働く人々が敬意を持って感謝し合える世の中を! 斉藤 知明がUniposを通じて描きたい未来とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第349回目となる今回のゲストは、Fringe81株式会社 執行役員 兼 Uniposカンパニー社長の斉藤 知明さんです。

幼少期から自分自身を厳しい環境に追い込みながら、東大進学・株式会社mikanの起業、そしてFringe81株式会社への入社をした斉藤さん。高い向上心を保ちながら新たな環境に飛び込み、もがきながらも有言実行している斉藤さんにこれまでの生き方とこれからの目標についてお伺いしました。

自分から新しい環境を求める

ー簡単に自己紹介をお願いします。

東証マザーズにも上場しているFringe81で社内執行役員を務めながら、社内創業をしてUniposという事業を立ち上げ、カンパニーの社長をしています。

UniposはHRTech領域で「はたらくと人を大切にできる世界」をビジョンに掲げています。様々な人が協力しないと成果が生まれない世の中で、協力して誰かのためにやったことが報われる社会を作りたいと思い、オンライン上で従業員同士が感謝のメッセージを気軽に送り合えるサービスを提供し始めてもうすぐ4年が経とうとしています。

ー「感謝を送り合うサービス」、具体的に教えてください。

「こんなことしてくれて助かったな」と感じた従業員が、その相手に自由に給与を送りあえる権限をピアボーナスといいます。
会社やマネージャーなどが決めた成果給や年俸給を従業員に支払うことが一般的ですが、全ての貢献を人事担当者や経営者は見ることができない。その一方で、デスクの隣に座っている人や身近で働いている人の方が、その従業員の組織や対人への貢献度合いを知っているのではないかと思いました。そこで、1つ1つの貢献にスポットライトを当てていきたいという思いから、社内制度だったものをサービス化することになりました。

給与を送り合う様子はオンライン上で可視化されているため、その人がどんなことに貢献したのか分かったり、他の人もその行動に「いいね」を押したり拍手を送ることができます。マネージャーはそれまで見えていなかった貢献が多く集まってくるので、面談時のアイスブレイクに活かしたり、各社員もチーム内で行った小さな貢献が周りに認められることで、目立たないけど重要な貢献が可視化されるようになっています。

ーここから幼少期の斉藤さんのお話をお聞きできればと思います。
ちなみに、どんな幼少期を過ごされていましたか。

控えめな子どもでしたが、その中でも算盤・塾・剣道をはじめ、いろいろな習い事をさせてもらっていました。熱狂していたものは特にありませんでしたが、外部の刺激を受容することは好きで、「とりあえずやってみよう」という気持ちが強いのは今の生き方にもつながっていると思います。

ーその後、最初のターニングポイントを迎えたそうですね。

通っていた小学校が週末に生徒が遊んだりできるように体育館を開放していたのですが、ある日友人に誘われて体育館で遊んでいました。すると、ボール遊びをしていないにもかかわらず、ボールを当てただろうと上級生に因縁をつけられまして。こんな治安が悪い環境下でこの先も過ごさないといけないのかと思い、中学受験を決意しました。今思い返すと、初めて自分で選択した出来事だったと思います。

ーそんな出来事があったんですね。ちなみに、もともと勉強は好きだったのでしょうか。

そうでもなかったと思います。3段階評価ではオール2でしたが、1年間勉強頑張った結果6教科は評価が3にあがったので、頑張ればできるじゃんと思いましたね。
わたしは理系が得意で、文系が苦手だったので、特に苦手な社会を使わず算数と理科ができれば合格できる学校を受験校に選びました。

ー中高時代の印象に残っている出来事と、その出来事に絡んでくる斉藤さんの座右の銘「鶏口となるも牛後となるなかれ」に込められた思いを教えてください。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」を小さなチームでもいいからテッペンを目指しなさい。大きなチームで物言わぬ追従者となってはいけないと解釈しています。

わたしは環境から学び吸収することが得意でした。
中高時代は進学校の中で自分の特性が発揮できる環境で、成績も学内では優秀だったものの後々勉強が飽きてくるなと思っていました。
小学校からやっていた剣道部の活動が高校2年生で終わることになったため、高校3年生では何をしようかとなりました。そこで、今までの鶏口から進化するためには新しい鶏(環境)を見つけるしかないと思い、模試の成績が良かったことで誘っていただいた塾と理科を伸ばすための塾に通いつつ、学内で協力してくれた国語の先生と一緒に東大に進学するための50年分の過去問を解くプロジェクトをはじめました。それを始めたことでエンジンがかかり始めました。

