ローカルの価値をつくりたい。藤原正賢が10年後を見据えた関係を大切に活動する理由

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第491回目となる今回は、株式会社BAZUKURI 代表の藤原正賢(ふじわらまさたか)さんです。

行政や地元の新聞社と共に、長野の魅力を伝える活動に取り組む藤原さん。子どもの頃は東京に出たい気持ちが強かったそうです。その後、長野で活躍する大人たちと出会い、長野の魅力を発信しながら人と人をつなぐ場づくりに取り組む藤原さんに、ローカルで活動する理由やおもしろさを伺いました。

 

誰かの「やりたい」を長野で着地させる

ーまずは、現在の藤原さんの活動を教えてください。

株式会社BAZUKURIの会社を起業し、主に長野県の移住や関係人口づくりの文脈でメディア運営や企画の仕事をしています。代表的なものは、長野県の移住総合WEBメディア「SuuHaa」です。長野県や信濃毎日新聞社と一緒に、長野の移住の入口をつくることを目的とし、今年の3月から運用を始めました。他にも首都圏から長野県内の中山間地へ通う人を増やすプログラムや、長野へ移住・転職を検討している人を対象としたオンラインイベントの企画なども行っています。行政と一緒になって取り組むことが多いです。

ー主に長野を県外にPRするお仕事でしょうか?

はい。ただ、とにかく広く長野の魅力を発信するというより、情報発信をはじめとした様々な企画を通して、長野に関わりたい人や生き方・暮らし方を変えたい人の背中を押せたらと思います。PRと一言に言っても様々な役割がありますが、自分は量よりも質、短期的よりも長期的な視点での取り組みが多いです。例えば、移住や関係人口づくりは、明日すぐに増えるものではないと思っています。なので、長野にいる若手事業者をはじめとしたプレーヤーや、これから何かをしかけていきたい人たちと関係性をつくる時間を、仕事・プライベート関わらず積極的に割いています。地域で活動するということは、出来る限り話を聞いたり、思いを共有したりして、地元の人との関係性の質を高めることが大事だと思っているからです。

その他にも、ファシリテーションや司会進行、企画を考える仕事もしています。最近では、長野市内の企業・行政・NPOなど多様なバックグラウンドを持つ30人を集めた「長野をつなげる30人」の運営として、地域のこれからを考えていく取り組みをスタートさせました。

ー様々な手段を通じて、地域を盛り上げる活動をされているのですね。

そうですね。「こんなことを長野で出来たらいいよね」といった企画を、できる限りつないで実現できるように着地させる「着地屋」みたいなイメージだと思います。

ー着地屋!おもしろいですね。長野を発信するお仕事はいつ頃から始められたのですか?

仕事として関わるようになってからは約4年経ちました。でも大学時代から、東京にいる長野出身者を集めるイベント「信州若者1000人会議」の企画にも携わっていたので、実際はそれ以上に長く関わっていますね。

子どもの頃から企画を考えることが好きだった

ー現在の活動は学生時代から始められたとのお話もありましたが、ここからはどのような経緯で現在のお仕事に辿り着いたのかをお伺いします。ご出身も長野ですか?

はい。長野市の郊外で生まれ育ちました。高校生までを長野で過ごし、大学と大学院は県外に出ましたが、現在はまた長野市に戻っています。

ー小学生での印象的な出来事はありましたか?

クラスの学級委員をやっていた時期もあり、クリスマス会などの行事では企画側になることが多かったですね。学校以外では、家族旅行のときに、自分で行き先を調べて計画を立てていたことも印象に残っています。また、小学1年生から塾に通っているのもあって、成績もクラスの中で上位でした。しかし、塾の先生から「絶対受かるよ!」と言われていた中学受験に落ちてしまい……。そのときに、自分はあまり頭がいいわけではないのかもしれないと感じました。

ー記憶に残るような出来事ですね。そこから中学校生活はどうでしたか?

中学生のときを振り返ると、文化祭の実行委員に多くの時間を費やしたのが印象に残っています。とにかく、新しい企画を考えたり、従来のものを変えていったりすることにエネルギーを使いました。当時、起業家やITベンチャー企業がメディアで話題になっていたのも、影響していると思います。

そういえば、長野という田舎を抜け出して、ベンチャー企業が沢山あり、キラキラしたイメージがあった東京に早く出たい気持ちも強く抱いていましたね(笑)。

ー中学時代は文化祭に力を入れて活動され、東京への憧れもあったのですね。地元の高校に進学後、どのような活動をされていましたか?

高校時代も文化祭の実行委員長になり、生徒会の役員として、高校全体の活動に関わることも多くなりました。当時、高校の近くの路線が廃線になることが決まり、生徒会に「廃線前最後のイベントの手伝いをしてほしい」という話がきたんです。廃線になる電車の車両を貸し切り、ワインを飲んで食事をしながら、「廃線」という事実を身近に感じてもらうためのイベントでした。

ただイベントの参加費が、1万円を超えていて……. 。高校生の自分からすると、とんでもない高額だったので申し込む人がいるのか疑問でした。しかし、二日経たないうちにチケットは完売。理由を探ると、参加するワイナリーや飲食店には多くのファンがいて、その人達が参加していたんです。イベントをお手伝いする中で、ワイナリーを見学させてもらうと、生産者のこだわりがたくさん詰まっていました。しかも、日本のワインコンクールを受賞されていて。醸造責任者の方に「たくさん賞をとってすごいですよね」と話しかけると、「僕ではなくて、長野のこの地がすごいんだよ」と返されたんです。醸造家のかっこよさに、鳥肌が立ったのを覚えています。

そのイベントを通して、長野の飲食店の方ともつながりが出来て、学校の文化祭でも、地元のお菓子屋さんや珈琲屋さんとコラボメニューをつくりました。その結果、文化祭の喫茶企画の売り上げが前年比の4倍になりました。これらの経験を重ねるうちに、長野には何もないと思っていたけれど、地元にも魅力があるんだと気付かされたんです。

ー長野のよさや、地元との接点からできることがあると感じられた瞬間だったんですね。大学進学にも影響を与える出来事だと思いましたが、進路はどのように決めましたか?

自分が気づいた長野の魅力を伝えるために、メディア関係の仕事に就きたいと思い始めたんです。ただ、メディア関係に関わるには偏差値の高い大学に行くことが必要だと、高校3年生の文化祭が終わったあとに気づき……(笑)。調べる中でAO入試という受験方法があることを知ったので、挑戦することにしました。まわりにAO入試を受ける人がいなかったので、やれることを無我夢中でやりました。進路指導の先生も応援してくれて、無事にAO入試で関東圏の大学に合格しました。

大企業には就職せず、ローカルに関わることを仕事に

ー関東圏の大学に入学してみてどうでしたか?

大学には、自分よりもすごい人たちが山ほどいるという印象でした。そこで、1人でやるのではなく、もっとチームで経験を積まなくてはいけないと感じましたね。大学ではサークルに入らず、「信州若者1000人会議」や「小布施若者会議(長野県小布施町に100人ほど集め、二泊三日で小布施の町や地方について考えるイベント)」の企画に参加しました。

ー中学・高校時代から変わらず、イベントの企画に関わっていたのですね。

偶然タイミングがよかったのもありますが、周りでイベント開催する動きがあって、運よく関わることができました。「信州若者1000人会議」も大学進学のタイミングで立ち上がることになり、声をかけてもらったんです。長野出身のベンチャー企業「地元カンパニー」の社長の発案で、当時オープンしたばかりだった渋谷ヒカリエに、長野県出身者を1000人集めようとするアイデアは衝撃的でした。その後、「地元カンパニー」で二年間インターンをすることになり、それが今の仕事の土台になっています。二年間のうち、一年間は休学して長野に住んでおり、気づいたら長野と東京を行き来する生活をしていました。

ー大学時代の活動で、何か可能性や気づきはありましたか?

