外国人が活躍しやすい世の中を目指して!MONOVERX代表・木村賢輔

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第749回目となる今回は、MONOVERX Inc. 代表・木村 賢輔(きむら・けんすけ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

14歳のときに出会った先生の影響で教師を目指し、現在は日本語学習者のためのサービスを展開している木村さん。木村さんの過去の経験から考え出された言語教育の形を語っていただきました。

14歳のときに担任の先生がきっかけで教師を目指すように

ーまずは自己紹介をお願いします。

MONOVERX Inc. 代表の木村賢輔と申します。大学3年生のときに日本語教育に出会い、大学卒業後は日本語教師として海外の方に日本語を教えてきました。

その後、2022年5月に「外国人が活躍しやすい世の中を」という企業ミッションを掲げ、日本語教育の分野でMONOVERX Inc.を立ち上げました。

ーMONOVERX Inc.では具体的にはどのようなことをされているのでしょうか?

オンラインを中心とした日本語教育のスクールと、日本語学習のVR開発がメイン事業です。日本で就職したい外国の方や、日本語を武器にキャリアアップしたい方を対象に日本語の教育を行っています。

ー会社を立ち上げようと思った経緯を教えてください。

日本語教師として働いていたときに「これはやばいな」と思ったのが、せっかく日本語を勉強したのに話せない人がたくさんいたことです。既存の学校で働くと私一人でカリキュラムを変えたり、私なりの教え方をすることが難しいです。自分の理想とする教育を実現するためには自分で会社を立ち上げるしかないと思いました。

ー教科書通りの勉強方法に課題があるのでしょうか?

そうですね。外国の方に日本語を教えるスクールも日本の英語教育と同じで、教科書通りの勉強や、文法を積み上げていくことが良いとされていました。その結果は、中高で6年も英語を勉強するのに話せない人が量産されている日本の英語教育を見れば明らかです。

話せるようにならないことがわかっている教育方法を、なぜ日本語教師になって繰り返すのか甚だ疑問です。

ー会社の立ち上げはお一人で立ち上げたのでしょうか?

いいえ、高校の友人と立ち上げました。高校2、3年生が同じクラスで席替えをしても常に私の前後左右の席にいる友人で(笑)。高校を卒業してからは別々の大学に行きましたが、社会人になってプライベートでいろいろと話すうちに会社を立ち上げようという話になり、現在の会社を立ち上げました。

ーお二人の役割分担はあるのでしょうか?

私一人が思ってるだけかもしれませんが、一応役割分担はあります。もともと日本語教師をしていたこともあり、日本語教育関連のコネクションや日本語のカリキュラム等の日本語教育に直接関わることは私が積極的にやっています。一方、共同創業者である友人はクリエイティブな発想をするのが得意で、さらに数字にも強いので、そういうところはとても頼りにしています。

でも、どれも2人で全力でやっていると言ったほうが真実かもしれません(笑)。

ー事業を作っていくなかで大変なことや、やりがいに感じる瞬間を教えてください。

9月に開校予定のスクール事業の集客とVR事業の開発が大変です。まだ構想の段階ではありますが、VRという新しいテクノロジーを使って語学学習がより効率よく効果が出るものになりそうだと言っていただけたり、スクールについて既存のものとは違うカリキュラムをおもしろそうだと言っていただけたりすると構想として練って良かったと思います。

ーここからは木村さんの過去を振り返ってお伺いしていきます。木村さんは幼少期はどのようなお子さんでしたか?

幼少期は目立ちたがり屋でした。学級委員長や部長などの「〜長」とつくものは率先してやっていました。

ー最初の転機は14歳のころだとお伺いしたのですが、どのようなことがあったのでしょうか?

友達が教師に冤罪で怒られている様子を見て、私があること(詳しくは話せませんが)をしたために出席停止になってしまったのです。出席停止になってからは「勉強しなくてラッキー」と思い、数ヵ月間は学校に行きませんでした。この学校に行けなかった期間に私の人生の転機が訪れます。

ある日、私が熱を出したときのことです。親が共働きで妹弟も学校に行っているため一人で寝込んでいると、担任の先生が目の前にいました。「なんでいるの?」と私が担任の先生に言うと「お前が心配で来たんだよ」と言われました。

その後なぜか強制的にドライブに連れて行かれて、いろいろな話を聞くなかで「授業はどうしたの?」と聞くと「授業は自習にしてからお前のところに来た」と言われて。その言葉を聞いたときに、この先生は私の人生に本気でぶつかってきてくれているのだと気づいて一気に心が変わりました。

その先生がきっかけで人の人生に関わることはこんなにも素晴らしいことなのだと思うようになり、教師を目指しはじめました。

ー木村さんが教師を目指す際にその先生に影響を受けた部分はありますか。

自分の力ではなかなか前に進めないような人たちと伴走して人生を変えてみたいと思っています。その先生も授業のなかで教科書に書いてあることだけでなく、人生において重要なことを教えてくれていたので、私もそうなりたいと思っていました。

大学で日本語教育に出会う。日本語教育の資格取得後はフィリピンで働く

ー次の転機は21歳のときに日本語教育に出会ったことだとお伺いしました。どんなきっかけで日本語教育に出会ったのでしょうか?

最初は英語の教員を目指すために英語科の大学に入りました。しかし「私が理想としている教育を公立の中学高校の教員で実現できるのだろうか?」と大学3年生のときに葛藤するようになりました。自分のやりたい教育ができなかったら自分が苦しくなるだけだと思っていたのです。

そんなときに履修要項をめくっていると「日本語教育副専攻」の文字が目に留まりました。そのプログラムに参加するのに必要な単位も2つだったため、とりあえずその2つの単位を取ったのがきっかけです。

ー日本語教育の授業を受けてみていかがでしたか。

一番最初の授業で担当の先生が「花屋の前”で”とめてください。と、花屋の前”に”とめてください。は何が違いますか?」とおっしゃっていたことが記憶に残っています。日本語ネイティブである私たちは無意識に使い分けていますが、日本語を学習されている外国の方は意識的に選択する必要があります。

私はネイティブであるにも関わらずその違いがうまく説明できなかったのですが、その出来事がきっかけで日本語はおもしろい言語なんだと思うようになりました。

ー先ほど「私が理想としている教育を公立の中学高校の教員で実現できるのだろうか?」と葛藤されていたとおっしゃっていましたが、日本語教育に出会ったときはどのように感じましたか?

日本語教師はフリーランスの方も多いことを知っていたので、学校に所属しなければ自分の理想としている教育ができると思っていました。教育を通じて人を導くという意味では、日本語教師のほうが年齢や人種に関係なく、日本語を学びたいすべての人々を対象に教えられるので、より幅広い人に教えられるのはとても良いなと思いました。

ー大学4年生になると他の人は教育実習をされる方が多いと思います。他の人と違う選択をされたことによる悩みや葛藤などはありましたか?

実は私も教育実習には参加しましたが、職員室の雰囲気に耐えられませんでした。想像していた通りの縦割り社会で、新しいことが許容されない場所だと思いました。そのため、他の同級生に対して「ほんとにみんな教員になるの?お前のやりたいことはそこでは実現できないよ」と逆に心配をしていました。

ーこのあとはどのような進路を歩まれたのでしょうか。

大学卒業後は日本語教師として働きたいと思っていたときに、某独立行政法人がフィリピンの日本語教師のアシスタントを募集しているのを見つけました。それに応募したところ無事に受かって、大学を卒業して8月にフィリピンに飛びました。

ー実際にフィリピンに行ってみていかがでしたか?

私が派遣されたのは中学校だったのですが、日本の中学校と比較してとても自由な雰囲気でした。良い意味でも悪い意味でもやりたいことをやっていて。先生も教科書通りの指導ではなく、人格形成のほうに力をいれている方が多い印象でした。

ー自由な雰囲気のどんなところに良さを感じたのか教えてください。

先生たちのやりたい教育が実現できている点と、過剰な縦割り社会がない点です。みんなフレンドリーで気軽に情報共有できたり、新米の私の話をベテランの先生が熱心に聞いてくれたりしました。