ジェンダー問題に取り組む西村俊哉が語る、社会問題との関わり方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第395回目となる今回は、一般社団法人Voice Up Japanの理事を務めていらっしゃる西村俊哉(にしむら しゅんや)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

8歳から10年間バスケに打ち込む生活。大学は法政大学法学部に進学し、2020年に卒業。卒業後に考えていた大学院留学は、コロナの影響もあり1年間延期に。そして2021年の9月からイギリスはサセックス大学のジェンダー学修士過程に進学予定で、イノアック国際教育振興財団34期奨学生でもあります。Vocie Up Japanでは、インスタグラムの投稿のディレクションやデータ分析、学生支部も含めたイベントの告知等を行っていらっしゃいます。

現在主にジェンダー問題に取り組むVoice Up Japanの理事を務めていらっしゃる西村さんは、今年の9月からイギリスの大学院に進学予定です。なぜジェンダー問題に取り組むのか、なぜ海外の大学院進学を決意したのか。その背景を西村さんの半生とともに紐解いていきます。

コロナの影響で一度頓挫した大学院進学

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします!

初めまして!一般社団法人Voice Up Japanの理事を務めております、西村俊哉と申します。今年で25歳になります。2020年に法政大学を卒業し、今年の9月からイギリスにあるサセックス大学のジェンダー学修士過程に進学予定です。

ー今年からイギリスの大学院に行かれるとのことですが、やはりコロナの影響は大きかったですか?

そうですね。ぱっと思いつくものだと学部の終わり頃からコロナがひどくなり、3月の卒業式がなくなりました。これは僕自身あまり卒業式に思い入れがなかったのでそれほどでした。でもちょうどそれくらいから大きく影響してきて……。「留学はいけるでしょ」と思っていましたが、航空券の予約ですら難しかったです。

また、オンラインで授業を受けるとしても、いただいている奨学金が下りないという問題もありまして……。じゃあ1年延ばそうという判断になりました(笑)。「海外の大学院だけどオンライン授業」という場合、奨学金が下りないという奨学金団体が多くてなかなか難しかったですね。

ーそうだったんですね……。少し話は変わりますが、一般社団法人Voice Up Japanはどんなことをされている団体なのでしょうか?また、西村さんはどんな経緯でジョインしたのですか?

ジェンダーに関してがメインで、人種などに関係なく誰もが声を上げられる社会を作るために活動している団体です。もともとは代表理事の山本和奈が学生の時に立ち上げた団体で、それを社団法人化してちょうど1年ほどになりました。僕は去年の7月頃に入り、今は理事のポジションにいます。

去年7月頃はコロナがひどくなっていて、留学辞めようと考えていた時期だったんです。本当に何をしようか悩んでいましたね。そんな時に大学でお世話になっていた先生方から「自力をつける1年にしなさい」という話をしていただいたことで、「こんなふてくされていてもしょうがないな」と思い、大学で学んできたことやジェンダーに関することを何か実際の活動を通してアウトプットしたいと考えるようになりました。

そして、その時期とVoice Up Japanのメンバー募集がたまたま被っていたんですよね。それで試しに応募してみたら通って。結構運がよかったです。

ーなるほど!Voice Up Japanでは、現在特にどんなことに注目されていて、その中でも西村さんはどんなことをされているのでしょうか?

Voice Up Japanとしては今大きく2つの動きがあります。1つ目は同性婚の問題です。札幌で訴訟があったように、同性婚を認める法律を日本で作ろうというのが1つ大きな動きですね。

もう1つは入管法改悪の問題です。難民や海外の方のVISAが切れた際に収容施設に入れられるものの、そこでの対応や処遇が非常に悪く、亡くなられた方までいるのが現状なんです。でもこれは人権の侵害ですし、海外の人に対してなら何をやってもいいという訳ではないと思うので、その問題に対して声を上げています。

また、メンバーそれぞれがプロジェクトを持って動いています。僕はもともとInstagramやその他SNSの数値分析の部分でジョインしましたが、最近はInstagramのポストの方向性やコンテンツ、そのチームの全体管理、そして理事などいろいろやっていますね(笑)。Instagramの内容は何人かいるのでみんなで話し合って決める部分はありますが、僕が全体の統一感のチェックをしています。

ーそうなんですね。今何人ほどの団体なのでしょうか?

実は、各大学に「Voice Up Japan○○学生支部」というのもあって、合計で100人ほどいます。また、本部は社会人メインで30人前後おり、みんな休みの日や仕事後に活動しています。ちなみに理事は僕を含めて7人です。

ーそれぞれが持っているプロジェクトとは、具体的にどんなものがありますか?

僕の場合はSNSやマーケティングの部分をやることが多いですが、他には翻訳やライター(Voice Up Japanのサイトの記事を執筆)や、同性婚の問題に取り組む人達もいますし、本当に様々です。本部は大学支部との連携をとるという役割もあります。

また、一般の人がVoice Up Japanを知っているのはInstagramかなと。この部分は若い人達に結構認知されているのではないかと思っています。

受験最終日に始めた英語の勉強が転機に

ー1つ目のターニングポイントは18歳とのことですが、それ以前で記憶に残っていることはありますか?

結構それまでは暗黒時代でした(笑)。8歳から18歳までの10年間は本当にバスケしかしてなくて。バスケ関連で記憶に残っていることはありますが、今関連だと記憶に残っていることはないです……。

しいて言うなら、高校2年生の時にバスケの遠征でドイツとチェコに行ったことですかね。当時全く英語ができず、相手チームの人とコミュニケーションを取れなかったのが印象的でした。全く話せないんだなあという感じで。今思えば、話せたら楽しかっただろうなと。

ーなるほど。それがその後英語の勉強や留学のモチベーションに繋がっていったのでしょうか?

それはかなりあると思いますね。おそらくほとんどの人が漠然と「英語って、話せたらかっこよくない?」と感じていると思うのですが、その想いを強くしてくれたイメージです。

ーそれにしても高校としてバスケで海外に行くことはなかなかないですよね?

そうですね(笑)。本当にたまたまですが、高校生の時の監督がドイツ側の人との関係があり、学校として5年に1度くらい遠征に行っていたんですよね。それがちょうど僕たちの世代の時に回ってきたので本当にラッキーでした。

ーそうだったんですね…!話は変わりますが「受験最終日に英語の勉強を始める」とはどういうことなのでしょう?

受験期間も英語の勉強をやっていなかったわけではないんですけど(笑)。僕が受験終わってからも、友達や周りの人がまだ受験を受けていたので「僕だけ遊ぶのもなあ」と思い、彼らが終わるまでは自分も何か勉強しようと毎日塾に行き、英語の勉強をしていました。

もともと英語が苦手だったので、「大学に入ったらちょっとはやろう」「就活で使えたらな」「 TOEICは600点くらい取れればいいかな」という風にすごく低い目標で勉強を始めましたね(笑)。

でも、受験最終日に始めたことで結構印象に残っています。ここで始めたことが、本当に意味のあることだったと今になって思います。

ー大学に入ってからも勉強は継続されていましたか?また、学部を決めた理由や、大学で勉強されていたことはどんなものだったでしょうか?

そうですね、ずっと英語と大学の勉強の両方をやっていました。学部は、もともと法律の専門職になろうと思っていたので法学部を選びました。まあこれは後々変わるんですけど(笑)。また、1~2年生は基礎科目が多かったので選択肢が少なく、2年生の途中あたりでジェンダー学と出会いました。

英語はというと、勉強を続けていたことで結構伸びたんですよね。最初はTOEICで600点くらい取れたらいいと思っていましたが、1年生の終わりには800点くらいになり、そこで「留学行くか!」と思いました。ここまできたら旅行だと満足できないから長い留学に行きたいなと。そして法律の専門職の勉強は向いてないから辞め、英語の勉強に走りました(笑)。

やっぱり法律と英語を結びつけるのはすごく難しくて。どうしても法学部で学ぶ法律は日本の法律なので、あまり英語を絡めさせることができなかったんです。また、海外の大学院で学ぶとなった時に「法律のバックグラウンドを持っている人にはどんな選択肢があるんだろう?」と思い、いろいろ見ていたところ「人権」を見つけて。そして「人権だったらどの国もほぼ一緒だろう」と考え、人権についてたくさん調べるようになりました。それがスタートでしたね。

ー確かに、法学と言語を結びつけるのはなかなか難しいですよね。

そうなんですよね。経済学のような分野であればそもそも英語で書かれていることもあり、英語に絡ませるのは簡単かなと思いますが、日本の法律だとどれだけ遡ってもドイツ語でした(笑)。

イギリスでの交換留学で生まれた変化

ーそして次のターニングポイントが21歳の時の交換留学ということで、交換留学というと学部内や学内での競争があると思うのですが、難なくクリアできたのでしょうか?

僕の場合は難なくではなかったですね。法政大学は学部ではなく学内での募集だったので競争相手が多く、英語圏の大学だとなおさら多かったです。一度20歳の時に申し込みましたが、当時は1年上の先輩も一緒に競っていたのであっさり落ちてしまいました……。

そして学年的にラストチャンスだった2回目でやっと受かりました。やっぱり喜びが大きかったですね。受験に受かった感覚に近いかもしれません(笑)

ー2回目は3年生ですか?

