直感で行動せよ。プロコーチ・石井勝猛に学ぶ挫折からの這い上がり方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第505回目となる今回は、投げ銭コーチング屋としてのプロコーチと株式会社はぐくむでライフデザインスクールの運営に携わる石井勝猛さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

コンプレックスや挫折から解放されたい、夢中になれるものを探したい方のヒントにつながるインタビューです。

挫折ばかりの経験。他人を見返すことばかり考えていた

ー簡単に自己紹介をお願いします。

投げ銭コーチング屋と題し、お客様に値段を決めていただくスタイルのプロコーチ兼株式会社はぐくむで働きながらライフデザインスクールの運営に関わっています。

ー17歳から20歳まで挫折つづきだったそうですが、何があったのですか?

まず、所属していたラグビー部で怪我をして新人戦からベンチ外となりました。勉強もやる気をなくしてしまい、文系で最下位に。さらに塾の東進ハイスクールでも自分なりに努力しましたが、下から2番目のクラスで自暴自棄になっていました。

しかし、「大学受験程度で才能に差はない。純粋に勉強したかどうかの差だ。」と塾の担任から声をかけられます。一転してやる気スイッチが入り、1日12時間勉強する生活に代わりました。

現在のコーチング活動にも活きていますが、人生は周りの環境が変わっていなくても自分の捉え方ひとつで変わるのです。知識を詰め込むのではなく、頭に定着すよう一つずつ丁寧に勉強すると意識を変えました。そこから勉強の楽しさに気づきのめり込めりこんでいって。

ー変貌ぶりに周りの方も驚かれたでしょうね。その後の大学進学はどうだったんですか?

はい、特に高校では。大学受験では、小学生の時から先生になることに興味があったので、早稲田大学教育学部を目指していました。しかし、残念ながら不合格となり……。

高校2年の秋からほぼ365日塾に通い詰めていたんです。学園生活よりも優先し、高校の友達から完全に浮いていました。それぐらい受験勉強にかけていたので、本当に悔しくて浪人するか悩みましたね。これまでにお世話になった塾長や小学校の恩師などに相談した結果、明治大学法学部への進学を決意しました。

浪人する1年よりも東進ハイスクールで担任助手として働く方が成長できるるとアドバイスをもらったことも決め手でした。受験が終わって即、3月から、大学入学より前に働き始めました。

ー学ぶ側と働く側にどんな違いがありましたか?

他の塾業界と違い、東進ハイスクールの担任助手は、企業インターンに近かったです。生徒指導に加え募集・集客から、保護者に対する営業まで担当しました。充実した研修も受けられ、社員のような環境でビジネスのいろはを学ばせてもらえました。

人生を変えてくれた東進ハイスクールが大好きで、他の担任助手と比べ気合の入り方が違かったので、馬車馬のように働きましたね(笑)。

しかし、その後人生で一番の挫折があって……担任助手を辞めることになったのです。辞めることになった原因は人間関係でした。

当時付き合っていた担任助手仲間の彼女と関係が悪化し別れた後、他の仲間ともうまくいかなくなってしまいました。結果、契約更新ができませんでした。誰も味方についてくれなかったことがショックで悔しかったです。

自己顕示欲から解放され、理想の大人像に出会えたオーストラリア留学

ーそこから海外に拠点を移した理由はなんですか?

周りを見返したかったからです。コンプレックスの塊で担任助手を続けている仲間から、僕がすごいことをやっていると思われたいと負のエネルギーでいっぱいで。

担任助手を辞めた後は英語学習やヒッチハイク、富士山登頂、カルフォルニア縦断や東南アジア横断など目立つと思ったことばかりしていました。

しかし、アクティブに動いてもなお心の溝が埋まっていないことに気づいて。むしろやりたいことをやり切ってしまった帰国後、自分の帰りを待ってくれている居場所がない不安に苛まれました。怖くなり精神的に追い込まれていきましたね。

海外留学をしたら流石に人に認められるだろうと思い、オーストラリア・ブリスベンの大学に私費留学を決めました。時期的に交換留学は間に合わなかったので、ギリギリ行けるところを探した大学でした。

ーこのオーストラリア留学から一気にV字回復したのですよね?留学の何がよかったのですか?

2つ学びがありました。まずは、自分が狭い世界に住んでいて無知であることです。

それまで偏差値の良い大学、ネームバリューのある企業が良いとする価値観で生きてきました。ネームバリューがあるところに所属すれば認めてもらえるのだと。

しかし、オーストラリアでは日本のことなど知らない人がほとんどでした。ネームバリューなんてどうでもいいことだと気づきました。

次に、ロールモデルととなる大人に出会えたことです。

日本人永住者の方々が10ヶ月という短い期間しか滞在しない自分に対して本当によくしてくださり。現地でボートレースの活動をしていたのですが毎日の送り迎えや、BBQのお誘い、人生相談にもよく乗っていただいて。

オーストラリアは多民族国家でいろいろな仕事があります。お世話になった方も芝刈りやゴミ収集車のドライバーなど日本ではエリートとされない職業でした。

それでも家族のためにプライドをもって働く姿に感銘を受けて。自分も若い人に対して可能性を広げてあげたり、お世話できる人になりたいと思いました。

ー留学を機に捉え方の違いを感じられて価値観が変わられたのですね。

人を信用できない自分を救ってくれたコーチングとの出会い

ー帰国後はどんな経緯でコーチングの活動に結びついたのですか?

現在活動しているライフデザインスクールと株式会社はぐくむとの出会いは、留学に次いで人生を変えてくれた出来事です。オーストラリア留学を終えた後、ベトナムで4ヶ月間働いてから帰国しました。その後、Tabippoで1年半インターンをしながら就職活動をしていたときのことです。

65人OB訪問をしたのですが、その52人目の方が株式会社はぐくむの関係者でした。意気投合したその方に勧められて参加したライフデザインスクールの体験会でコーチングに出会いました。

週に1回3時間半のグループコーチングを半年受けるプログラムで。自分がコーチングを受けるだけでなく、グループ内でそれぞれ違った環境で生き辛さを抱える人たちと関わり合いながら自分に向き合うことで変わることができました。

実は、僕の父親は典型的などうしようもない人で。酒に飲まれて暴れたり、浮気したり、ヘビースモーカーの父親が大嫌いでした。

これまで心から好きになったり信頼できた人がいなかった理由は、父親を信用していないことが原因だとコーチングを受けて気づいたのです。まず、自分自身で気づくことが大事です。そして、痛みに向きあいました。

ーどのように自分と向き合ったのですか?

父親に手紙を書いたり、一対一で対話したりと父親の考え方に触れて。まだ完全ではありませんが、父親と和解し信頼し始めました。

コーチングは全人類に受ける価値があると惚れ込み、ライフワークとして生きていこうと決めました。Tabippoを退職し、ライフデザインスクールを運営する母体の株式会社はぐくむのコーチングスクールに通い、プロコーチになりました。

夢中になれるものに出会う方法、夢中をはぐくむヒント

ー夢中になれるものに出会う方法、ライフワークとして確信をもつまでに重要なことはありますか?

出会いは、偶然だと思います。まずはノリと勢いで自分の心がいいと思うものに出会い続けることが大事。

頭で考えて出したアウトプットは、自分の思考の範囲にしかおさまらないし、ブレイクスルーにはなりません。楽しそうなものにロジック度返しで飛び込んでしまうことが大事だと思います。

ー石井さんも65人のOB訪問という相当な点を打ち続けていますよね。まず考えるよりも気になる方向へ行動した積み上げの結果なんですね。

世の中は、就活でもなんでも、ものごとに対する理由を求めすぎと感じます。理由なしになぜか心が躍って自分がこれだと思ったら夢中でのめり込んでしまうえばいいのです。

ライフワークとして確信をもつには、「時間の無駄だ。」とか「…もっと勉強や仕事をしなきゃ。」など余計なことは考えないこと!理由やロジック、周りがどう言うかは全部無視で自分の中で夢中な気持ちをはぐくんでいくことが大事だと思います。

ー自分で一旦夢中になると意思決定することが大事なんですね。今後チャレンジしたいことを教えてください。

変わらず夢中をはぐくみ続けたいです!自分がいいと思ったものに飛び込みたい!

3年後には海外に移住したいと考えています。ブラジルや北欧に関心があるのです。日本の方が暮らしやすいし仕事も作りやすいとは思いますが、自分らしく心のままに生きていきたいです。まだまだ若いと思っているので、リスク、ロジック度外視で新しい環境に飛び込みたいです。

ーありがとうございました!石井さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:山崎貴大 (Twitter
執筆:竹内佳奈子(Twitter
編集:えるも(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter