教育系パラレルワーカー・中薗優輝は、教育で人生が変わるきっかけを作り続ける

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第487回は中薗優輝さんです。現在は教育を軸に4つのお仕事をする教育系パラレルワーカーである中薗さんに現在に至るまでのお話をお伺いしました。

4つの仕事で福岡を拠点にパラレルワーク中

ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。

今年の8月より故郷である福岡県の教育の質の向上を目指し、パラレルワークしています、中薗優輝です。個別指導塾を退職後、株式会社LX DESIGNの運営する”複業先生”というマッチングプラットフォームを活用して富山県高岡市に移住し、私立高校で3ヶ月程働いていました。その後は株式会社divのプログラミングスクール運営に関わりながら、複数のお仕事をさせていただいています。

ー現在のお仕事についてもう少し詳しくお話いただけますか。

現在は主に4つのお仕事をさせていただいています。1つ目が本業である株式会社divが運営するプログラミングスクールのメンター。2つ目が同じく株式会社divが運営するLX DESIGNの営業及びコーディネーター業。LX DESIGNが行っている事業の1つが外部人材活用プラットフォーム「複業先生」で、学校と連携して適切な人材を選出したり、授業を一緒に作っていくお手伝いをしています。

3つ目のお仕事はNPO法人の相談員で、不登校の生徒などの話を聞いたり相談にのったりしています。そして4つ目の仕事が以前の勤務校の高校ダンス部のコーチです。外部コーチとして週1回程度オンラインで関わらせていただいています。

ダンス、そしてYoung Americansとの出会い

ー現在の働き方に至るまでの経緯や教育を軸に選んだ理由をお伺いしたいです。昔から教育には興味をお持ちだったのですか。

中学3年の頃から、学校の先生になりたいという思いがありました。きっかけは卒業式の時にお世話になっていた先生にかけられた言葉です。「1年間で一番怒ったけど、一番成長したね」と言われたんです。先生や学校、地域が自分のことを育ててくれたという実感がわき、自分も誰かを育てられる立場にたってみたいと思うようになりました。その後、地元の教育大学を目指して勉強し、無事第一志望の大学に進学することができました。

ー大学生活はどのように過ごされていたのですか。

中学は野球部、高校は陸上部だったのですが大学ではダンスに挑戦しました。そしてYoung AmericansというNPO団体と出会いました。Young Americansは世界中で歌や踊りを通して表現力やコミュニケーション力などを育てるアウトリーチプログラムを提供しているのですが、ご縁があって2012年に日本でそのワークショップに参加することができました。大学から始めたダンスが楽しかったので参加したのですが、このワークショップを通して、どう表現するかを意識するように。誰かを楽しませたいなら、まずは自分が楽しまなければいけないことにも気づくことができ、自分の気持ちを大事にするようになった出来事となりました。

ーその間も教師としての夢は変わることはなかったのですか。

Young Americansのワークショップ参加前は変わらず先生になろうと思っていたのですが、ワークショップの参加をきっかけに卒業後はすぐに先生になるのではなく、もっと広い世界をみてから先生になりたいと思うようになりました。というのも、教育大学に在籍していたので周りもみんな先生になることを目標としており、みんな同じで少しつまらなく感じることがあったんです。Young Americansを通して教育以外の世界を知ったり、世界が広いことを感じたりすることができ、いろんな経験をしている方が教育現場でより貢献できると感じました。そこから、先生ではなくYoung Americansのキャストになることを目指すようになりました。

ーその夢は叶えられたのでしょうか。

結論からいうとオーディションに挑戦する前にこの夢は諦めてしまいました。一人で海外に挑戦することなどに不安を感じて怖くなってしまったんです。そして代わりに教員採用試験に挑戦したのですが、準備期間も短く、二次試験で落ちてしまいました。

講師の臨時採用試験を受けるかどうか、卒業後の進路に迷っていた時、再びYoung Americansのティーチャーズワークショップに参加する機会がありました。その時に筑波大学の方と交流する機会があり、筑波大学大学院の後期試験があること知って大学院への進学を決意しました。

ー再びYoung Americansがきっかけで新しい選択肢を見つけられたんですね。

大学院では教育研究課で多文化共生について研究しました。先生になることも再び考えるようになっていましたが、当時付き合っていた方が高校教員をやっていたので教員の働き方などを見るなかでそれほどモチベーションを高く保つことができず、結果的に教員採用試験は落ちてしまいました。そしてやっぱりもっと広い世界をみてから先生になろうと決め、ダンスと教育をかけあわせた仕事を求めて就活を始めました。

 

子どもの選択肢を増やすことが自分の大切な軸

ー大学院卒業後、大手個別指導塾に就職を決められた理由を教えてください。

学習塾を運営している会社でしたが、ダンス系の事業もしている会社だったので、いつかその事業に関われたらと思って入社を決めました。学習塾の仕事は人と関わることができ楽しかったです。生徒数を増やす、生徒の成績を伸ばすなどといった分かりやすい目標があり、やりがいもありました。頑張った結果、最年少で校長先生になることができました。

ーすごいです!にもかかわらず、その後転職を決めた理由は何だったのでしょうか。

校長になったことで本部との連携も増え、先がみえるようになったのが大きかったです。会社での自分の将来がある程度予想がついてしまい、それが魅力的に感じられませんでした。ダンスに関わる仕事もできていなかったので、もっとクリエイティブな仕事をしたいという思いと、今以上に子どもの選択肢を増やせる仕事に就きたいと思い、入社して3年程で退職することになりました。

ー転職先は決まっていたのですか。

退職時は決まっていなかったです(笑)が、たまたまLX DESIGNの方から英語を教えられる人を探しているという相談を受け、複業先生として富山県に期間限定で移住することが決まりました。学校現場で働いてみたいという思いがあったので、複業先生はとても魅力的なプログラムでした。

複業先生は一般企業に勤めている方などが期間限定で学校に派遣され講師として働けるプログラムです。私自身は英語の補助教員として派遣されましたが、社会科の教育免許を持っていたことや学習塾で様々な科目を教えていたので、英語の授業以外にもたくさん関わらせてもらいました。ちょうどICTの導入が始まっていたので、そのサポートをしたり、ダンス部ができたのでダンスを教えたり、学校のホームページを更新したりなどしました。

ーかなり充実した複業先生生活だったのですね。

はい。派遣期間終了後は東京に戻り、プログラミングスクールに就職しましたが、その時の経験からLX DESIGNでも複業先生のコーディネートをする側をさせていただくことになりました。新しい学校に複業先生を導入しませんかという営業活動から、いただいたリクエストにどの複業先生を派遣するかなどの提案などもさせていただいています。

その後、知り合いのFacebook投稿をきっかけにNPO法人の相談員のお仕事が決まり、ダンス部のコーチのお仕事が決まり、現在のような働き方になりました。

 

教育を通して地域・学校に恩返ししていく

ー東京で働いてい中、地元の福岡にこのタイミングで戻ることを決められたきっかけは何だったのですか。

九州でもっと複業先生の活動を広めたいと思ったことがきっかけです。また、仕事のほとんどがリモートワークのため、場所を選ばないことから思い切って拠点を変えてみることに。本業であるプログラミングスクールのお仕事はそれに伴い、福岡の教室に異動をお願いしました。

ー新しい環境で心機一転というタイミングかと思いますが、ぜひ今後の目標や展望について教えてください。

場所は変わっても、仕事も、自分の軸も変わっていないので引き続き「教育を通して人生が変わるきっかけを作ること」を大事に頑張っていきたいと思っています。数年後の自分が何をしているか想像はつきませんが、軸はぶらさず、教育を通して少しずつ地域や学校に恩返ししていきたいです。そして今後もっと素敵な企業や人材が学校現場に流入することで、さらに良い教育が次世代に提供できるようになり、日本の未来がどんどん明るくなっていって欲しいと思っています。

ー最後に何か伝えたいメッセージがあればお願いします!

私自身は現場ではなく、外から公教育に関わることを選択しましたが、学校の先生はとても素敵な職業だと思っています。いろいろと厳しいことを言われることが多い職業ではありますが、日本の未来を作る最前線で頑張っている方たちです。ぜひ身近に先生として働かれている方がいれば応援してあげてください!私自身も、自分の立場から今できることをやることを全力でやっていきます!

インタビュー:あおきくみこ(Twitter/note)
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter