やりたいことを全部やる。板前デザイナー・たけるんの生き方から学ぶ挑戦力とは?

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第392回目となる今回のゲストは、料理とデザインの2つの軸を持つ、板前デザイナーたけるんさん。

料理人としては料理長をしたり、ファッションデザイナーとしては自分のブランドを作り、海外のコレクションにも出場したりと、常にやりたいことに挑戦。そんな挑戦力溢れるたけるんさんの生き方を、これまでの人生から紐解いていきたいと思います。

自分の強みを活かしたら、板前デザイナーになった

ーこれまでのご経歴を含めて、簡単に自己紹介をお願いします。

板前とデザイナーをしています。そのほかに、スタイリストとリラクゼーションサロンの経営。今後、あと2、3個はやりたいことを増やしたいです。

ーいろいろなことをされていらっしゃるとのことでしたが、今ざっと何個くらいのお仕事をされているのですか。

その時々、やりたいものを組み合わせつつ活動しています。今は、大きく言ったら3個。今までだと10個は超えているかもしれないですね。

ー常に何かと何かを掛け合わせているんですね。それには、ご自身なりのやり方やポリシーなどがあるのですか。

1つだけでは自分ができなかったんですよね。気性もあるのかもしれないですけど(笑)。いろいろなものを何個かやって、得意なものを見つけています。今料理と服という大きな軸を見つけたので、そこをベースに「板前デザイナー」と名乗って、他のことをやりながら強みを組み合わせています。

ー主があって、そこから自分がやりたいことを派生させていくんですね。これだけやることがあって、時間の使い方はどのようにしているのですか。

決まったパターンで働くことはないですね。土日はイベントが多いので、出張で板前をすることが多い。平日で服を作ったり、スタイリングの現場に行ったりすることが多いです。そして、空いた時間で自分のしたいことをしています。

ー出張板前のお仕事について教えてください。

今はお店に依頼されて、いろいろなところへ行って料理をしています。基本的にはキッチンではなく、カウンターやテーブルで料理をしていて、お客様に目の前で作っているものをちゃんと見てもらったうえで食べていただく。お客様としては、目の前で作ってもらえることは面白いと思うので、この形で行うよう心掛けています。

ーお客様の顔を見ながら料理をすることは、提供する側としても違う点はありますか。

自分の作ったものがどう価値を生み出して、消費されているかが見えるのは、作る側にもメリットがありますね。

ー洋服も「作る側」で、デザインはご自身で0から行なっているのでしょうか。

基本は僕が0から作っています。なかには、クライアントさんの要望をベースに作ることもあります。デザインとしては、もともとパジャマのデザインをしていたので、パジャマみたいなものを作ってほしいと言われることが多々ありますね。

ファッションデザイナーになるために歩み出す

ー幼少期のお話を聞かせてください。小さい頃の夢は何でしたか。

ポケモンのミュウツーになりたかったです(笑)。悪役だったけれど、1番強そうだったから。ミュウツーみたいな「強さ」に憧れていたのかもしれません。

ーなるほど!(笑)ちなみに、16歳当初は将来医者を目指していたとか。

はい。昔から頭が良かったので、自惚れていましたね。頭のいい人は医者になるというイメージが勝手にできあがっていました。しかし、途中でファッションデザイナーになると決めました。

ー医者を目指していたのに、なぜ急にファッションデザイナーになると決めたのでしょうか。

ギャル男の友達が『メンズエッグ』という雑誌を貸してくれたのがきっかけです。雑誌を見て、秋田にはこんな人はいないと惹かれました。すごい髪の色をしていたり、肌は黒く、服もかなり派手で、秋田にいたらおかしい人たちばかりが並んでいて衝撃を受けてもうギャル男になるしかないと使命感を持ちました。

ーギャル男に!でもモデルではなく、デザインする側のデザイナーになろうと思ったのはなぜですか。

雑誌でダサい格好をしている人を見たときに、こうしたらかっこいいのにと自分でデザインを考えるようになりました。そんなとき雑誌に自分が考えたデザインに近い服が載っていて、自分でもデザインができそうだと確信を持ったんです。そして、ファッションデザイナーになろうと決めました。

ー自身がギャル男になってみて、得たものはありましたか。

ギャル男になる前は、服を買いに行きたいお店があっても、着ていく服がない状態で行けませんでした。でも服に触れる機会が増えて、服が自分の武器になったんです。服という武器を持ったことにより、どこにでも行けるようになりました。自分に武器とか経験を持ったらいろいろなことができるのがわかり、それが今の自分のスタイルとなりました。だから、今はまずやってみて、突き詰めるようにしています。

ー高校卒業後の進路はいかがでしょうか?

高校1年生のときから、ファッションの専門学校に行こうと決めていました。正直ファッションデザイナーが何をするかもわからなかったのですが、自分で0から服を作れるようになりたいと思っていました。

東京に出ていくのは決めていたので、東京の専門学校のオープンキャンパスに行って、その中から面白かった学校にしたんです。

多くの学校では、準備されたものをただ縫う、もともとあるものを加工する作業が多かったんです。そのなかで、デザインの型紙から作り、縫って、自分で作った服を着て撮影モデルをするデザインの流れを一貫して体験できた学校に決めました。

ー東京に出て行くことは決めていたとのことでしたが、なぜ東京だったのですか。

東京への憧れですね。秋田からの進学は仙台か東京かの2択で。両親には秋田から出さない、と猛反対されました。でも、アルバイトをして学費を貯めて、全部自分でやるからと説得して、渋々了承を得ました。そのときにしたバイトが、今に繋がる料理のバイトでした。

ーバイトに料理を選んだのは、もともと料理をよくされていたからですか。

父親が板前だったので、よく料理する姿を見ていました。たまに、料理をさせてもらったり。料理のバイトも好きで楽しくやっていました。

ー料理のバイトは、たけるんさんの中でどのような存在になっていきましたか。

最初はただの「仕事」の気持ちでした。しかし、板長が若いからと気にかけていろいろなことを教えてくれたこと、自分自身も技術の習得が早かったことから、料理の世界で頑張るのも良さそうだとも感じていて。けれど、ファッションデザイナーになる気持ちには敵いませんでした。

睡眠時間を削って、料理とデザインの力をつけた東京生活

ー2年半の秋田でのバイトを終えて、上京後の生活はどう変化しましたか。

一人暮らしが初めてで大変でしたが、寂しさはありませんでした。専門学校やセミナーで知り合った子たちが毎日のように家に遊びに来てくれたので。東京に来て、おしゃれな人って本当にいるんだなと感じましたね。そして、東京でデザインの力を育むことができました。また、周りの人たちと交流を深めたいと思い、誰でも呼んできて!みんなで仲良くなろう!といろいろなイベントを開催するようにもなりました。

ー上京後、料理との関わりはあったのですか。

専門学校に通いながら、和食屋でキッチンのバイトをしていました。そこでは、タイミングや運もあり、半年くらいで料理長にまでなりました。でも、じつはこの頃は1番辛い時期だったんです。料理長という立場上お店に出ないといけないし、レシピも考案しないといけないし……という中で、学校との折り合いがつかなくなってきました。でも、自分の睡眠時間を削って、どちらも辞めずにやり切りました。信頼されたい気持ちも大きかったので、がんばれましたね。

ー卒業後はどのような道に進まれたのでしょうか。

卒業と同時にパジャマブランドをデビューさせました。在学中に周りがどんどん就職を決めていくなかで焦るときもありましたが、自分のやりたいことを突き詰めた結果、自分でブランドを立ち上げることになりました。企業に入ると販売などで下積みをしなくてはいけなくて、その時間が自分は勿体ないと思ったので。

ーいきなりのデビューで不安はありませんでしたか?

在学中に販売の経験はしなかったので、とても不安でしたね。しかし、作りたいもののイメージは決まっていたので、ブランドをデビューさせる軸がぶれることはありませんでした。

あとは、いかに自分でやれるか。とにかく「やるしかない」という気持ちで乗り越えました。当時も仕事はデザイン1本ではなく料理もやっていたので、ブランドが売れないから生活できないこともなく安心して、デザインに没頭できました。

ーこの頃から、今の料理とデザインの2本軸ができあがってきたわけですね。では、料理のお話を聞かせてください。

料理の仕事でも人前に立つ機会が増えてきました。25歳のときに、Twitterの繋がりで「うちのお店で料理をしてよ」と言われ料理のイベントをさせてもらうようになったんです。そこから他にもいくつかのお店から出張料理の依頼をもらうようになりました。

ーはじめてイベントを開催したときは、どのような気持ちでしたか。

今まではお店で決められたメニューを作っていましたが、イベントでは自分の食べたいものしか作りませんでした。そうしたら、縛りがなくなったので、はじめての経験となりました。

とても気楽にでき、お客様とも近い距離で接することができました。美味しいという言葉を本当に美味しそうに言ってくださり、店員とお客様の垣根がほぼ0に近い状態で料理ができ、生の声を聞けました。

デザイナーの夢が叶う一歩となるインビテーションを受け取る

ー27歳のときに素敵な招待状をいただいたとのことですが、そのお話をお伺いさせてください。

カナダのバンクーバーファッションウィーク(日本で言う東京コレクションのようなもの)の運営から、日本代表として出てみないかと1通のメールが来たんです。最初は、なぜ自分に来たのだろうという疑問しかありませんでした。

しかし、やり取りをしていくうちにだんだんと実感が湧いてきました。そして、「あ、自分はファッションデザイナーだ」と思えてきました。在学中、将来は海外でファションショーをすることを目標にしていたので、夢が叶った瞬間でした。

ー実際に参加してみてどうでしたか?

コレクションはもちろんですが、海外自体が初めてだったので、どれも経験したことのないことばかりでした。見たものすべてが勉強になりました。このときの経験が、自分の核ができた経験になっています。

やらなきゃ始まらない。やりたいことはぜひやってほしい

ーまずはトライしてみようとたくさんのことに挑戦してきたたけるんさんから、みなさんへメッセージをお願いします。

いろいろな経験をすることはとても意味のあることだと思います。まずは、やらなきゃ何も始まらないので、やりたいことがある人はぜひやってほしいです。そして、逆にやりたくない、成長に繋がらないことは辞めていいと思います。わたしはそうしています。

やってみるのが怖かったり、勇気が出ないときは仲間と一緒にやってみてください。わたしはそうして乗り越えてきました。また、何か自分の中でぶれない夢や芯を持つのも大事だと思います。

ーでは、最後にたけるんさんの今後についてお聞かせください。

やりたいことを全部やります。やりたいことは、どんどん増えていくと思うけれど、これからもどんどん増やして、それを全部叶えていく。今まで全部叶えてきたので、今後も叶えていこうかなと思います。どんどん叶えていく生き方をしていきます!

ーありがとうございました!たけるんさんの今後のご活躍を応援しております!

取材者:あおきくみこ(Twitter
執筆者:田中彩子(Twitter
編集者:えるも(Twitter
デザイナー:髙橋りえ(Twitter