様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第479回目となる今回のゲストは、金融メディア運営会社・代表取締役の中川悟志さんです。
「もっと自由な働き方をする人が増えてもいいのではないか」と語る中川さんに、会社員をめて起業するまでのプロセスと、独立のときに大事した心構えを聞きました(取材当時2021年8月13日時点)。
金融メディアに込めた想いは「主人公を生きる」
ー自己紹介をお願いします。
中川悟志と申します。金融メディアを運営する会社の代表をしています。主な事業として、お金について楽しく学べるメディアやSNSの運営を行っています。
「FXクエスト」「IPOラボ」「お金の知恵子BLOG」「FXトレード道場」などのメディアのPVは月間16万、instagramのフォロワーは10万人まで伸び、順調に成長を続けることができています。
また、ITで起業して住む場所に制約がなくなったことから、パートナーの故郷である鳥取県に移住し、自然豊かな環境で働いています。
ー自由な働き方ですね。FXや投資に役立つ情報を発信するメディアをされているとのことですが、その事業を始めた理由を教えてください。
会社員時代に、副業でFXや投資にチャレンジしたのですが「もっと情報が整備されていれば嬉しいのに」と思っていました。
巷では怪しいと言われがちなFXですが、詳しい人に聞いて、ロジカルに正しく運用できれば有効な資産形成が可能です。自身の経験から、情報を整理して発信できれば、役に立つのではないかと考えています。
ー金融メディアの記事は、勇者が登場する4コマ漫画から始まっていて読みやすいですね。ローグプレイングゲーム(以下RPG)をモチーフにしたのは理由がありますか。
勇者が知識や武器を獲得してレベルアップしていくように、FXの知識を得て資産形成の力を高めていってほしい、という願いを込めています。
また、RPGの勇者が未来を切り開くように、自分の人生の主人公として、自由でワクワクする人生を送ってほしい、という想いがあります。
生きていると、お金、キャリア、人間関係などの「しがらみ」があると思います。私は、この「しがらみ」を乗り越えて生きるための武器を提供したい。勇者が立ち寄る武器屋のように、自由に生きるための価値ある情報を発信したいと思っています。
戦略を立てて勝ち取った京大合格
ー「自由に生きる」ことを大切にされてるのですね。そのような想いをもつに至った理由を、お聞きしていきたいと思います。幼少期は、どのような子どもでしたか。
外で遊ぶのが好きで、友達と喧嘩もしてしまうような、やんちゃな子どもでした。
皆で何かをすること、自分が前に出てリードするのが好きだったように思います。小学校の合唱コンクールで、皆がやる気がなさそうにしていたことがあります。私は「やろうよ!絶対楽しいから!」といって周りを巻き込んで、自分は指揮者を担当しました。
ー周りの友達は、やる気がなさそうなのに、声掛けができたのはなぜでしょうか。
母がピアノの先生だったこともあり、昔から音楽が好きでした。「これをやれば絶対楽しい」という確信があって、皆にもそれを味わってほしいと思ったのです。「やってみたら楽しいのに、やらないのはおかしい。もったいない」と強く思っていました。
ー「やってみたら素敵なのに、やらないのはもったいない」という想いで情報を発信することは、今の会社の活動にも繋がっている気がしますね。
そうですね。その気質は高校でも変わらず、吹奏楽の部活では大阪府大会を目指して、周りを鼓舞していたことを覚えています。
ただ、部員の中には「ただ楽しくやりたいだけ。受験勉強が大事」という人もいて、それぞれが異なる想いで活動をしている事に気づきました。この時の学びは、今、会社で仲間やインターンと一緒に働くことに活かされていると感じます。
ーその後、京都大学の総合人間学部に合格されていますね。学部はどのように選択されましたか。
進路は、高校時代に決めきることが出来ませんでした。文学が好きでしたが、他の人が苦手とする理系も得意で向いていると感じていたのです。そこで、文系・理系いずれの授業も取ることができる総合人間学部を選択しました。
ー進路は決めきっていない中でも、難関に合格されたのですね。どのようなモチベシーションで勉強されていたのでしょうか。
「難しい目標を立てて、攻略するための戦略を考えて、達成する」のが昔から好きです。
