感情にフォーカスした映像制作。映像ディレクター山中将希が大切にする世界観とは?

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第409回目となる今回は、フリーランスの映像ディレクターとして活躍されている山中将希(やまなか まさき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

幼少期は地元川崎で野球や水泳など運動一筋の日々。大学進学を機に始まった静岡での生活。そして小学生の時の友人のSNSがきっかけで、月1で川崎に戻りゴミ拾いの活動を行うように。大学卒業後は個人事業主として映像の世界に足を踏み入れる。また、地元への密着を大切にしており昨年には、民間と行政でのイベントの開催に成功。映像の持つ感情の共有という力を最大限に使いながら活躍されています。

映像を本業とする傍らで地元のゴミ拾い(NPO法人)にも約4年間参加を積極的に行っている山中さん。なぜ就職を辞めてフリーランスとして映像制作を行うようになったのか、なぜ本業の傍らゴミ拾いを続けているのか。その背景を山中さんの半生と共に紐解いていきます。

継続が力になると知った幼少期

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします!

初めまして!映像制作をしている山中将希と申します。この仕事を始めて3年になりますね。具体的な仕事として音楽の部分では、MV制作やライブ、フェスなどのイベントをメインに、地域創生という部分では、地元である神奈川県川崎市のPRに携わっています。また、企業のVPやLPの後ろに流れる映像や商品紹介など幅広く携わっていますね。

ーそうなんですね!生まれは川崎でしょうか?また、幼少期はどんな性格だったか覚えていらっしゃいますか?

そうです!生まれも育ちも川崎です。幼少期はいわゆるわんぱくな子供だったと思います。落ち着きがないというか、じっとしていられない性格でした。僕は長男で下に2人の妹がいますが、手のかかる子供だったと思います(笑)。

ー小学生や中学生の頃にやっていたことはありますか?

小学2年生から大学3年生までずっと野球をしていました。あとは水泳も。そんな感じで基本ずっとスポーツをやっていましたね。

野球の場合は、小学生まではいわゆる子ども会野球部みたいなところでしていて、中学生からはクラブチームに所属し、ボーイズリーグで硬式野球をしていました。

ーなるほど…!この頃から音楽や映像によく触れられていたのでしょうか?

友達と話すための共通の話題が音楽でしたね。

あと音楽や映像とは話が違いますが、今に通ずるものでいうと、この頃に「とりあえず続ける」というマインドが養われた気がします。良くも悪くも辞め癖をつけさせてくれない家庭だったのでそうなったのかなと。

「続けた先に何かあるんじゃないか」みたいな。この考えのおかげで仕事で辛いことがあっても、こうして続けられているんだと思います。

また、ただ継続するだけじゃなくて、どうすれば自分の目指している形が手に入るのかを考えるのが大事だと思いますね。

ー高校までの野球生活を振り返ってみて、今に通ずるなと感じることはありますか?

高校の時の監督がよくおっしゃっていたことがずっと残ってますね。それが「チームだけど『個』が大事」ということです。やっぱり個の集まりが組織を形成していくので。

追い込むのも、継続するのも自分次第なので、まずは自分1人でどこまでできるのかという部分を常に考えましたし、この言葉が「自分」というところにフォーカスをあてるきっかけになったと感じています。

ー大学生活はどうでしたか?

東海大の静岡キャンパスで過ごしていました。また、寮生活からの1人暮らしだったので新鮮で楽しかったです。あとは自然豊かで時間の流れも違いましたし、いろんなところから人が集まってきていたので、知り合いの幅もかなり広がって有意義な生活を送っていましたね。

ー静岡で過ごしたことが地方創生に興味を持つきっかけになったのでしょうか?

そうですね、それはあると思います。また地方創生というと、本田圭佑さんが「そこを変えるのはよそ者か馬鹿者しかいない」とおっしゃっているのがまさにそうだなと。

地域に既にあるものや、時間をかけて作られてきたものを変えようとする時に、やはり地域にどっぷり浸かっている人だと変えるのは難しいなと思っています。だからこそ、離れたところから来た人や、一旦その地域を離れてみた人の方がいいなと。その方が良さも悪さも客観的に見えてくると思うので。

あと、テレビで川崎が取り上げられる時って、あまりいいイメージのものじゃないなと思っていて。実際、地方にいた時は「出身は川崎です」と言うとあまりいいイメージを持たれないこともありました。でも、地名を知ってもらっているという点で、逆にウリにもなっていましたね(笑)。

だからそんなイメージを持っている人にも、いつか川崎に来てもらえるようなことや興味を持ってもらえることをしたいなと思っていた時に、ゴミ拾いに出会いました。

 

ゴミ拾いのために静岡と川崎を往復

ーゴミ拾いのイベントに出会ったきっかけは何だったのでしょうか?