もう1つの性格が、ビッグマウスであること。そのため、責任感があり、一度発した言葉を実現できないと負けだと感じてしまうので、逃げるは負けという環境を作り、結果を残していきました。

ー「心理的安全性が保たれているから挑戦できる」と他の媒体でお話しされていましたが、学生時代に心理的安全性が保たれた環境は整っていたのでしょうか。

多くの人が応援してくれましたが、特に両親からの応援はありました。
わたしが何かするときは否定から入らず、「やってみればいいんじゃない」と言ってくれたり、事後報告だったとしても怒られることはありませんでした。

新しいことを始めてみて、ダメならやめればいいという考えが幼少期からあったのは、心理的安全性の要素だと思っています。心理的安全性は恐れのない組織だと言われていますが、何か言ってもいけないのであればうまく否定してくれるし、「誰かのためチームのためになればと思えている状態=心理的安全性が高い状態」なので、それは学生時代に培った気がします。

ーその後、大学に進学されると思います。なぜ機械情報の領域に進んだのでしょうか。

理系だからというのが大きな理由です(笑)
また、東京大学は国公立大学の中でも国から優遇されている大学で、やりたいことをやれる選択肢が多いだろうとも考えていました。

大学2年生の時にコースを再変更できる仕組みがあり、1年半勉強する中で今後世間を席巻するものは何か考えたとき、AIだと思ったので、AI×ロボットの領域の機械情報工学に行き着きました。

サービスづくりの楽しさを学んだ

ーそこから株式会社mikanを立ち上げることになりますが、はじめは友人に誘われたそうですね。

一般な大学生と同じ流れで大学3年生の時にインターンをはじめ、8.9月の間に10社でインターンをしていました。その中の会社で、短期インターンが長期インターンに切り替わり、アプリやWEB開発を自学自習しながら行っていました。当時のAIは多くの人が使うアプリではありませんでしたが、インターネットで使っているサービスを自分が作れていることに面白みを感じていました。そのタイミングで、英単語でアプリを作るというアイデアと情熱を持った同級生から一緒に事業をやらないかと声をかけてもらい、即答して始めることになりました。それがmikanの始まりです。

朝の10時から夕方4時くらいまでは研究室で研究をし、その後は夜中の3時くらいまでmikanの仕事、少し寝て研究室に行くという生活を半年続けていました。ただ、mikanに携わった経験から、自分はサービス作りや人が使うものに携わることが好きなのかもしれないと思いました。今振り返ると、この経験が大きなターニングポイントでした。

ーmikanのサービスをする中で、ユーザーからの反応はどうでしたか。

サービスに対して好意的なコメントもあれば、辛辣な言葉もいただきました。ただ、辛辣な言葉を受けても、問題点を改善しようと行動したり、良くなる過程だと自分の中で思っていました。一人の学生がアプリ開発を「やりたい!」と思ったらすぐに行動に移せる環境・世の中だったことはラッキーでした。

刺激的な環境を求めた先に

ーその後、mikanを続けるわけではなく、fringe81にジョインしようと思った決め手はどこでしたか。

mikanを運営しているとき、わたしは学生CTOでした。
世の中のベンチャー企業などを見ると、技術力の低い自分がこのままCTOとしてチームに残るのは組織にとっても自分にとっても良いことなのだろうか、もっと良い選択があるのではないかと思い始めるようになりました。それと同時に、「イケてる開発チーム」ってなんだろうと考え、そこで事業を進めていくのもありなのではとも考えていました。

fringeには全く知り合いがおらず、Facebookでの「我が社が面接でエンジニアに聞くたった1つの質問」という記事が気になって面接を受けました。
当時15-20人くらいのエンジニアチームながらも6次面接くらいまでを1週間半くらいで行っていただき、内定までに社内の大半のエンジニアに会ったり話したりする機会をいただきました。その中で、この人たちと一緒に働けたら面白そうと思い、入社を決めました。

ーエンジニアから新規事業部門にまわると思いますが、組織を良くしたいと思ったのはいつごろのタイミングでしょうか。

fringeに第二新卒で入社した1年後だったので、23,4歳だったと思います。
組織を良くしたいという気持ちを多くのメンバーが持っていた中で、新しい事業の種を誰が育てていくのか?となり、わたしに白羽の矢が立ちました。即答してやり始めたものの、ここで壁にぶち当たりました。

