「日本が好きだからこそ、批判的に考えたい」中尾有希が語る日本の変えたいところ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第330回のゲストはWomEnpowered Internation共同代表・HerStory Japan代表として活動されている中尾有希さんです。本業の傍ら、団体運営に注力されている中尾さんが団体設立を決意するに至るまでのお話をお伺いしました!

摂食障害になったことも自分にとって大切な経験

ーまずは自己紹介も含めて、現在行われている活動について教えていただけますか。

コンサルティング会社で働きながらWomEmpowered Internationの共同代表及びHerStroy Japanの代表を務めております、中尾有希です。

WomEmpowered Internationalは2019年1月に友人と一緒に立ち上げた東京大学に登録されている学生団体になります。男性がマジョリティである東京大学大学院に在籍していた時に、どうすれば女性が自分の可能性を探求し、活躍できる場を作るかということを考えるために設立しました。この活動は日本にいる英語話者のための団体だったため、もっと日本の日本語を話す女性にジェンダーやフェミニズムについて話す機会を設けたいという思いからできたのがHer Story Japanです。

2020年1月に立ち上げたHerStory Japanでは「女性にとってのロールモデルを多様化する」ことをミッションに活動しています。日本でメディアに取り上げられている女性はワンパターンであることが多く、偉大すぎて身近に感じられないなどの問題点があると感じ、HerStory Japanでは誰もが共通点を見つけられるようなロールモデルをできるだけたくさん紹介することを目標としています。主な活動として現在は月に1回のイベント開催や、ブログの更新、そして歴史上重要な功績を残した女性たちの生涯について学ぶ勉強会を行っています。

ー現在に至るまでの経緯を過去を遡ってお伺いできればと思います。どのような幼少期を過ごされていたのでしょうか。

快活な子供でしたが、周りからどう思われるかをあまり気にしない、一風変わった子供でした。1歳から5歳まで香港に住んでいたのですが、自己主張をすることが奨励される環境にいたことが影響していたのかと思います。

今でも覚えているのは、小学校の教室の掃除にハマり、みんなが遊んでいる休み時間にも一人だけ掃除していたことです(笑)謎の使命感を持って掃除をしていたのですが、それを見た大人に「いじめられているのか」と心配されたのを覚えています。

ー幼少期を振り返って何か現在の活動に繋がる出来事があればぜひ教えてください。

15歳の時に、無理なダイエットに走り摂食障害になったことは今の活動に繋がっています。私は小学3年から競泳をしており、プール漬けの生活をずっと送っていたのですが、中学に入ってからは結果が出なくなり、妹に抜かれるのが怖くて逃げるようにやめたんです。その喪失感からなのか、急に何もしない時間が増えたからなのか、摂食障害になってしまいました。「青春」を摂食障害に奪われたようで、とても辛かったです。

でもそれがきっかけで、何か代わりに自分にできること・頑張れることをと思い、高校では勉強に全力で取り組むことができました。そのおかげで大学の選択肢も増えたのでよかったと今振り返って思います。

環境の変化がきっかけでジェンダーセンシティブに

ー高校卒業後の進学先についてはどのように考えられていたのですか。

付属高校だったので、高校を卒業したら大学に進学するということに疑問を持ったことはありませんでした。一方で小中高の一貫校でずっと育ったので、違う世界を見てみたいと思い、指定校推薦で国際基督教大学(以下 ICU)に進学することを選びました。当時はまだ何が勉強したいか明確ではなく、大学3年になるまで専攻を選ばなくていい制度が魅力に感じたんです。

ー大学生活はいかがでした。

居心地の良かった環境を離れ、新しい環境に飛び込むという選択は結果的に大正解でした。高校までの私を誰も知らないという環境に行ったことで、ずっと過去に縛られていたような感覚から解放され、自分らしくなることができたんです。

また、ICUにはジェンダー研究があり、ジェンダーに関心を持った学生が多く、当時からジェンダーに関心を持っていた私にはぴったりの環境でした。学祭の時期になると毎年ミスコン開催有無について議論が巻き起こるような環境で、それまで気にならなかったジェンダーロールや差別的発言に私も少しずつ気づくように。授業でも男性が稼ぎ主であることを前提に作られた税金制度や社会保険制度があることを学び、全てのジェンダーに平等である公共政策が実現されるべきだということが共通認識としてあったのはICUだったからこそだなと思いました。

ー大学生活でその他に印象に残っていることなどはありますか。

アメリカに留学して自分がマイノリティであるという立場を経験したことです。幼少期から漠然とアメリカへの憧れがあったので、大学ではペンシルバニア大学に留学しました。日本ではマジョリティであった私が、アメリカでは外国人・アジア人・そして日本人というマイノリティに所属し、その中でマジョリティに合わそうと努力する自分や全て合わせるのは無理だと割り切って行動している自分を知ることができたのはとても良い経験でした。そして、日本という国を外から眺め、いいところも悪いところもよく見えたのも、留学生活の収穫でした。

 

女性にとって安全な空間を提供し続けたい

ー大学卒業後の進路についてはどのように考えられていましたか。

留学したことによって日本への愛情も増し、好きだからこそ、日本をもっと良い国にしたいという思いが生まれました。特に日本社会における人権意識の低さや、マイノリティへのフォビアに対しては強い問題意識もあり、政策的な観点から何ができるかを勉強するために東京大学公共政策大学院に進学を決めました。また、ICU時代の指導教授がアメリカのアマースト大学に行っていたことがご縁で、大学院を休学してアマースト大学に編入もしました。それまでの私は目標に対して常に最短距離で進んでおり、最短距離が分からなければ潰しがきく選択肢を選んできたのですが、アマースト大学への編入は初めて自分の心の声に従った決断だったなと思います。

アマースト大学では勉強と歌のサークル漬けの生活でしたがとても充実した日々でした。ちょうどトランプ政権が設立した時でもあったので、キャンパス上で政治運動が行われているのを見ることができ貴重な経験となりました。

ーそして現在活動されている2つの団体設立に至る、ということなんですね!

 ICUでも、アマースト大学でも、ジェンダーに敏感な人たちに囲まれていたからこそ、男性が学生・教員の大半を占める東京大学では少し違和感を感じることがあり、傍観者側で居続けるのではなく、女性にとって安全な空間を作る側に回らなければならないという風に思うようになりました。その思いから友人とWomEnpowered Internationalの設立、その1年後にHerStory Japanの設立が実現しました。

ー企業で働きながら2つの団体を運営するのは難しいことかと思いますが、今後の目標などはありますか。

HerStory Japanの運営メンバーはみんな本業の傍ら、活動にジョインしてくれています。それぞれ忙しい中ではありますが、月に1回のイベント開催や月に数回のブログ更新を継続することで社会に変化を少しずつもたらすことができたらと思っています。

WomEnpowered Internationalは現在メンバーが100名ほどと、どんどん大きくなっています。在日大使館などとの繋がりも生まれつつあるのでこれから政府と市民社会がどうやって対等な関係で協力していけるかについて考えていきたいです。

社会起業家が増え、多くの人が社会変革に興味を持ちつつあり、日本がさらに良い国に変わるのに必要な流れはできつつあると感じています。なので今ある2つの団体の活動をきちんと継続していくことを大事にしていきたいです。

取材者:山崎貴大( Twitter
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter
デザイン:五十嵐有沙(Twitter