「信州若者1000人会議」の1回目で、渋谷のヒカリエホールに約600人の長野県出身者が集まった会場は今でも忘れられません。長野に対して何かをやっていきたいという思いに溢れ、個性豊かな人たちが多かったですね。大学生時代の活動は、高校時代の文化祭を企画するテンションに近かった気がします。

ー早い段階から、現在のような長野に関わる仕事を続けていこうと決めていたのですか?藤原さんの進路決定についてお伺いしたいです。

学生をしながら活動をしていると、自分だけかもしれませんが、学生ならではの良し悪しを感じていました。良さはフットワークが軽いこと。悪さは、学業との両立の中で目の前のことをやるのに精一杯で、「今の活動が地域に対してどんな価値を生み出しているのか」といった効果と向き合う場面が少なくなってしまうことですね。これは時間的な部分と、「学生だから」という意識の部分もあったかもしれません。

そんな中で、契約の都合で法人が必要になり、休学明けに会社をつくりました。せっかく会社をつくったので、長野でいろんな事業をやってみようと思っていたのですが、今後どうしようか悩んでいたんですよね。当時は学生団体が人気で、そこで課題意識をもって活動したあと、大企業に就職する人も多かったんです。でも自分の周りには、大企業ではない舞台で活動している人たちもいました。自分も迷いましたが、まだやり切れていない感じがして、就職活動をせず、さらにローカルな活動を選択しました。独立して会社をつくっていたので、ローカルに関わる活動を仕事として受けながら大学院に進もうと決めました。

ー就活をするのではなく、ローカルの活動に主軸を移しながら大学院にも進学されたのですね。大学院ではどのような研究をされていましたか?

大学院では、地方移住に関わる分野で研究をすすめました。なぜ人はUターンしないのかといったテーマです。地方創生や人口推移について、これまでの活動と紐づくことがあったことは、研究テーマを決める上で大きい要素でしたね。

ー大学院進学を選択され、アカデミックな場に思い入れがあるように感じたのですが、博士課程には進まない選択をされたのですね。

その頃には仕事が忙しくなりはじめて、博士課程は今すぐじゃなくてもいいかもしれないと思いました。それに修士課程に進んで感じたのは、独自性のある問いを持って研究テーマを決めることの重要性でした。もっと実践を重ねて、博士課程で研究したい問いを考えてから、進学したいと思っています。ただ、物事を俯瞰して考えるアカデミックな視点は大事にしたいと思い、長野県立大学のソーシャル・イノベーション創出センターの地域連携コーディネーターとしても活動中です。

東京にはない、長野の価値を掘り起こす

ー大学院の修士課程を修了し、仕事に集中されてから印象に残る出来事はありましたか?

長野県の移住総合WEBメディア「SuuHaa」に関わることになったのは1番印象に残っています。長野県への関係人口創出を行う「信州つなぐラボ」は、「SuuHaa」がうまれるキッカケになったんです。県の担当者は、移住の情報発信にたくさんの課題を抱えていて、その解決策として「専門的な知識を持った関係人口と一緒に考えるのもいいのでは」という話になりました。信州つなぐラボに参加していた広告代理店の人と県庁の担当者で、どういったサイトが必要かという話し合いをしながら、大事にしたいことを明確にしてサイトの仕様をつくった上で、公募で事業者を決めました。一般的に行政事業の場合、行政内部だけで話をして仕様を決めることが多いのですが、「信州つなぐラボ」でうまれた関係人口との協働が、新たな移住の情報発信サイトの誕生へとつながりました。

ー地方の魅力発信の仕事というのは、地方創生や地域課題解決の文脈でも広告代理店出身の方が携わる印象がありましたが、藤原さんは広告代理店に就職する選択をしなかったのですね。

