「好き」を突き詰めて将来を切り拓く。学生No. 1マーケターを目指す石川共笑

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第523回目となる今回のゲストは、石川共笑(いしかわともえ)さんです。

幼いころから好きなバドミントンを続け、現在は大学2年生でもありながらメディア編集長を勤めている彼女。「逃げたら負け」「好きを突き詰める」と力強い人生論を語る背景には、どのような経験をしてきたのでしょうか。学生時代から現在のお仕事まで、幅広くお話を伺ってきました。

学業とメディア編集長の両立大学生

ーまずはじめに、自己紹介をお願いします。

東洋大学経済学部総合政策学科2年生の石川共笑と申します。現在、大学に通いながら「Another works」という複業マッチングプラットフォームでインターンをしています。オウンドメディアに掲載する記事の執筆や広報など、メディアの運営が主な担当です。

ー現在のインターンはいつから始めたのですか?

2020年8月から始めていて、ちょうど1年経ちました。当初はライターとして入社したのですが、そもそも前職に別の会社でインターンをしていたことがライターを始めたきっかけです。当時はコンテンツマーケティングとして企業のメールマガジンの作成を担当していたのですが、書くスキルが不足していること気づきました。

メルマガを成功させるためには、文章を書く力を養う必要があると感じ、ライターの仕事に専念することに。その後「Another works」に出会い、現在ではメディアの編集長として運営を任せられています。

ー現役大学生でありながら、メディアの編集長も!両立できていることがすごいです。

なんとか両立はできています!わたしの場合、コロナウイルスの影響で大学の入学式がキャンセルされ、オンライン授業が始まったタイミングでした。その影響で、大学に行く時間や講義の時間も短縮され、インターンの仕事に費やすことができましたね。まさに不幸中の幸いです。

バドミントンに明け暮れた学生時代

ー共笑さんの幼少期は、どのようなお子さんでしたか?

生まれも育ちも九州・福岡で、5つ上の兄と一緒によく外で遊ぶ子どもでしたね。テレビやアニメを観ることも大好きで、小学校2年生から中学校3年生まで、将来の夢が声優になることでした。今でもゲーマーと呼ばれるくらいゲームが好きなのですが、小学生の頃ハマり始めたことがきっかけです。

小学校3年生くらいに、「オグシオブーム」の影響で、バドミントンを始めました。実際、小学校4年生からはクラブチームに入り、平日は平均2〜3時間、多いときだと4時間ほどがっつり練習していました。

ー小学生ですごい練習量ですね……!それほど練習するくらいバトミントンに集中していたのですね。

当時はバトミントンすることが楽しくて、時間を忘れて夢中で取り組んでいました。周りを考えずに、がっつりハマってしまうのは今でも変わらないですね。

中学生になってからも、バトミントンで尊敬できる先輩がいた影響で、バトミントン部に入部しました。クラブチームとは違い、部活は初心者の子もいるので、スキルの伸びしろが減る感覚は正直ありましたね。

クラブチームのコーチにも「部活との両立はできるよ」と説得されましたが、通っている中学校も楽しく、友達とも遊びたいと当時は思っていたので、部活に集中することに。そのおかげで、勉強時間も確保でき、すべてにおいてバランスよく楽しむことができました。

ー話を聞く限り、共笑さんの楽しかった中学生活がイメージできます!

そうですね。今振り返れば、中学時代が人生の絶好期だったと感じています。

あと、ちょうど中学2年生のころに家族旅行で東京へ遊びに行きました。当時、福岡では見たことない都会の風景や、欲しいものがなんでも揃っている東京に、強い憧れを抱きましたね。その旅行がきっかけで、将来は東京の大学に進学したいと親に伝えていました。

「逃げたら負け」つらいときも立ち向かう

ー絶好期だった中学時代を終え、高校時代はいかがでしたか?

結論から言うと、高校は正直全然楽しくありませんでした。目標としていた高校に成績が届かず、1つランクを落とした高校に入学。その高校にはバトミントン部がなく、最初は活気のない学生生活を送っていましたが、親のすすめで社会人のバドミントンチームに入会することにしました。

最初は周りが大人だらけで不安な気持ちでした。わたしの場合、父親が単身赴任で家にいることが少なく、大人の男性と話すことに抵抗感があったのです。しかし、チームの大人たちが優しく話しかけてくれたおかげで、半年後には克服。コミュニケーションをとっていくうちに、徐々に心が開いていき、思いっきりバトミントンを楽しむことができました。

ー学校以外に、好きなバトミントンを楽しみながら自分の居場所を作れたのですね!

そうですね。それでも、あいかわらず高校生活は楽しむことができませんでした。勉強もうまくいかず、部活に入っていなかったためグループにも馴染むことができず、クラスにもうまく溶け込めませんでしたね。忘れもしない思い出が、味噌汁事件です……。

ー味噌汁事件!?いったい何が起こったのですか?

高校2年生のときに、4泊5日の修学旅行がありました。最初に福岡から東京ディズニーランドへ行き、長野でスキー合宿をしたあとに、最後東京へ戻ってくる工程でした。

それほど仲良くないクラスメイトとディズニーランドを周った影響か、長野のスキー合宿では発熱で寝込んでしまったのです。慣れない環境、周りの人と過ごす5日間は、想像以上につらく、宿泊先のご飯も箸が進まないほど楽しめなかった記憶がありました。

福岡の自宅に帰り、母親が作ってくれた味噌汁を飲んだ瞬間、美味しくて思わず涙が。修学旅行のような非日常もいいけれど、何気ない日常が一番幸せだなと強く感じましたね。それ以降、つまらないと感じていた毎日も、本当は幸せだと感じてからは、日々の幸福度は上がった気がします。

ー日々の幸せを感じ始めても、そんな思い出の修学旅行だと学校へ通うのもつらいと思います。そのときの心境はいかがでしたか?

そうですね。昔からどんな逆境でも「逃げたくない」という気持ちが大きい気がします。修学旅行もつらかったですが、学生時代にバトミントンの試合でもつらい・悲しい経験は何度かありました。そのたびに「逃げたら負け。一回逃げると、もとに戻れない」と自分を言い聞かせ、前に進み続けてきたのです。

「好き」を見つけて、将来の選択肢を広げよう

ー高校を卒業してからは、どのように進学されましたか?

親が看護師を勤めていたので、将来は医療系の仕事が安定していると思い、薬学部を志望しました。高校3年生の大学受験では、希望していた大学に落ちてしまったので、浪人を決意。わたしが東京の大学に進学できるよう、親が上京する準備をしてくれていたおかげで、高校を卒業してすぐに東京で浪人生活を送っていました。

池袋の予備校に通っていたのですが、東京の街並みや新鮮さに刺激を受ける毎日でした。徐々に東京への憧れが膨んでいるにもかかわらず、安定職の薬剤師で働いている自分に矛盾を感じ、おもいきって舵を切り直すことに。理系から文系に変え、将来やりたいことの選択肢が広がる東洋大学経済学部総合政策学科に進みました。

ー自分自身がどう生きたいのか正直になった結果、改めて下した決断でしたね。

そうですね。2年間浪人生活を過ごし、予備校や上京生活など親からの甚大なサポートには大変感謝しています。そのおかげもあり、今は選択肢が広がっている状態です。

ーこれまでの経験から、今が一番選択肢が広がっていますよね。今思い描いている将来やりたいことは何ですか?

現在、メディアの編集長としてSEOマーケティングを中心に取り組んでいます。仕事をしている中で、マーケティングは情緒的・機能的価値どちらも存在しているなと感じています。

例えば、数字を見る理系の考え方もあれば、思考を読みとる文系の考え方もある。両方を経験している自分だからこそ、今後はわたしにしかないマーケティング手法を開拓していきたいと思います。

最後に、共笑さんのような大学生を中心としたU-29世代へメッセージをお願いします。

わたしの場合、これまで自分の「好き」を突き詰めることが多く、ハマったことは徹底して調べ、取り組んでいました。まずは皆さんも、好きが何か分からなければ、まずは自分の興味から掘っていくことがいいと思います。

例えば、ゲームが好きな人はCMやゲーム実況など、気になることや興味あるものを調べてみましょう。誰が発信していて、誰がディレクションして、誰のためにやっているのかと、徐々に興味が膨らんだら、それは自分のやりたいことにつながるのではないかと思います。

まずは「好き」を見つけるところから。自分独自の好きがなくても、誰かと同じ好きなものがあってもいいと思います。好きを見つけたら、誰かに伝え、さらにコミュニティを増やす。どんどん深掘りすることで、あなたの将来の選択肢が確実に増えるでしょう。

ー共笑さんの挑戦を応援しています。本日はありがとうございました!

 

取材:高尾有沙Facebook/Twitter/note
執筆: 田中のどか(Twitter
デザイン:安田遥(Twitter