はい。秋冬頃だったので就活を始めつつという感じでした。夏はインターンに行きながら交換留学の選考の書類作成をしていたので、今回落ちたら就活をしようと決めていました。

ーそうだったんですね。イギリスの交換留学ではどんなことを勉強されていたのでしょうか?

マーケティングを勉強していました。留学期間は9ヶ月なのですが、法政大学は留学先では何を勉強してもよく、理由をしっかり説明できたら交換留学生になれるんです。だから「どのみち1年弱しかないんだから全然違うことをやろう」とマーケティングを選びました。

また、マーケティングはジェンダー関係に弱いと考えていたことも選んだ理由の1つです。日本にも炎上する広告がごろごろあるじゃないですか。そういう部分でもマーケティングには可能性があると思いましたし、ジェンダーとも絡めたかったのでイギリスではマーケティングを勉強していました。

ーなるほど。留学中に印象的だったことはありますか?

友人関係が一番印象的でした。1人韓国の友達ができたのですが、結構思想が強めの子で。その子とは仲が良くて授業も一緒に受けていたものの、所々での人種差別的な発言を見過ごせず……。というのも、僕がいた街がパキスタンを始めとしたインド系の移民の方が多く、そのご子息(イギリス生まれイギリス育ち)が今も住んでいる街なんです。

そんな中で「イギリス人いないね」「白人がいると思ってたけど全然いない」と言っていて。でも彼らもイギリス人だしそれは違うでしょということで喧嘩をしたのを覚えています。そして最初の2ヶ月ほどで友達を解消しました(笑)。もちろん仲が良かったエピソードもたくさんありますが、ちゃんと喧嘩できたということで一番覚えていますね。

ーなんと!最終的に仲直りしなかったんですね(笑)。でも良かった経験なんですね。

はい、しませんでした(笑)。そうですね、僕自身満足している結果です。相手の意見を変えてまで仲良くなったとしたら、それはそれでまた違う想いが残っていたかもしれないです。「相手の意見を無理やり変えたかな」「自分の意見を押しつけたかな」と考えてしまいそうなので、やはり友達の解消という結果が一番しっくりきます。

ー逆につらかったりネガティブだったりした経験はありましたか?

ネガティブな面はお金ですね。交換留学はある程度の支援をいただいて行くのですが、それでも結構ぎりぎりの生活でした。セミナーや大学が催すイベントには全て行き、そこで振る舞われる無料のごはんをたくさん食べて帰るというくらい超貧乏学生生活を送っていました(笑)。それは楽しくもあり、つらくもありという。何を食べているか分からないほど、かなりぎりぎりだったと思います。今では笑い話になるのでいいですけどね(笑)。

ー交換留学の前後で、西村さんにとっての一番大きな変化は何だったのでしょうか?

割と何でも受け入れる感じになりました。留学前は思想が強いタイプで「自分がこうと思ったからこう」というように結構頑固でした。だから英語の勉強もずっと続けられたと思うんですけど。

でも帰ってきてからは割と「何でもいいか」「何とかなるっしょ」という感じのゆるいスタンスになって受け入れることが多くなりましたね。人の意見や考え方もそうですし、ネガティブな状況でも焦らなくなりました。ただその理由は分からないです(笑)

周りの人の影響か留学の影響かは定かではありませんが、留学前後の変化だったのは確実ですね。諦めるというか折り合いを付けることが多かったので、受け入れるのが上手になったのかもしれないです。

ー帰国後の進路はどう考えられていたのですか?

交換留学前から院進するとは決めていました。それは、帰国が5月末の予定でそこからの就活は無理だろうというのがあったからです。あとは留学中の就活が嫌だったというのもありましたね。だから就活を含め将来のことは大学院に留学に行ってから考えようと思っていました。

ーじゃあ留学に行く行かないというのは、かなり重要なポイントだったんですね。

そうですね、かなり大きいです。もし留学に行っていなければ今普通に働いていたと思います。

ー帰国後の動きはどのようなものだったのでしょう?

イギリスにいる時から大学院に送る推薦書を書いてくれる教授を探していました。また、英語の勉強など大学院進学の準備をしていましたね。

ーそうなんですね…!いつ頃に大学院の受験をし、進学が決まったのですか?

申し込みは2019年の12月頃で、当時はカナダの大学院に行く予定でした。それが終わると奨学金申請の準備をしました。

決まったのは3月か4月あたりでしたが、まさにコロナ真っ只中で。その頃に大学院に行くか否かを考えました。おそらく職員の方が学内におらずメールが返せない状況だったからか、向こうからの連絡が途絶えていたんです。そんな連絡がつかない状況で行くのも違うなと思っていました。

ーそして留学に行くことが難しいとなった時に、進路の変更は考えましたか?

就活をするかどうかは少し考えました。でもメンタルが落ち着いてきて、その考えを捨てたのだと思います。メンタル不調は3月がピークで、6月あたりに落ち着いたかなと。そしてその時にもう一度頑張ろうと思い、Voice Up Japanにジョインしました。

身近な人がつらい時に、一番いい声を掛けてあげたい

ーVoice Up Japanとの一番最初の出会いは何だったのでしょう?

Instagramでした。ジェンダー関係のアカウントをいくつかフォローしていたうちの1つでしたね。当時はフォロワーが2000人ほどで、今と比べるとそれほど大きくないアカウントでした。

ーSNS運用でジョインされてその後幅広く活動されていますが、難しかったことはありますか?

人数がどんどん増えていく中で全体のモチベーションを維持するのが難しいと思いますね。ジョインした当時は自分が一番新入りだったのであまり関係ありませんでしたが、理事になってからは全体を見ることが多くなったので。

新しい人を入れてもいいのですが、そうすると今いるモチベーションが高い人のモチベーションが下がりうるので結構難しいなと……。そして全体のモチベーションを上げた中でInstagramの管理をするのが今のポジション的に一番難しいと感じています。

ーVoice Up Japanとしてはこれからどんなことを目指して活動されていくのでしょうか?また、Voice Up Japanが掲げる理想の状態とはどんなものですか?

まずは学生支部もっと増やしたいですね。最近は立命館大学、弘前大学、そして岩手の支部のように東京から離れた地域でも増えてきましたが、もっといいところがあるので拡大していきたいと思います。

また、団体として掲げているのは4つあります。1つ目は、ジェンダーによる暴力をなくすこと。2つ目は、現在ほとんどない女性の政治参加を増やすこと。3つ目は、姓を問わず様々な人達が、よりよく、笑って過ごせるようにすること。

そして4つ目は、若いリーダーの育成をすることです。これは、例えば学生支部の人達と企業の人達とでセミナーをして学生にリードしてもらうというようなイメージです。そんな経験を大学生のうちからしてもらいたいですね。

ーなるほど…!やはり近年U-29世代の関心がSDGsやサステナビリティに向いていて、その中でもジェンダーや人権に対して関心が高い方が多いと思うので、今後Voice Up Japanの活動がもっと取り上げられて一緒に活動できる人が増えると良いですね!

そうですね。僕らもそれを望んでいます。やっぱりジェンダー問題はどうしても男性が入りづらい部分があるなと。でも僕のようなストレートの男性(異性を愛する男性)が1人いることで入口としては入りやすいかと思います。そういう意味ではこういったインタビューを受けることも積極的にしていきたいですね。

ーそうですね。確かにマジョリティーではない人達だけで構成されている団体となると最初のハードルがちょっと高そうな印象がありますね……。

はい。特にネットやTwitterだとフェミニストやフェミニズム系の人達が叩かれがちなので、そのイメージをどれだけ変えられるかがマジョリティーにかかっていると思います。

そして、加害者になる確率が高いのも自分たちマジョリティーなので、そんな点でもこの団体に入っている意味はあると考えています。興味はあるけど声を上げづらいと感じている男性はたくさんいると思うので、そういう人達にも認知してもらえたらいいなと。

ー最後に、西村さんが今後やりたいことやありたい姿などありましたら教えてください!

日本全体を変えるというような大きな目標はありませんが、自分が学んだこと、経験したこと、人から聞いた話をもとに、友達や恋人といった自分の近くにいる人が悩んだり苦しんだりしている時に、一番いい声を掛けてあげたいです。

もちろん団体としては、自分とは全く関係がなかった人を助けられる投稿をどんどん作っていきたいです。でも、個人としては「近くにいる人にどれだけ優しくできるか」が大切で、それを忘れたら終わりだと思うのでずっと大切にしていきたいですね。

また、長期的にはゆっくり暮らせたらいいかなと(笑)。留学した人はキャリアをがんがん積んで資本主義の世界に入っていくような人が多いですが、僕はそういうのが苦手というか得意ではないので、細々とコーヒー屋さんとかやりたいですね。コーヒーが好きなので(笑)。

そんな風に競争に煽られることなくゆっくり過ごしていくことが将来的なビジョンです。40歳くらいでそうできていたら最高ですね。

ー本日は素晴らしいお話をありがとうございました!西村さんの今後の更なるご活躍を楽しみにしています!

取材者:増田稜Twitter)
執筆者:庄司友里(Twitter
デザイナー:髙橋りえ(Twitter