受験勉強も「こうやったら絶対受かるぞ」という方法を、自分なりに考えてから取組みました。その結果、合格を勝ち取ることができたのです。ひときわ達成感があり嬉しかったのを覚えています。
ー「戦略を立ててから取り組む」のは、キャリアや、ビジネスにおいても重要なスキルですね。どのようなプロセスでその力身についたのでしょうか。
幼稚園、小学校低学年の頃から、日曜日の朝10時から1時間ほど、勉強をする習慣がありました。その経験があったので「方法を考えてから努力すれば成果になる」という思考と、考える力が、自然と身についたのだと思います。
やりたいことがなく、鴨川で太宰治を読んだ日々
ー京都大学では、どのような大学生活を過ごされましたか。
1〜2年は希望に満ち溢れた学生生活を送っていました。オーケストラに入ったり、興味のあった哲学を勉強し始めてみたり。でも時間がたつにつれて、自分が本気で情熱を捧げられるものがないことに気づいてしまいました。
「いい大学に受かったから、いい人生になる」と、当時は思っていたのですが、そうではありませんでした。エネルギーはあるのに、それを向けられる先がない。
周りの友達のように、ビジネスや起業にも興味は湧かないし「何で生きているのだろう」と虚しさを感じる日々でした。
ー自分のやりたいことが見つからず苦しい時期だったのですね。
そのときは、京都の鴨川のベンチに座って、ひたすら本を読みました。年間200〜300冊くらいは読んだと思います。太宰治などの小説が多かったですが、アドラーを初めとする心理学の書籍など、自分が興味のあるテーマを読み漁りました。
今思えば「変わりたい。とにかく、何かしなくては」という気持ちがあって、本の中に、きっかけを探していたのだと思います。
ーその結果、何が見つかったのでしょうか。
本は考え方を大きく変えてくれる、でも行動しなければ状況は変わらない、ということに気づきました。そこで、大学4年から修士1年にかけて、俳優養成学校に通うことを決めました。
俳優養成学校で学んだ「失敗してもいい」ということ
ー京大に通いながら俳優養成学校に行くのはユニークな選択ですね。
自分の心が燃えるものは何かと考えたとき、学校の意識の高い友達が語るビジネス・起業ではなくて、それが自分にとっては芸術の道だったのです。
親は大反対でしたが、自分の人生に責任を持つのは親ではありません。「何がどうなったら幸せなのか」というのは自分にしか分かりませんから、自分で人生は決めるべきだと考えて進みました。
検索してスクールを探し、大学・院の授業のない、土日に通い始めました。
ー通ってみた感想はいかがでしたか。
本当に良かったと思います。同じ志をもつ仲間と切磋琢磨する日々は青春でした。
また、そのときに尊敬する恩師にも出会いました。その先生は「失敗することはいいことだから、チャンレジしなさい」と口を酸っぱくして言い続けていました。
言葉としてはありきたりかもしれませんが、いざ実践するのは難しい。だからこそ、日々言われ続けることに価値がありました。
ー具体的には、どんな失敗と乗り越える経験をされたのでしょうか。
自分で台本を解釈しながら演じると、的はずれな表現をしてしまうことがあります。仲間が見ている前ですから恥ずかしいものです。でも、先生がそれを認めくれる空気を創ってくれたので、考えて試すというサイクルを回すことが出来ました。
論理的に考えて、その方が成長スピードが早く、そのような組織の方が生産性が高い事にも気づけた経験です。今、アクエストのチームも、そのような場になれたらと思って組織づくりをしています。
ー演技力だけではなく、失敗を恐れない精神も学んだのですね。その後、進路はどのように選択されたのですか。
結果的に、プロの俳優になるオーディションには受かることが出来ませんでした。「2年やって落ちたら、今の自分には才能がないから諦める」と考えていましたし「自分が言ったことは曲げない」と思っているので、キッパリとこの道はやめることを決めました。
今でも期限を決めて取り組むことは大切にしています。ダラダラとやるのは嫌いですし、一緒にやる人に対しても失礼だと思うからです。その後、卒論を書き上げて就活を行い、専攻していた物理を活かせる大手半導体メーカーにエンジニアとして就職しました。
会社員は8ヶ月で卒業。独立後、金融メディア運営会社を起業
ー新卒入社したメーカーを8ヶ月で退職されてますね。何があったのでしょうか。
働いてすぐ、色々なミスマッチを感じるようになりました。
周りのエンジニアのように半導体の研究でワクワクするタイプではありませんでしたし、オフィス通勤すること、会社員として雇用される働き方も、メリットを感じられなかったのです。60〜70才まで、このような生き方をするイメージが持てませんでした。
そこで早くから副業に着手しました。FX・株式を始めたり、ブログを書き始めたり、youtubeチャンネルをやってみたりしました。「副業 おすすめ」などで検索して、色々なものに手をつけながら自分にマッチするものを探していきます。
副業をする中で、独立しても生きていける確信が得られたタイミングで退職し、フリーランスのWEBライターとして活動を始めました。
ー独立は勇気のいる選択だったと思いますが、出来たのはなぜでしょうか。
私は、論理的に考えるタイプで、根拠もないのに危ない橋をわたりはしません。独立も色々な選択肢を考えました。
例えば、プログラミングをしながらエンジニアとして受注を得る方法もありましたが、マネタイズができるまでは時間がかかります。一方、ライターであれば、早期に収益化できる目星がつきました。
実際にクラウドソーシングを使って、継続的に月間の収入を得られる契約も取れていました。ロジカルに考えて「いける」と判断したので、独立に踏み切ることができました。
ーミスマッチを感じたとき、闇雲にすぐに辞めるのではなく、戦略を立ててから独立されたのですね。その後、どのように起業に至ったのでしょうか。
個人として契約をしていたメディアの社長にライティングのスキルを認められ、その会社に誘われました。そこでメディア運営やマーケティングのノウハウを学んだ頃、社長に、姉妹会社の代表となる話を持ちかけられたのです。
この話もワクワクして、考え抜いて成功のイメージも湧いたので、チャンレジすることに決めました。
ー起業して気づいたことはありますか。
ビジネスは「おもしろくて、いいことだ」だと心底思うようになりました。自分自身も「難しい目標を設定して達成してく」プロセスが楽しいですし、お金がもらえるのは「今、世の中にある問題を解決している」から。
自分が楽しみながら、世の中の役に立てるのですから、これほど良いことはありません。「綺麗ごとが成り立つ、美しい世界があるのだな」と、気づきました。
またメディアは、サイトを訪問してくれた人の、エリア、年齢、性別などの情報が分かります。「こんな人が、こんな悩みを抱えて、このページで役に立つ情報を知って持ち帰ってくれたんだな」と想像することができたときは、温かな気持ちになります。
理想の生き方を求めて、パートナーと鳥取に移住
ー自分にあった働き方を見つけたのですね。地方に移住されたのも自分にあった働き方を模索して、でしょうか。
そうです。パートナーの実家がある鳥取県に移住しました。自然に囲まれた環境は、心身ともに健康になり、モチベーションが上がります。
また、地方は賃料・物価などが、都会と比べて安い、というメリットがあります。その分、通常であれば賃金の水準も低くなる傾向にありますが、ITで起業していれば、それも関係ありません。
よって、働く時間を減らしても十分生活していけますし、バリバリ働きたい人は、それだけ資産形成ができていくようになる。魅力的な生活が地方にはあります。
ー理想を叶える最先端の働き方ですね。
最初のうちは、戦略と努力が必要ではありますが、もっと多くの人から選ばれても良い生き方なのではないか、と思います。私自身がこのような働き方をしていることを知って勇気を持ってくれる人がいたら嬉しいです。
ー最後に、中川さんの今後の展望を教えてください。
ビジネスにおいては、金融メディアは他の企業との連携をしながらサービスの拡充を目指せたらと思っています。また、金融の情報だけでなく、就活、副業、キャリアに関する情報を発信するメディアもつくり、自由な生き方をする人を応援していきたいです。
個人としては、実は小説家になりたい、という夢があります。鴨川のベンチに座って多くの小説を読んだときに持った夢です。30代のどこかでビジネスには一区切りをつけて、小説を書いたり、もう一度、芝居の世界にチャレンジしたいと目論んでいます。
そして、鳥取だけでなく、日本中、世界中を旅しながら、いろんな場所に住んでみたい。これからも自由に、ワクワクする人生を、生きていきたいと考えています。
ー聞いているこちらまでワクワクする展望ですね。中川さんの夢を応援しています。ありがとうございました。
取材・執筆:武田 健人(Facebook / Instagram / Twitter)
編集者:杉山 大樹(Facebook / note)
デザイン:高橋りえ(Twitter)