様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第353回のゲストは株式会社TOMAPの代表取締役、村上登武(むらかみ・とむ)さんです。「すべての人に選択の自由を」というミッションを掲げてプログラミング事業を経営されている村上さんに、学生時代に起業を決意された経緯や叶えたい夢についてお話いただきました!
始まりは外国人労働者との出会いだった
ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。
株式会社TOMAPという法人3期目の会社を経営しております、村上登武です。プログラミング教育事業を行っている会社なのですが、大学3年の時に始め、大学4年で法人登記しました。
ー過去から現在に遡って経緯をお聞きできればと思います。幼少期に現在の原体験となるような出来事はありましたか。
実家が埼玉にある養豚場なのですが、幼少期のころからうちで働かれていた外国人労働者の方の存在が身近にあったことが、今の自分のビジョンに大きく影響しています。
よく彼らに遊んでもらっていたのですが、小学2年生の時、彼らには母国に直接会ったことのない子どもがいることを知りました。彼らが日本に「出稼ぎ」にきたのは、子どもの教育費や生活費を稼ぐため。大好きな子どもと離れる状況になったとしても、生きていくためにはその選択しかなかったんです。このことを知って幼いながらに衝撃を受け、家族が一緒に過ごせるようにするためには何が必要かと考えたりしました。当時はご飯を送っても、生活費をあげても、持続性がなく問題の根本的な解決にはならないというところまでしか考えられていませんでしたが…
ーそこから何か具体的な行動を起こされたりしたのでしょうか。
幼少期に感じたモヤモヤは頭にずっと残ってはいたものの、中学進学後は部活動に忙しく、そのことについて十分に考えられていませんでした。特に高校からは練習がハードなラグビー部に入部したこともあり、部活中心の生活を送っていました。
ーラグビー部に入部を決めた理由は何だったのですか。
小中ではサッカーと水泳をやっていたこともあり、高校でも初めはサッカー部に入部することを考えていました。しかし入学した高校のサッカー部に練習の様子を見学しにいったところ部員の目が死んでいるように移り、楽しそうではないなと感じました。
そこで違う部も検討してみたところ、ラグビー部の先輩たちが強くて優しく、かっこよくうつったので入部してみようと思ったんです。ラグビーはそれまで一切したことがなかったのですが、今後大学生や社会人になってからラグビーを始める機会はなさそうだなと感じたので、新しい挑戦としてラグビーを選びました。
ー勉強そっちのけでラグビーに高校生活を費やしたとのことですが、充実した日々を送られていたのでしょうか。
正直部活はしんどかったです。入部当時は178cmで53kgと、体格からまずは変えていく必要がありました。入部2週間で胸骨にヒビが入った時は、さすがに入部したことを後悔しましたね(笑)でも、応援してくれた母親や励ましてくれる仲間の存在があったからこそ高校3年間続けることができました。おかげさまでメンタルはびっくりするくらい強くなりましたし、周りに対して配慮をしたり、感謝の気持ちを率直に伝えることができるようになったと思います。
教育とITの2つで社会問題にアプローチしていくことを決意
ー高校卒業後の進路についてはどのように考えられていましたか。
当時は建築に興味があり、設計事務所を持ちたいと考えていたので建築学科のある大学を目指していました。
ラグビーと比べて、勉強はやればやるほど結果がでたので浪人生活は苦痛ではありませんでした。最終的には、全く違う分野である東京理科大学の物理学科に進学を決めたんですけどね(笑)
ー浪人生活というと大変なイメージが強いですが苦痛じゃなかったのはすごいですね…!
