「過去の自分を否定しない」営業&副業ライターゆずのポジティブ思考の秘密に迫る

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第400回目となる今回は、Webライターのゆずさんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

茨城県の田舎に生まれ、わんぱく少年のような幼少期を過ごしたゆずさん。学生時代はいじめ遭いながらも自分のしたいことに没頭。高校卒業後は動物系の専門学校に入学し、その後動物病院に就職し3年間勤務しました。

尊敬する獣医さんから電話の対応を褒められ、もっと「声の接客を極めたい」と思いコールセンターに転職。6年間働き、新しい挑戦への想いから不動産営業の道に進んでいます。現在は本職の不動産、副業のライター、趣味の写真に没頭する毎日を送られています。

現在不動産営業とライターの2足のわらじをはき、充実した日々を送るゆずさん。これまでいじめやDV・離婚など辛い経験をたくさんされてきましたが、その経験をポジティブなものに変換して昇華しています。なぜ常にやりたいことに突き進めるのか、なぜ辛い経験を前向きに捉えられるのか。その背景をゆずさんの半生とともにひも解いていきます。

 

不動産営業とライターの2足のわらじ

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします!

初めまして!ゆずと申します。不動産の営業とライターという2足のわらじでお仕事をしております。これまでは、動物の看護師やクレームの対応窓口をしてきており、現職の不動産の営業は未経験で始めました。

ーどれもかなり違うお仕事ですね!もともと活発的な性格ですか?

もともとは明るい性格ではありませんでした。しかし、ポジティブに生きることが楽しくなったタイミングがあり、そこからネガティブとは無縁な感じになりました(笑)。そこから「やろう!」と思った時に飛び込むのが楽しくなっています。

ー不動産営業を始めるきっかけは何だったのでしょうか?やってみていかがですか?

不動産営業は、前職で人と話すのが好きなことに気づいたのでやってみたいなと思いました。目指したものがあるわけではなく、人とたくさん話せて自分のトークスキルを上げられる仕事は何だろうと考えた時、最初に思いついたのが営業でした。

また、営業には辛いイメージがあり、かつ辞める方が多いと聞いたので「そんな辛いことに耐えられるのか」と、自分の心がどれくらい強くなっているのか試したかったからという理由もあります。

始めて5ヶ月目になるのですが、すごく楽しいです!数字にこだわることや顧客対応が多いですね。休んでいいよと言われるほど働いています(笑)。

ーなぜ不動産だったのでしょう?

まず資格が取りたかったというのがありました。100社ほど面接を受け、いくつか受かったのですが、会社の話を聞く中で「自分に合ってそうだな」と思ったのが、たまたま今の不動産の会社でした。

ーでは、ライターはなぜ始められたのですか?

きっかけはライターをしている妹に誘われたことでした。もともと文章を書くことが好きだったので、いいきっかけかなと思い始めてみました。

ーそうなんですね!文章はどんな時に書かれていたのでしょうか?

思ったことを表現するのが趣味みたいな感じだったんです。ストレスがたまった時や何か表現したいと思った時、突発的に書いていました。

周りに無理に合わせず、やりたいことを貫いた幼少期

ー幼少期はどんな風に過ごされていましたか?

おっとりしていて変わった性格だったので、女の子の輪の中に溶け込めず、いじめに近いような状況にいました。一緒に遊んでもらえないというように仲間はずれになっていましたね……。ただ、当時自分ではいじめられていると全く気づいていませんでした(笑)。ポジティブというよりは本当に気づいていなかったですね。

そして女の子と遊べないとなった時「じゃあ別の友達を作ろう」と、男の子と遊ぶようになり、ザリガニ釣りや山で虫取りをしていました。

ー性格が合っていたから男の子に混ざって遊べたのでしょうか?