Uniposの原型は社内の「発見大賞」という制度で、代表や営業部長などの思い入れが強く、自分の思いが乗っかった制度ではないからこそ、それを言葉にするのが苦労しました。そこで、サービスの責任者と話をしたり、人事の有識者をゲストに迎えた配信イベントを行う中で、「日本の働き方がなぜこのままだと危ないのか」と意識するようになり、これは変えなければいけないと思いました。そして、それを変えるチャンスを弊社が持っているのではないかと思い立ったことで、自社のサービスを自分の言葉で表現できるようになりました。

ーUniposの未来について熱く語れるのは自分だと思っているとのことですが、斉藤さんにとって「良い組織」とはどんな組織だと思われますか。

「はたらくと人を大切にできる世界に」というビジョンに思いを詰め込んでいますが、
人のために行動することや世の中のあらゆる人々を大切に思える世界が前提だと、わたしは感じています。無理やり一つの目的に向かって協働させないといけない組織ではなく、一人一人が互いを大切に思い合うことで自然と目的が達成されていく状態が一番理想だと思っています。

ー理想の組織像とかけ離れている組織に対してUniposを紹介する際は、どのようにアプローチしているのでしょうか。

理想と少し離れた組織って、組織内で「誰かが悪い」という悲しい誤解が生まれています。けれど話を深く聞くと、「会社を潰したい」と思っている社員ってほとんどいない。そうした時に、現在の環境で楽に仕事をしたい、良い成果を残したい、誰かから怒られたくないといったポジティブな考えに共感されないフラストレーションが生まれているのではないかと気付きました。

その上で、わたしが必要だと思うのは「対話」です。
対話って、話すではなく「知る」ことであって、相手がなぜその行動をとったのか分からない場面って日常生活でもありますよね。
もし、行動した理由がわからない場合で相手のことを大切に思えていないと、突っぱねてしまいます。しかし、相手のことを思い合えている状態だと、その行動理由を「知りたい」という気持ちを持つ。すると、その行動の意味を知った人は、理解して協力的になります。互いに協力的になるための一歩目が対話であり、その関係性を加速させるのが感謝だと考えています。

個人同士が会社が掲げている目的に向かって、協働できる状態を作るために、個人を大切にし合う状態ができないことには人事や組織が旗を振っても、課題は解決しない。Uniposを導入してもらう際はそのようにお話しして、共感してくださった方を全力で支援しています。

互いを大切に思える社会へ

ーそんな斉藤さんが作りたい未来、そこに対してどう力を発揮していきたいと考えていますか。

世の中の組織や環境・社会などについて、この3~4年でインプットした中で、「このままいくとなぜ日本は構造的に負けるのか」を考え、現在の社会状況を変えていきたいと思っています。
相手のことを心から思える状態、成功を心から信じられる状態になると、驚くくらいの力を日本は発揮してきました。その反対で、誰かの足を引っ張ろうとする力も凄い。

だからこそ、わたしは「自然な力学で前に進もうとする社会を作りたい」という気持ちを強く持っています。ふと相手を見ると協力したくなったり、応援したくなる状態って難しいようで、実はサッカーのW杯などで日本が海外の国と対戦しているときの国民の一体感がそれを表していると思っています。

ただ、誰かの成功になっても自分に何も返ってこないと、他人やその成功を妬み始める。この状態から、周りのことを“自分ごと”として同一化できる社会になると、先ほどの力学は解消される気がします。そのキーワードが「互いを大切にすること」でありUniposはその足がかりになると思います。そのため、組織内で敬意を持って感謝し合える世の中を作り、世間にも波及していきたいと考えています。

ー最後に、U-29世代に伝えたいメッセージがあればお願いします。

いろんな人がいるので、自分と共通しそうな部分に共感すればいいと思いますし、
手に届かない話だと考えず、明日からやっていけることがあるのではないかと思う1つのきっかけになれば嬉しいです。

何かチャンスがあった時に、リスクを考えるのはほどほどにして、前向きな気持ちで取り組み続ければ良いのではないでしょうか。

ー斉藤さん、素敵なお話ありがとうございました!これからのご活躍を応援しています!

取材者:吉永 里美(Twitter/note
執筆者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter