夢だった「アメリカでチアリーダーになること」が現実になるまで。猿田 彩の努力と挑戦の連続に迫る

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第480回目のゲストはチアリーダーの猿田 彩さんです。NFLのシンシナティ・ベンガルズでチアリーダーとして活躍している猿田さんですが、中学3年次からチアリーダーに将来なりたいという夢があったそうです。現在、夢が現実になったものの、そこまでに様々な困難と苦悩、そして努力がありました。

今回のインタビューでは、なぜチアリーダーを目指そうと思ったのか、チアリーダーになりたい気持ちが強くなった経験などをお聞きしました。

 

アメリカへ好印象を抱いた、中2の小旅行


ー簡単に自己紹介をお願いします。

こんにちは。米国のアメリカン・フットボールリーグ、NFLのシンシナティ・ベンガルズでチアリーダーをしている猿田彩です。初めて、アメリカのチアリーダーの存在を知ってから、目指す中で、チアリーダーは踊ることだけが全てではなく、なんでもポジティブに受け止め、パワー溢れるそのメンタルこそが本当の魅力なのだと感じ、私もそんな女性になりたいと思い、アメリカ挑戦を決めました。


ーチアリーダーって、アメリカだとどんな現場で見られるのでしょうか。

そもそも、チアリーダーは競技チアと応援チアに分かれています。
簡単にいうと、競技チアは自分たちが選手となり、大会に出場したりするもので、応援チアはアメリカンフットボールやサッカー、バスケットボールなどのスポーツシーンで、観客・ファンの応援をまとめ、盛り上げる役割を担っています。


ーここから猿田さんの人生の転機となった出来事に沿っていきたいのですが、最初の転機は14歳の時にアメリカに行ったことだそうですね。

ある友人の親が私たち子供6人をロードトリップに連れて行ってくれました。その中には、現地の中学校を訪問したり、ホームステイする機会もあり、そこで初めて自分で英語を使わなければならない場面に出会いました。

また、日本の学校との校風の違いも感じられ、生徒が授業を楽しんでいる雰囲気や、先生が生徒を褒めちぎる場面がとても印象的で、アメリカの雰囲気にとても好感が持てたのを覚えています。


ーアメリカと日本の違いを感じたということですが、その他に記憶に残っている出来事や経験はありますか。

当時、英語は話せなかったにも関わらず、その期間を通して楽しかったという記憶しかありませんでした。それは初めて会う外国人の自分にも、一切壁を感じずに近い距離感で話しかけてくれたアメリカ人のフレンドリーな人柄のおかげだと思っています。街で会う人と何気なく生まれる会話や、お散歩中に笑顔で挨拶してくれることなど、こっちでは当たり前な景色に不思議と居心地の良さを感じました。

そして、英語をもっと喋れれば必然的に出会える人も増え、世界が広がるかもしれないということを感じた旅でもありました。

 

将来の夢は突然に…。


ーアメリカへの小旅行を経て、将来海外で過ごしたいという憧れを抱いたと思いますが、その後の転機を教えてください。

アメリカへのロードトリップを経験したことで、海外で働きたいと思うようになったものの、じゃあ何で?どうやって?という疑問が残りました。

小学校の頃からダンスやクラシックバレエをやっていた関係で、ある夜中にたまたま見たテレビ番組で、競技チアの大会の様子が放映されていて、そのうちの審査員に元NFLチアリーダーの方がいました。その紹介VTRはたしか30秒ほどだったのですが、そこに映るチアリーダーの映像を見た瞬間に、「これになりたい!」と思いました。

第一印象はアメリカでダンスをしたいという入り口でしたが、すぐに「NFL チアリーダー」などと検索してみると、ダンスがチアの醍醐味ではありつつ、アメリカではロールモデルとして国民に親しまれ、外見だけではなく、内面も自立していることが求められるということを知り、自己成長も込めて、一層目指したいと思いました。そして、チアリーダーになりたいと思った一番の決め手は、地域貢献することも大事な仕事だと掲げられていたからです。もともと昔からボランティアに携わりたいと思っていたこともあり、パフォーマンスでエナジーを届けながら物理的にも人の為になれるかもしれない。自分にとってこれだ!と感じ、NFLのチアリーダーを目指しました。

英語とダンスを極めるために単身留学


ーそこから高1で、アメリカに留学されたそうですね。それに至った背景を教えてください。

単純にアメリカに住みたい気持ちが強すぎたというのもありますが、アメリカでチアリーダーになりたいと思ったきっかけがたった2週間の小旅行だったので、長期で行ったらどんなものかと自分を試してみたいと思うようになりました。また当時、地元にチアのチームも少なく、目標が定まった後もすぐにチアを始められる環境になかったのも大きかったです。

チアリーダーになれたとしても、知り合いも誰もいない言語も通じない環境で対応できるのかなど、不安があったため、両親の協力のもと、1年間アメリカに行くことになりました。


ー留学先はどこを選んだのでしょうか。

両親と留学会社に訪問したのが締め切りのギリギリだったこともあり、唯一の条件として提示した「日本人のいないところ」で合致したのが、アメリカのユタ州だけだったので、すぐにユタ州に留学することに決まりました。

その学校は日本人を3人以上取らない学校で、移民族国家のアメリカでは、先生が私を留学生と認知していないところからのスタートでした。毎日がサバイバルでしたが、”ここで何があっても後悔しない”と、自分の意思で決めたことだったので、毎日充実していました。


ー留学生扱いされることなく、一人の高校生として扱われたのですね。

日本では留学生を受け入れる時は担任の先生がしっかりサポートすると思うのですが、そもそも担任というシステムも違い、特にサポートのないことが普通だということに驚きました。(笑)

授業のカリキュラムを決めるときだけ、現地のスタッフの方が来てくれましたが、アメリカの学校はクラスの場所が毎回変わったり、授業時間が異なることも知らなかったので、そういった事に一つ一つ順応していくことも刺激的で、大変だったことももちろんありますが、今となっては楽しい思い出です。

特に、自分が留学生だと先生に言わないと、授業についていけないので、先生とは積極的に話すようにしていましたし、自分のありのままの状況や質問を正直に伝えることの大切さは、この出来事を通して学びました。


ー留学にはどれくらい滞在したのでしょうか。

約1年間いましたが、その間に単位も取らないと日本で留年してしまう状況だったので、今思えば、勉強には必死でした。


ー留学から持ち帰ったものなど、何かありましたか?

アメリカ長期留学は初めての経験で想像がつかないものだったので、それこそ渡米前は最悪な状況も何度も頭に浮かびましたが、あの時勇気を出して決めて良かったと思います。小旅行のときに感じたことと似ていますが、出会う人々がいろんな場面で助けてくれたり、困っているときに自分に声をかけてくれたりと、常に気さくなアメリカの方ってカッコいいなと思う瞬間ばかりでした。

人と人との距離が近いからこそ、自然と手助けができる国民性に気づくことができ、この環境を離れたくないと思うくらい、アメリカが大好きになっていました。


自分の夢を応援してくれる人との出会い


ーアメリカへのイメージが湧いてきた中で、
帰国後に元NFLやNBAのチアリーダーの方と対面する機会があったそうですね。

帰国してからもアメリカでチアリーダーになりたいという思いは増していたものの、まだ本格的にチアを始めていたわけではなかったこともあり、まず何をすればいいのか分からなかったので、元NFLチアリーダーの方と元NBAチアリーダーの方が開催するワークショップにそれぞれ参加してみようと思いました。

その場に参加していたチアリーダーの方は第一線で活躍している方ばかりで、当時高校生の自分を仲間に入れてくれたことがとても嬉しく、他の参加者のみなさんの姿からも学ぶことが多かったことが印象的でした。その時に初めて、アメリカで経験された方に「アメリカでチアリーダーになりたい」とお話させてもらい、「なれるよ」と言っていただいたことが衝撃で、あの時の漫画のワンシーンかのように風が吹き、時が止まった感覚を今でも覚えています。

私は小さいころから大人と接するのが苦手で、その裏には何か言ってもポジティブな返しをもらえないところがありました。

『夢を追いなさい』という人もいるのに周りからは『現実を見なさい』と言われる日々。
だからこそ、人の夢を応援してくれたり、挑戦しようとしている私の背中を押してくれたことが心に響いたのだと思います。

ハワイのダンスチームに属したことが新たな転機に


ーその後、20歳のときにハワイのチアダンスチームに所属したそうですが、高校からその後の生活について教えてください。

高校卒業後に、日本とアメリカのどちらの大学に進学するかとても迷ったものの、アメリカの大学のチアに入るにはオーディションを受けるしかなく、チアに関して基礎から固めたかったので日本の大学に進学することに決めました。そして、英語の専攻があること・チアに力を入れていることが当てはまった大学を見つけ、進学しました。

週6〜7のペースで部活に取り組み、大学3年生のときにはハワイ大学に留学しました。ハワイ大学には同じ学部の人と固まっていくことになっていたのですが、一度留学経験もあったため、外国のいろんな人たちと触れ合いたいという思いもあったので、渡航前に現地のチアダンスクラブに問い合わせをし、幸いにもオーディション情報を得て、日本からビデオを送ってオーディションに参加しました。

現地に到着してから無事に合格をいただき、チームに入ることができたのですが、そこで出会うチームメイトの溢れるチアスピリットに強い感銘を受けました。

ー他のチアリーダーの存在が、猿田さんの進むべき方向を定めてくれたのでしょうね。


もっと人と人が仲良くなったらいいのに、気軽に助け合える世界になればいいのにと、日本にいた時から思っていたことが自然に行われていて、それはチアスピリットがそうさせているのかと感じました。互いに手をさし伸べ合う世界がどこにでもあればいいなと願っています。

目の前のチャンスを掴む


ー直近の出来事としては、大学卒業後にアメリカでプロのチアリーダーのオーディションに合格されたことがあると思います。オーディションの合格通知を受け取るまでの流れを教えてください。

大学を卒業したらオーディションを受けたいと思い続けていましたし、技術もメンタルも優れたチアリーダーでありたいと目標に掲げ、取り組んできました。大学卒業と同時にオーディションを受験したものの、新型コロナの感染拡大と重なったことで、滞在日数が3ヶ月の限られた中、受験しようと思っていたチームのオーディションが中止となるなど、想定外の出来事が積み重なりました。

それでも、自分だけが大変なわけじゃない、むしろ挑戦できる環境があること、一つでもチャンスがあることに感謝しながらオーディションを挑んだ結果、今所属しているシンシナティ・ベンガルズのオーディションに出会うことができました。

1年目にファイナリストに選ばれてからの約4ヶ月、アメリカで一人自粛生活を送りました。初めての土地で一人隔離生活を過ごしていたことは、今思い返しても苦しい経験でしたが、普段人とのたわいもない会話からどれだけパワーをもらっていたかということに気づき、マイナスなこともポジティブに転換し、パワーやエネルギーに変えていく存在がチアリーダーという揺らぎない考えを持つようになりました。

オーディションが中止になり、自分を見失いかけた時もありましたが、チアリーダーは自分のポジティブさを保つメンタルコントロールが大切と感じてからは、今までやってきた事を信じて、「無理することをやめる」と決断し、自分のタイミングで、出来ることを継続する事を一番の目標に掲げました。1年後にオーディションに合格することをゴールに定めた上で、実家のある静岡にて、人と会ってエネルギーを蓄えたり、毎日の練習におけるダンスとトレーニングの配分を変えるなど、自分のモチベーションを保つことを最優先し、その日ごとのベストを尽くそうと心がけました。

そして、1年後のオーディションで、一番会いたかったディレクター、一緒に踊りたかったベテランメンバー、そして夢のオーディション会場で最高の気持ちで踊れたので、自分に素直になる事の大切さにも改めて気付くことができました。

ー今後、アメリカで更なる挑戦をされていくと思います。
どんなチアリーダーを目指していくのかを含めて、今後のビジョンを教えてください。

私のように、夢に対して抱いていた「疑問」を持っている子どもたちはきっといると思うので、その子どもたちに向けて、可能性を信じる力を伝えていきたいと考えています。

あとは、「チアリーダー=踊ること」と捉えている方が日本では多いですが、アメリカではロールモデルとしてイメージが確立しています。日本でもチアリーダーの内面の部分も知ってもらい、踊れなくても性別や年齢に関係なく、お互いのチアリーダーになれるという事を発信していきたいです。人と人が励まし合える空間が日本に広がるために、微力ではありますが精一杯今後も活動していきます。


ー本日は素敵なお話、ありがとうございました!
これからの猿田さんのご活躍を心から応援しています!

取材者:山崎 貴大(Twitter
執筆者:大庭 周Facebook / note / Twitter
デザイナー:安田 遥(Twitter