そうですね……。個人的に、関わるなら地元の長野でやりたい思いがありました。また、大学時代に地域へ関わる中で、取り組みの効果が出るには時間がかかることも感じていたので、泥臭くやることは大事にしたかったんです。そのため、まわりが就活をしていても、大手企業や安定に対する思いには蓋をしていましたね。正直今でも大手企業の社員のほうが給与はいいと思いますが、逆に自分がローカルにいる価値を見出してもらったり、おもしろがってくれる方々もいるんですよね。結果として、大手広告代理店の役員や起業家など、東京でもなかなか出会えない人を長野でアテンドすることもあります(笑)。これは、「長野にいる私」をおもしろがってくれるんだろうなと思います。

ー自分が決めた道を進んでいると、誰かが注目してくれたり、おもしろがってもらえる感覚があったりするのでしょうか?

そうですね。それにローカルな視点でまちをみると、掘れば掘るほど新たな魅力が出てきます。例えば飲食店でも、おじいちゃんが年中無休で営業しているお店があります。「儲け」だけではない視点で行っているビジネスなどをおもしろがってくれる人が多いと感じていますね。

10年後につながる関係性をつくり、ローカルで取り組む

ーこれまでのお話から、藤原さんはリーダーシップを発揮されている印象を受けました。ご自身はどういうタイプだと思われますか?

高校生までは割と一人で進めていくタイプでしたが、大学生でその進め方の限界に気づいたんですよね。現在は、関係性づくりを丁寧におこなってから物事を始めることが多いです。締め切り前や全体のチーム構成にとっては一人で進めることもありますが、基本的には誰かとの関係性づくりを大切にして、一緒にチームを組んでいくことが増えていると思います。

ー現在、長野県の行政や新聞社の方々と一緒に活動されている藤原さんですが、今後取り組んでいきたいことはありますか?

「長野をつなげる30人」もそうですが、ローカルは他に比べて時間軸が長いと思っています。つまり2, 3年先のことを考えるよりも、今の関係性が10年後につながるような感覚ですね。そのための価値づくりを今後は取り組んでいきたいです。

ー関係性づくりなど、現在取り組んでいることがすべて未来につながる感覚ですね。

例えば行政とも仕事をしていますが、現在の仕組みが30年後も同じように効果を生み出せるのか疑問に感じることもあります。私は、自分なりのビジョンがあるタイプというよりは、地域や企業のストーリーに乗っかっていくタイプだと思うので、そのなかでさまざまなことを考えて、行政や企業と一緒に取り組みを行っていきたいです。

ー藤原さんが目指している長野県はどのようなところでしょうか?また、どういった人たちが長野に移住すれば、さらに長野が良くなると思いますか?

移住検討者に対して、「自然が豊かだよ」とか「家賃が安いですよ」といった、都市部との環境的な差を伝える情報発信はもう厳しいんじゃないかと思います。どこの地方も環境的には一緒なので。これからは行政が「こういう町を目指していくので、一緒にやっていきましょう」と発信することのほうが大事だと思います。そのなかで一緒にローカルの価値をつくっていける人が増えたら嬉しいですね。例えば、市民全員にとっていい街にすることももちろん大事ですが、PRとしては「日本で1番子育てがしやすい街を目指します」と旗印をたてるなど、多様な考えを実践できれば人が集まる地域になると思います。

ー最後に、U-29世代にメッセージをお願いいたします。

様々なプログラムやイベントを行うなかで、ローカル的な価値観や地方創生に興味がない人ほど地方にきたら得られるものや感じられるものは多いのに、と感じることがあります。地方には手触り感があって、パソコン1台では完結しない仕事がほとんどです。移住するかどうかは後回しにして、地域のプロジェクトや企業の仕事に関わってみると、たくさんの気づきがあると思いますね。ぜひ、長野の関係人口になってほしいです(笑)。

取材:高尾有沙(Facebook/Twitter/note
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:安田遥(Twitter