今考えれば、「THE TEAM 5つの法則」という本に書かれている「達成可能性×達成した時の報酬の魅力×期間」というモチベーションの方程式にうまくはまっていたからだと思います。大学に入学できた時の大学生活の魅力や1年という限られた期間であったことで、受験勉強のモチベーションを保つことができたんです。
ーなるほど…大学入学後〜起業まではどのように過ごされたいたのですか。
大学入学後すぐにスターバックスでバイトを始めました。働いていく中で、ミッション・ビジョン・バリューを大事にし、行動しつなげていること、それが社員だけではなくアルバイトにまで浸透していることなど…仕組みづくりの徹底に感動したのをかなり覚えています。スタバでのバイト経験から、そんな仕組みを作る側に自分もなりたい!と強く思うになりましたね。約1年8ヶ月勤めさせていただいたのですが、学びの多いバイト生活だったと思います。
一方で、大学入学後は英語が苦手だったこともあり、英語で今後困らないよう英語学習に力を入れていました。そして大学2年の夏に初めてニューヨークに1人で旅行に行き、いろんな国の人がいて、様々な言語が飛び交っているのをみて世界の広さのようなものを感じました。もっと何かアクションを起こさないと大学生活を無駄に過ごしてしまう…と危機感とともに、日本に帰国しました。
ーそこから実際に何かアクションを起こされたのですか。
たまたまTwitterでご縁があった英会話スクールを運営しているスタートアップでインターンを始めました。特に教育にこの頃は思い入れなどはなかったのですが、英語の勉強は頑張っていたので英語学習については語れると思いジョインしたんです。そこでたまたま、「留学も行ったことがないし、もともと人と話すのも苦手だけれど、ここに来て英語を勉強して話せるようになったことで自分に自信がついた。今、人生すごい楽しい!」と語る生徒に出会い、その時初めて教育の可能性を感じました。
ちょうどその年にGoogle翻訳にAIが搭載され、精度の高い文章の翻訳が可能に。この時に英語が話せる人材を育てるよりもAIのような技術を作り出せる人材の価値が高まるだろうと思い、プログラミングの勉強を始めるようになりました。
そして勉強する中で、幼い頃からモヤモヤとして覚えていた外国人労働者の現状をはっきり思い出し、この社会問題は教育とITの2つの力で解決できるかもと思ったことが、起業へ繋がりました。
自分にとっての「かっこいい」を大事に挑戦し続ける
ー教育へはそういった経緯で辿り着かれたのですね。実際起業してみていかがでしたか。
事業を始めたばかりの頃は営業活動で苦戦しました。当たり前ですが、営業は受け入れられることよりも断られることの方が多いんです。これまで挫折経験はあったものの、誰かから拒絶されたりすることに慣れていなかったため、たくさん辛い思いをしました。
また、東京理科大学にはスタートアップ界隈に関わっている人は少なく、教員や教授、院に進学して技術者として企業に就職するのが定番なため、自分は間違っていることをしているのかと不安になることもありました。
ーそれでもめげずに頑張れた理由やモチベーションとなったことは何だったのですか。
理由は主に2つあります。
1つはたまたまYouTubeでみたジャック・マーの貧乏マインドに関する動画です。その動画に自分が周りの人や社会に伝えたいことが詰まっていて、その言葉には何度も救われました。
2つ目は、「かっこいい自分であり続けたい」という僕自身の変わらない意志です。周りからどう見られるかではなく、自分自身が自分のことをかっこいいと思い続けられることを大切にしています。自分にとってのかっこいいとは、「挑戦している人」や「目標を達成している人」なので、自分もそうありたいと常に思っているんです。
ー周りからどう見えるかではなく自分が、という視点が素敵ですね。会社を経営する中で意識していることなどはありますか。
メンバーの声に耳を傾けることと、誰よりもメンバーのことを信頼すること。この2つは特に大事にしています。
自分がやりたいことがある一方、メンバーにもそれぞれの想いや目標があるのは当たり前なので、それを尊重したいと思っています。同時に、メンバーには成長の成長のための、マインド教育も意識しています。メンバーの性格などは変えようとは思いませんが、考えや価値観を広げることによって、成長してくれたらと思うからです。
また、自分が信頼してもらうために、まずは誰よりもメンバーのことを信頼することは大切です。1on1でメンバーと話す際にも、「期待しているよ」と伝えるのではなく、「信頼しているから挑戦し続けてね」と伝えるようにしています。
ー最後に、そんな村上さんが成し遂げたい目標や今後の展望についてぜひ教えてください!
成し遂げたいことは、ずばり「世界平和」です!目指していることは大きく、生きている間に達成できるかもわかりませんが、僕は本気で叶えにいきます。ゆくゆくは「村上登武といえば世界平和」といってもらえるような存在になりたいです!また、それを発信し続けることで、一緒に何かやってみたいなと周りから思ってもらったり、一緒に世界平和実現に向けて考えるきっかけを与えることができたらいいなと思っています。
その1つとして存在するのが、僕が経営する株式会社TOMAPです。「選択の自由」を掲げて、世界平和のために一緒に伴走できるメンバーの集まった集団であり続けたいです。