サバサバとして男の子っぽい性格というよりは「やりたいことをやる」「やりたいことしかやらない」という感じでした。今もその考えは変わっていないので、根本の性格だったかもしれないですね。

だから遊びの中でも、私が苦手だった運動系のもの (サッカーなど) は誘われても行きませんでした(笑)。

ーその考え方はどんなきっかけで生まれたのですか?

私はおままごとや人形遊びなど、いわゆる女の子の遊びが苦手で、プリキュアのようにかわいいキャラクターもあまり好きではなかったので女の子と話が合わず……。

そんな時母に相談してみたら「好きなことをやればいいよ」と言ってもらえたんですよね。それがきっかけだったかもしれないです。

ーご両親の影響が大きいんですね。

そうですね。私自身、左利きで好き嫌いもすごく多く、「左利きって矯正されなかったの?」と聞かれることもありますが、小さい頃に両親から自分の意志に関して1回も矯正されたことはありませんでした。

両親は「左利きも直したいと思ったら直せばいい」「好き嫌いも直したいと思った時に直せばいい」と言ってくれていました。

ーそうだったんですね……!では、中学生の時はどう過ごされましたか?

「やりたいことをやりたい」というのは変わりませんでした。ただ、周りの人と「やりたいこと」がずれていることが多かったです。そういう部分で周りからは避けられていました。「話が合わないからつまらない」みたいな感じです。

そして高校に上がるまでは周りと合わせられずに、ハブられていたと思いますね……。

ー周りに無理に合わせずに、やりたいことを貫ぬけたのはなぜでしょうか?

自分の居場所を絶対に探すようにしていたことが大きいと思います。当時塾に通っていたので、学校がだめだったら塾で合う人を探そうと考えていました。ネットでもいいかなとも。

習い事のように学校が関係ない場所で、嫌われてもいいからいろんな人に話しかけて「こんな自分でも受け入れてくれる場所」を探そうとしていましたね。

そんな風に「学校がだめでも、他の居場所があるから平気」という考えが支えになっていました。1人でいることが平気というより、分かってくれる人が1人でもいたら平気という感じです。

ーその居場所は塾以外にありましたか?

小中学校のときは、家族がそんな居場所でした。家族が「人に迷惑かけないのであれば好きにしなよ」と言って自分を全部肯定してくれていたからだと思います。

祖父母もかわいがってくれていましたし、妹2人も喧嘩しても嫌わないでいてくれるので、やっぱり「家族」が拠り所であり居場所でしたね。

ー高校はどのように決められたのでしょうか?また、高校生活はいかがでしたか?

当時の居場所が家族だったので、家から一番近い自転車で通える高校を選びました。自分が一番大切にしていた家族だったからそうなったんだと思います。

高校は吹奏楽しかしていなかった生活でした(笑)。文字通り部活一色でしたね。そしてその吹奏楽部が新しい居場所でした。クラスでは中学までと変わらず同じ扱いでしたが、部活では自分自身を見てくれる人が増えたことが大きいです。「変わっているゆずちゃん面白いね」と言ってくれる友達ができたので「ここが私の居場所なのかもしれない」と思えました。

イルカの調教師に憧れ、動物系の専門学校へ

ー大学は動物系の専門学校に進まれたそうですが、進路はどのように決められましたか?

中学生の時に家族で水族館に行き、イルカショーを見て突然「私将来これになりたい」「将来はこれやるんだ」と思ったんです。その時からイルカの調教師になりたいと思い、高校を卒業したら動物の専門学校に行くというのを決めていました。

だから進路選択では何も迷いませんでした。また、動物系の専門学校が高卒でないと入れないところがほとんどだったので高校は卒業しようと思っていました。

ー中学生の時の直感を信じてそのまま進路を決められたのはなぜなのでしょうか?

