球には土と海と山があり、その3つの循環で自然は成り立っているそうです。農薬を使えばそれが海に流れ、蒸発して雨となり山が枯れてしまう。山が枯れると土壌が悪くなる。そのようなお話を教えてもらうなかで次第に、理想の一次産業の在り方とは何か、各国が一次産業を発展させるためには必要なものは何かという問いを持つようになりました。

ー現在、プラットフォームではどういったものをつくっているのでしょうか?

技術者と連携して、研究所(ラボラトリー)をつくっています。そこで、食品廃棄物やジュースの搾りかすを再利用して、付加価値をつけた新しい商品をつくる「アップサイクリング」を実行しようとしています。フランスだと有名な手法で、それぞれの植物や果物の成分などの情報を活かす研究を進めている段階です。

大切な人に言葉で伝えて、生きている瞬間を大事にしてほしい

ーこれまで新規事業の立ち上げに関わってきたそうですが、主にどういったことをされていたのでしょうか?

たくさんの新規事業に関わりましたが、主な取り組みのひとつとして「日本にかっこいい大人を増やす」をコンセプトに、英語とコーチングを組み合わせたパーソナル英語サービスの事業を立ち上げました。日本に生き方がかっこいい大人が増えれば、僕ら世代にとってもいい影響を与えるのではないかという仮説を持っていました。そのため、日本から世界にチャレンジし続けられる環境や人が増やすことが目的でした。

ー英語を選んだのには理由があったのですか?

やはり日本人の課題のひとつが英語の習得だったこと、そして僕自身が第二言語の習得に関して知見があったことが結びついたからです。「自分ができること×こうであってほしいこと」の組み合わせが英語でした。

ー実際に、英語とコーチングの事業立ち上げに取り組んでどのように感じましたか?

早い段階で、自分の事業がうまくいく経験ができたことは自信につながりました。それに、日本人が起業をする際に、日本というマーケットに加えて海外マーケットを前提に起業をしてほしいと感じるようになりました。今後自分としてはさらに、社会課題に直接的なアプローチができる一次産業に時間を使いたいと考えています。

ーやはり新規事業を立ち上げることに関心があるのでしょうか?

関心はあります。発想してコンセプトをつくり、戦略を描くところまでが僕の得意なことであり、好きなことだと思います。

ーゼロベースからスタートすることが難しいと感じる方が多いと思うのですが、坂地さんが意識的にとる手法はありますか?

新規事業に取り組むときは、意識的に課題から入るようにしています。トレンド的には、自分の好きなことに取り組む傾向がありますが、課題解決を目的とするサービスのほうがニーズがあると感じます。そのため、新規事業を立ち上げる際には必ず、社会からの視点からみた「課題の本質は何か」と、起業家の視点から「本当に解決したい課題は何か」という二つの問いを投げかけて徹底的にヒアリングをします

そうすると、これまで課題と思っていたものが、本当は課題ではなかったと気づくことが多々起こるんです。僕としては、起業家たちのコンセプト、想いや志をヒアリングして言語化し、本当に伝えたいメッセージや課題は何かをすり合わせて伴走することを心がけています。

ー初期段階は様々な人たちを巻き込んでいく必要があると思いますが、坂地さんはどのようなスタイルで巻き込んで事業を進めていますか?

「こんな世界があったらいいよね」と、ビジョンベースで相手に伝えています。人を巻き込む際にはロジカルに話をするよりも、課題を乗り越えた先にある本気で実現したい世界を共有し、この部分を手伝ってほしいという伝え方をします。

ーそのビジョンに共感する方が仲間になっているのですね。最後にU-29世代に向けて、これから生きていくためのアドバイスをお願いいたします。

今この瞬間を生きていることは、当たり前ではないと思います。僕が知覧で感じたもの、例えば自分の先祖やこの国を守ってくれた方がいたから今の僕たちがいる。なにか一つでも欠けていたら、今の僕たちはいません。だから、大きなことを成し遂げるとか大層なことでなくてもいいので、自分のために、そして自分が大切だと思う人たちのために生きてほしいです。それに、毎日大切な人に「ありがとう」「好きだ」といった言葉をちゃんと伝える。この瞬間に伝えたい言葉は、しっかりと伝えることを大事にしてもらえると嬉しいです。

取材:武海夢(Facebook
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:高橋りえ(Twitter