小学校の頃の友達がSNSでゴミ拾いを始めたというのを見かけたのがきっかけですね。そして自分でもなぜか分かりませんが、その子に連絡をとって始めるようになりました(笑)。また、当時は大学生だったので、キャンパスがある静岡からゴミ拾いのために月1は絶対川崎に帰っていました。

ーすごい!毎月静岡から川崎に…!でもなぜゴミ拾いを?労力がすごそうなイメージです……。

当時就活の時期だったので、正直何かしら話のネタが欲しかったというのはあります(笑)。あともう1つ理由があって。それが「ゴミ拾いをしている人がかっこいい」ということでした。

純粋にゴミを拾いたいという人は逆に長く続かなかったり、特に僕らくらいの年齢の人だとそもそも行く気がなかったりすると思いますが、僕の場合は、陽気で楽しそうな人達がゴミを拾うというギャップに惹かれました。それが純粋にかっこいいなって。だから今も続けていますね。

ーなるほど…!素敵な考え方ですね。そして今もゴミ拾いをされているんですね!

そうですね、仕事がない時は必ず参加しています。頻度は落ちたかもしませんが、行ける時は行っています。

また、カメラと出会った後くらいの頃にカメラを持っていったことがあるのですが、その時すごく喜んでもらえたんですよ。それをきっかけに自主的にNPOのInstagramやSNSを始めましたね。

ーそうだったんですね!山中さんが撮影したものを観た人の反応はどうでしたか?

すごく喜んでくれました!

僕が参加しているグリーンバードという団体のゴミ拾いの活動では「親子」がキーワードになっていて、参加されている人達も親子が多いんです。そんな中である親子が、2年前とつい先日の写真を見比べて「これだけ成長したんだ!」という風に、成長の記録として使ってくださっているのを見て、すごくありがたいなと感じました。

やっぱりゴミ拾いの活動を長く続けてきたかつ、カメラマンの僕だからできたことだと思うと、この出来事が一番嬉しかったですね。

ーちなみに山中さんは、どんな表情を撮るのがお好きですか?

笑っているカメラ目線の写真はもちろんですが、誰かと話していたり何かをしていたりする時の表情が好きです。それは、僕自身自分がどんな表情なのか気になるからというのもありますし、カメラを気にせずにがむしゃらに真剣になっている瞬間がかっこいいなと思うからですね。

 

寝ても覚めても気になってしまった映像制作

ーもともと就活はどんな風にされていたのでしょう?

金融に絞って、保険会社や銀行にフォーカスするような就活をしていました。

また、野球部を引退するまで本当に野球一筋だったので友達がいなかったんですよ。でもまだ単位をとらないといけなかったので、それはまずいなと(笑)。

そこで「これから始まる就活を周りの人よりも気持ちはやく経験して、誰かに伝えられるようにしたら話し相手ができるのでは?」と思ってインターンを受けたり、他の選考を受けたりしていましたね。金融を選んだのは本当に何となくで、経験したことを周りの人に伝えるということに重きを置いていました。

ーそうだったんですね!でもなぜ就職しなかったのですか?

内定をいただき、内定式も終えて4月1日の「いざ入社!」というタイミングの数週間前に起こったあることがきっかけでした。

当時、学生生活最後だからと友人の誕生日会も兼ねた10人くらいの集まりをしたんです。そこで知人の紹介で同い年の大学生ビデオグラファーの子と知り合ったのですが、その子が当日の様子を1本の映像にまとめて友達に送ってくれていたんですよ。

そしてその映像の表現に感動して……。「思い出ってこうやって形に残すことができるんだ」「こうやって誕生日のお祝いができるんだ」と思って。あと自分が男だからというのもあるかもしれませんが、機械を触っているのがかっこいいなと。

そうしたらもうそこから、寝る時もネットサーフィンする時も「映像制作」のことが頭から離れなくなったので「このまま就職するのはまずい」と思ったんですよ(笑)。ネットでもよく「3年は働いてから辞めたり転職したりする方がいい」というじゃないですか。でも「3年も待てない」「3年で時代は変わってしまう」と思い、入社前に辞める決断をし、知識も何も無い中でビデオグラファーになろうと考えました

ーここまでのお話の中で山中さんは「選んだからには続ける」というイメージがあるのですが、その決断の背景には周り方の影響もあるのでしょうか?

映像関係の知り合いは誕生日会の時に知り合った子しかいなかったですし、周りの人からも割と「ばかでしょ」と言われましたね……。でも今思うと、それへの反骨心で頑張ろうと思えたのかもしれません。「どこまでできるかが見えていないけど、挑戦するぞ」という気持ちでした。

また、3年前は「フリーランス」という言葉が流行り始めて、若い世代にも下りてきた時期だった気がしますし、僕自身大学時代によくYouTubeを観ていたので、「個人で働く」ことと「映像」が案外自分の近くにあったからというのもあるかなと思います。

あとは、野球部を引退した後の友達作りのように、何かしらのきっかけを掴めれば軌道に乗ることができるという実体験があったのも背中を押してくれた要素の1つだった気がしますね。

ー最初の頃はどのように生計を立てられていたのですか?

今でも一緒にお仕事をさせていただいている方のアシスタントを1年ほどしていました。あとはYouTubeのお仕事もありました。

当時は自分がやりたいと思っていたことでお金をいただき、それが1円でも残ることがすごく嬉しかったですし、どうやって1円を残すのかを考えるのも楽しかったですね(笑)。

 

ずっとそばにあった大好きなものが音楽

ー現在山中さんは音楽の分野でも映像制作をされていますが、なぜ「音楽」を選ばれたのでしょうか?

皆さんもご経験があると思うのですが、入学や卒業のようなライフイベントや、辛い時、嬉しい時、元気を出したい時など、音楽に勇気づけられることってたくさんあると思うんですよね。僕の場合もそうで、これまでの人生で純粋に音楽に助けられたことが多かったと思います。

川崎がヒップホップの盛んな街だったというのもありますが、ずっと近くにある大好きなものが「音楽」でしたね。

ーなるほど…!そして、あるMV撮影のアシスタントをされた際にご自身のお仕事を見つめなおすことになったそうですが…?

そうですね。その時に思ったのが、周りの人が困った時に「音楽だと○○だよね」と言ってもらえるような存在にならないとアシスタントから抜け出せないなということでした。

また、僕は「映像会社に所属している会社員ではなく、フリーランスとして映像制作に携わっている」ということにフォーカスを当てていたのですが、フリーランスって必ずしも上手いから案件を取ってこられる世界ではないじゃないですか。

そして自分が周りからどんな存在として認識されたいのかを考えるようになり、同時に「音楽を聴きながら仕事ができるのって最高だな」という考えも相まって、やはり「音楽」で頑張りたいなと。

ー山中さんご自身が考える「自分ならではの世界観」とはどのようなものなのでしょうか?

クライアントワークなので自分だけの色が出せるわけではありませんが、大きな枠組みでいうと「どこか見たことあるような感じ」「何か経験したことのあるような懐かしい感じ」に近しい映像が僕ならではの世界観かなと思います。

音楽やフェスに関しては「行ってみたい」「楽しい」「かっこいい」に重きを置いて制作に取り組んでいるので、その部分に自信がありますね。

ー「映像」に出会う前後で変わったなと感じる部分はありますか?

めちゃくちゃ変わりましたね。ちょっと変人になりました(笑)。

具体的には「人間の狂気」を気にして見るようになったなと。怒りや嫉妬、憎しみのような負の感情を特に気にしていますね。街中で喧嘩しているカップルや、下を向いて歩いているサラリーマン、平謝りをして振り返ったら真顔になっている人などを見て「なぜそうなったんだろう」とついつい考えてしまいます(笑)。

 

小さな幸せを大切にし、いつも笑っていたい

ー誰もがクリエイターになれる時代になったと思うのですが、クリエイターに興味を持っている人へのアドバイスはありますか?

前提として僕のように企業さんの映像を作るクライアントワークと、インフルエンサーのような自己表現とは全然別物です。

でも共通して言えるのは「作品を作り続けていろんな人に見てもらってください」ということですね。自己満足で作って「かっこいいものができた!」と思っていても、誰の目にも触れなかったらそれは作品にはないと思いますし、誰かの目に留まって初めてその作品が活きるのかなと。だからこそ見てくれた人から意見をもらうのがすごく大事だと思っています。

ー今後どんな作品を作っていきたいですか?

今まで通り、感情のように人間が持っているものにフォーカスして作っていきたいですね。あとはクライアントさんが観て「良いな」と思う先の作品を作ることが信用に繋がりますし、大事な部分だと思っています。

また、その作品がどんな影響をもたらしたのかという部分を意識しながら、今持っているものを洗練させていきたいと考えています。

ー地元川崎への関わりはどうなりそうでしょうか?

仕事ではありませんが、これまでゴミ拾いがきっかけでたくさんの人と出会ったり、イベントを開催したりという風に、川崎にはエンタメという部分で愛や恩があるので勝手に癒着していくと思います(笑)。

ー最後に、山中さん個人としてのビジョンや目標を教えてください!

すごくシンプルですが「去年より楽しく、今年を」がずっとテーマですね。このコロナ禍という辛い状況でも、ずっと笑い続けていたいなと。

そして、その中で頼り頼られという「人との繋がり」を大切にすると同時に、周りの人が困っている時に頼ってもらえるような存在になれたら嬉しいです。

大きな夢はありませんが、小さな幸せを大事にしながら過ごしていきたいですね!

ー本日は素晴らしいお話をありがとうございました!山中さんの今後の更なるご活躍を楽しみにしています!

取材者:大庭周Facebook / note / Twitter
執筆者:庄司友里(Twitter
デザイナー:安田遥 (Twitter