もともとの性格は関係していると思います。「1回やりたいと思ったことをやらずにやめてしまうのがもったいない」という想いがずっとあって。「これやりたい」となったけど結局やらなかったことが、もしかしたら自分の楽しいと思えることだったかもしれないと思うのが嫌でした。

だから1回やろうと思った自分を信じてみるようにしています。それは、これまで私が楽しそうと思ったことで楽しくなかったことがなかったので、過去の自分に全面的な信頼を置いているからですね。まずは1回やってみて、つまらなかったらやめて、楽しかったら続ければいいと思っています。

また、自分のことは自分が一番よく知っているので、その「自分」が感じたことや思ったことは、誰かに言われたこともよりも信頼できるなと。他の人の意見も聞いて、そういう考えもあるんだと思いますが、自分の過去の決断が正解だと思って進むようにしています。

ーそうだったんですね。そして、進学された専門学校での生活はいかがでしたか?

イルカの調教師専門というよりは動物全般を扱う学校で、いろんなことを勉強できたので楽しかったです!高校までは基本的に決められた科目を勉強する日々でしたが、専門学校はカリキュラムはあるものの、自分で自由に勉強したいことを勉強できるので楽しかったです。

そして、行きたい研修先を先生に伝えて研修先に行くというように、自分を売り込みにいく楽しさがありましたね。卒業までの2年間の間に、動物園や水族館、ペットショップや動物病院などに行きました。

ー学生生活を通して進路の変化はありましたか?

動物病院での研修を通して「まずは動物の生態を学びたい」と思うようになりました。将来イルカの調教師や動物園の飼育員になるとなったときにも役に立つのではないかと思い、働きながら知識を身につけようと考えたので、動物病院に就職しました。

動物病院への就職、そしてスキルアップのため転職

ー動物病院に就職しみていかがでしたか?

会社自体はいわゆるブラックなところでしたが、楽しかったですね!自分が学びたいことを仕事として学べますし、自分の考えたことがお金になったり、誰かが喜んでくれるのが嬉しかったりしたので。

もちろんブラックな部分は改善してほしかったですが「総合的に見たらやりたいことができたから」「私のような状況に陥った時の対処法を友達に教えることができるから」と思うと、やってみてよかったかなと思います。

ー動物病院の次のキャリアはいつ頃考えるようになったのでしょうか?

もともと、どんな仕事も3年間は絶対続けるという縛りをもっていたので動物病院では3年間働きました。その時一緒に働いていた獣医さんから「電話対応すごくうまいよね」と言ってもらったことで、電話対応だけをする仕事に興味を持って調べてみたら「クレーム窓口」があるのを知りました。

クレーム窓口というと、やっぱり仕事の中では難しい仕事ですよね。例えば怒っている人をなだめることって何かスキルが必要なんだろうなと思って。そして「ここで3年間働いてきたけど、そういうスキルはたぶんこの職場ではもう伸びないな」と感じるようになりました。だからその専門のところに入ってみようかなと考えて、電話だけのクレーム対応窓口で働くことにしました。

ーなるほど……!退職する際は悩まれましたか?

退職や転職というとマイナスなイメージを持つ人が多いと思いますし、私自身も、もしかしたら辛いから辞めたいという気持ちもあったかもしれないです。

ただ「辛いから辞めるとなったら、楽しかった思い出も辛いものに変わってしまうのでは」と考えたため、辞める理由を考える際は絶対にポジティブなことしか思わないようにしています。例えば「ここでの仕事も楽しかったけれど、自分は次にこういうことをしたいから辞める」というイメージです。

この選択のように、環境が変わる時は「過去の自分を否定しない」ようにしています。そうしたら、自分の選択に自信が持てるんですよね。

もし選択を間違えたと感じても、どれだけめちゃくちゃな理由でもいいので、自分の取った選択肢は間違いないと自分に言い聞かせています。これも例えを挙げると「出かける予定を立てていたけど、雨が降ってだめになった。もしかしたら、これは天が事故に遭わないようにしてくれたのかもしれない」みたいな感じです(笑)。

「転職したのは間違いだったか?」と思うこともありますが、そんな時も自分でポジティブに考えるようにしていたので、今はそれが癖になって生活レベルでも考えられるようになったんだと思います。

DVを受けたことや離婚の経験が発信のきっかけに

ー常に前向きなゆずさんですが、落ち込んだ時期もあるそうですね……。

実は20代前半で結婚したときに、結婚前から同棲していた男性からDVを受けていて……。やっぱりそれが精神的に人生の一番辛いと思うタイミングが多い出来事でした。

そして事が落ち着き、自分の中で気持ちの整理ができてからは、周りにDVを受けていた時のことを話するようになりました。それが、周りのDVをされている人にとって離婚や前向きになるきっかけになっていたそうです。

また、私と同じ経験をされている方の背中を押せるような材料になればいいなと思ってブログを始めたんです。そこで書いて発信する楽しさを知ったことが、今のライター業にも繋がっていますね。

やっぱり、発信できる経験はしようと思ってできるものではないので、そう考えると逆に人と違う経験できたからちょっとラッキーかなと。今となっては良かったかもしれないと思っています。

ーその辛い経験を乗り越えられたのはなぜでしょうか?

友達の影響が大きかったですね。励ましてもらったのはもちろんですが、私自身がネガティブな経験を面白おかしく話すのが好きだったので、その話を真面目に聞きながらも笑ってくれる友達の存在がありがたかったです。ただ辛くて嫌だった思い出ではなく、友達と楽しく談笑した思い出に塗り替えられたような気がしました。それが立ち直れたきっかけだったと思います。

ー辛かった経験を面白く話すことってすごく難しそうです……。

そうですね、私も最初はすごく難しかったです……。ただ、接続詞の「でも」をつけるのがよかったです。「DVされた。でも、将来の嫌な思いをする自分を救えた」みたいなイメージです。この「でも」の後に続けることは、ありえないことでも大丈夫です。

とにかく「でも」の後にポジティブなことやプラスになるようなことを入れて、自分で何回も復唱することで前向きな気持ちになれるんですよね。私自身、結構この方法を気に入っているので、ぜひ皆さんも騙されたと思ってぜひやってみてほしいです……!

やりたいことを、やりたい人と、やりたいだけやる

ー辛かった経験を乗り越えられた後、ご自身に変化はありましたか?

1度立ち直ってからは「やりたいことを、やりたい人と、やりたいだけやる」ことを意識するようになりました。その時やりたいと思ったことにいつも突っ走っていると思います。ちなみに営業をやりたいと思ったのも転職する2週間前でした(笑)。

ーその「やること」を決める基準は一体何なのでしょうか?

直感が大きいですね。私は「これ気になるな」と思ったらたくさん調べるのですが、調べていくうちに「気になる」が「やりたい」に変わるんです。もし調べてみて「そんなにやりたいことでもないかも」と思ったらやりません。「やりたい」と思ったらやっています。

ーなるほど!常に前向きに行動されているゆずさんからU-29世代へのメッセージはありますか?

人生でネガティブな瞬間は絶対来ると思いますし、普段生活していても「自分の選択を間違えたかも」と考えることはあると思います。

でもその時に、過去の自分を責めないであげてほしいです。「間違ってなかったんだよ」と、思い込みでもいいので自分をいっぱい褒めてあげてほしいです。そうしたら人生が180°変わり、楽しくなると思うのでぜひやってみてください……!

ー最後に、ゆずさんが今後やりたいことがありましたら教えてください!

やっぱり「やりたいことを、やりたい人と、やりたいだけやる」が人生の目標です。やりたいことをやるための、やりたくないことはやりますが、そうでないやりたくないことはしません。「やりたいことだけをできるような人生」を送れたらと思っています。

ー本日は素晴らしいお話をありがとうございました!ゆずさんの今後のさらなるご活躍を楽しみにしています!

取材:新井麻希(Facebook )
執筆:yuri shoji
デザイン:安田遥(Twitter