社会の荒波を楽しんで越えていく。株式会社リチカ代表取締役・松尾幸治が動画市場注目のスタートアップを創業するまで

今は第一線で活躍しているビジネスリーダーの方に、10~20代の頃のまだ何者でもなかった頃から、現在に至るまでのストーリーをお聞きする連載企画「#何者でもなかった頃」。今回のゲストは株式会社リチカ代表取締役の松尾幸治(まつおゆきはる)さんです。

誰でも簡単に・低予算で・ハイクオリティの動画を作れるプラットフォームとして注目を集める「リチカ クラウドスタジオ」のリリースをはじめ、現代の動画コミュニケーションを爆発的に加速させている株式会社リチカ。その創業者である松尾さんは、いったいどのようなキャリアを経て今に辿り着いたのか。松尾さんがまだ何者でもなかった頃から、今に至るまでのユニークなキャリアに迫ります。

 

恩師の言葉をきっかけに関東の大学に進学

ーはじめに、自己紹介をお願いします。

株式会社リチカで代表取締役を務めている松尾と申します。弊社では、制作に時間や費用のかかる動画コンテンツを、クリエイティブとテクノロジーの力で誰でも簡単に作れるようにするプラットフォーム「リチカ クラウドスタジオ」を軸に事業を展開しており、現在は、大手企業をはじめとして400社以上の企業様にご利用いただいています。

ー松尾さんは学生時代から起業を考えていたのですか?

いえ、僕は佐賀県で一番小さい街で育ち、起業や経営などの情報とは無縁の環境で生活してきたこともあり、学生時代に起業を考えたことはありません。むしろ、僕の家系は両親をはじめ、先祖代々教師を勤め上げてきた家庭だったので、将来は先生になるのだろうと漠然と思っていました。

ーそうなんですね!学生時代はどのような学生でしたか。

中学生までは野球少年でしたが、坊主になることが嫌だったので、高校進学を機に野球を辞め、バンドを組んだり、アコースティックで弾き語りをしたりと、プチアーティスト活動をしていました。高校は途中から不登校になってしまったのですが、それでも音楽活動は続けていましたね。

ー高校に行かなくなった理由というのはなんだったのでしょうか?

明確なきっかけがあったわけではありませんが、校則が厳しく、勉強にも忙しく取り組まなければいけない学校の雰囲気が合わなかったんだと思います。高校ってときどき「何のためにやるのか分からない課題」がたくさん出されたりしますよね。疑問に思い「この課題はどうしてやらなきゃいけないんですか」と先生に聞いたことがあったんです。そうしたら返ってきた答えが「良いからやれ」というような返事で。そんなこともあり、途中から学校がつまらなくなってしまったんです。

ーですが、松尾さんは横浜の大学に進学されてますよね。大学受験をしようと思ったきっかけは何でしたか。

高校を辞めて働こうと思っていたときに、高校3年生のときの担任の先生が「お前は勉強しなくても良いから、関東の大学に行け」と言ってくれたんです。

「世の中にはいろんな人たちがいて、いろんな考えがある。それを知らないまま生きていくのは、お前の人生にとってとてもったいないことだから、どこの大学でもいいし、4年間遊び呆けても良いから、大学に行った方がいい」と。それを聞いて、「遊び呆けてもいいなら行こうかな」と思って笑 そこから大学受験の勉強を始めました。

ー「将来は教師になるのかなと思っていた」ということでしたが、教育学部ではなく、経営学部を選んだ理由は何だったのでしょうか。

はじめは教育学部を目指して勉強をしていたんです。「親が教師の人あるある」かもしれませんが、親が教師だと教師になる以外の選択肢を知らないんですよ。そのため無思考に教育学部を目指していたのですが、センター試験が終わり、いよいよ大学を決めなければいけないとなった時に「自分がなりたいのは先生じゃないな」と思って。そこから急いで大学を探し直して、横浜の大学の経営学部に入学しました。その時も、起業を考えて経営学部を選んだわけではなく、なんとなく経営っていいなと考えていたからでした笑

 

悔いなく遊んだ大学生活から一転、厳しい環境を求めブラック企業へ就職

ー大学生活はいかがでしたか?

高校の先生に言われた通り、悔いなく遊び呆けました。昔からクリエイティブな遊びが好きだったこともあり、映像を作ったり、ものづくりをしたり。他にはバンド活動やバックパック旅行、飲み歩き・バーでの修行など、今振り返っても大学時代は遊び切ったなと思います。

ーその後、就職活動を経て大手通信会社に就職されますが、どういった軸で会社選びをしたのですか?

その時一番しんどい会社に行こうと思っていたんです。というのも、僕が大学に入学した頃がちょうど就職氷河期で、300社にエントリーシートを出して一社も通らないなどという先輩の就活談を聞いても驚かないような時代でした。そんな世の中の先行きが不透明な中、大学時代を遊び呆けた僕はどうやって社会生活を立ち回ろうかと。そして辿り着いたのが、「そのとき一番しんどい会社で3年働けば、きっとそこが底だろうから、それを乗り越えたらその先も食いっぱぐれることなく生きていけるだろう」という考えでした。それから、一番しんどい会社に行くためにブラック企業ランキングを調べ、数年連続で1位にランクインしていた会社を選んで就職したんです。

ーあえて厳しい環境を求めて就職をされたんですね。実際にブラック企業と言われる環境に飛び込んでみてどうでしたか?

いわゆる「ブラック企業」に飛び込んでみたものの、1社目で経験したことがその後のスタンダードになってしまいますし、またホワイト企業に入らないまま今に至るので、何が普通なのかが正直まだわかっていないんです笑

ただ、東京配属だったはずが突然福岡配属を言い渡されたり、3日間の入社研修が終わると、4日目からビルの最上階に連れていかれて、ビルの地図を塗りつぶしながら飛び込み営業を100件こなしたりと、そんな営業生活が始まりました。「土日なんて無いよ」とも言われてましたね笑

 

飛び込み営業先でのスカウトを機に、ベンチャー企業へ

ー典型的なブラックですね笑 その入社2ヶ月半後に転職されたとのことですが、転職を決めたきっかけを教えてください。

経営者のインタビューメディアを運営していた会社に飛び込み営業をしたことがきっかけです。

そこは社員が5人ほどの小さなベンチャー起業だったのですが、「契約するついでに、今度うちの社長とお茶でもしないか」と言われたんです。その社長というのは、今ベルフェイス株式会社の代表取締役として有名な中島さんだったのですが、中島さんとお話をすると「将来起業したいと思っているか」などと将来の話になって。その時は、独立も視野にありましたが、具体的な将来像はまだ考えていませんでした。

すると、「営業として受付の人や担当者と話して回るのと、経営者に話を聞くのとどっちが面白そうか」と聞かれて。僕自身、ブラック企業での飛び込み営業はゲーム感覚で楽しくやっていましたし、今考えてもあの時の経験は楽しかったなと思います。しかし、中島さんに「経歴なんて失敗したら飲み会のネタに出来るんだから、面白そうだと思った方に行った方がいいよ」と言われ、その言葉が後押しとなり、転職を決意しました。

ー大手企業からベンチャー企業に転職してみていかがでしたか?

転職したベンチャー企業もまた、前職と比にならないくらいブラックでした笑

というのも、ベンチャー企業ということもあり勤怠やら仕事に必要な携帯やら、ほんとに何もなかったんです。また、社用車を使っていいから中国地方を車中泊しながら新規開拓してくれないかと突然言われたこともあって。これは冗談ではなかったみたいで、本当に車中泊しながら営業する日々を送っていましたね。

ーすごい経験ですね。辛いから辞めたいというような気持ちにはならなかったんですか?

むしろ、その状況を面白がって働いていたように思います。スーツで営業して、車でパジャマに着替えて、道の駅の駐車場で寝泊まりする、こんな経験は誰もやっていないだろうと思って。たとえこの仕事がうまくいかなかったとしても、きっとその後の人生で飲み会のネタに使えるだろうし、美味しい経験をしているなと思っていました。

ー経験をネタにできる力って大事ですよね。一見ネガティブに見える出来事をポジティブに変換できるメンタリティは昔からあったのでしょうか?

昔から人と違ったことをやりたいと思っていたので、そういう意味ではもともとそういう気質はあったのかもしれません。

 

組織の解散をきっかけに独立を決意

(創業当初のオフィスの写真)  

ーその数年後、独立されますよね。きっかけはなんだったのでしょうか

会社の解散がきっかけでした。当時僕は取締役として参画していたのですが、僕も含めて経営層が若くて未熟だったこと、ファイナンスや経営に関する情報収集をうまくできていなかったことが原因で、経営に関する間違った意思決定をたくさんしてしまっていたんです。しかし、その一方で組織は大きくなり続けていて。そうしているうちに会社経営がうまくいかなくなり、オーナーが変わる話が出てきたタイミングで、組織を解散することになりました。

ー解散後、転職も含めて色々な選択肢があった中で、あえて独立を選んだ理由はなんだったのですか。

情けない話なのですが、その年の住民税を払えないことに気づいたことがきっかけでした笑

取締役を務めさせていただいていたこともあり、会社を解散する前はある程度の収入があったのですが、僕らの年代では「27~30歳くらいまでは、稼いだお金は貯金をせずに経験に使え」という言い伝えがあって笑

僕はそれを真に受けていたので当時は貯金がほとんどありませんでした。しかし、住民税は前年の給与額を考慮して算出されるので、会社が解散して所得が減ったにも関わらず、引かれる額はかなりの額で。収支計算すると、これは死ぬなと気づいたんです笑

そして、どうせ死ぬなら自分で会社を経営してあがいてから死のうと思い、独立を決めました。

ー独立を決めたあと、事業領域として動画市場を選んだ理由はなんだったのでしょうか。

実は、独立を決めた時点では、登記をすること以外何も決めていませんでした。そのため、何屋さんかわからない状態で、依頼された仕事は全て受けている状況が続いていたんです。しかし、仕事を受けているうちに、受ける仕事の内容が得意領域だった制作系の仕事に少しずつ寄っていき、気づけば制作会社になっていました。そしてありがたいことに、実績が少しずつクチコミで広がり、初年から黒字化することができました。

 

動画制作の経験に着想を得て、リチカ クラウドスタジオを開発!

(3つ目のオフィスにて。ミーティング中の様子)

ー現在は制作会社ではなく、プロダクトを運営するスタートアップ思考の企業に変化していますが、そのように経営を変化させた理由は何なのでしょうか。

制作会社というのは、ひとつ納品が終わるとまた次の案件を獲得しにいき、0から新しい制作物を作るという工程の繰り返しなのですが、僕自身そのループに疲れていく感覚があったんです。そこで、納品がなくても、継続して収入を得られるプロダクトを一つ持ちたいと思ったことが始まりです。

そこから約20個ほどのプロトタイプを作ってサービス検証を始め、28,9歳の時に辿り着いたのが現在のメイン事業になっている動画制作プロダクト「リチカ クラウドスタジオ」でした。

動画制作というのはかなりの労力が必要な仕事で、制作会社として仕事を受けていた時に「自分たちではなく、システムで動画を作れるようにならないかな」と思っていたんです。その経験に着想を得て開発をスタートし、実際にサービスをリリースすると1週間で200件ほどの問い合わせがきたんです。

ー1週間で200件の問い合わせはすごいですね。

僕たちだけでなく多くの方が同じような課題を抱えていたんだなと分かりました。それからは、制作会社として仕事を受けながら、「リチカ クラウドスタジオ」のプロダクト開発も進め、そしてつい2年前にようやくプロダクト会社としての方向に軸を置き、経営を始めることが出来ました。

ー制作会社時代とスタートアップ企業に移行したあとでは、経営に関する考え方の違いはありましたか?

使う脳が180度変わりました。制作会社の時は「納品までの過程をいかに遂行するか」を考えることが中心で、納品した時点で仕事は終わりでした。ですが、スタートアップ企業として経営を始めると、いかに継続的に成果を出し続けるかを中心に考えるようになりました。特に、外部資本を使って会社の成長を目指すとなると、目の前の利益だけでなく、何にレバレッジが効くのかを考えることが重要になってきます。そのため、コツコツ利益を積み重ねていく制作会社の時とは、事業の作り方や会社としての考え方は真逆だと感じますね。

ー事業は順調でしょうか?

順調だと思います。組織や事業に関して大なり小なり課題はありますが、前職で80人ほどのマネジメントを任せていただき、そこで組織の立ち上げ方やトラブルへの対処法などを学ぶ機会があったおかげで、「この課題は成長痛だな」などと判断がつくんです。そのため、課題を楽観視しているわけではありませんが、焦らずに取り組むことが出来ていると思います。

 

コミュニケーションがリッチになる世界を目指して

ー最後に、今後松尾さんがチャレンジしていきたいことを教えてください。

僕たちは今年1月、コミュニケーションをリッチ化させる会社「リッチコミュニケーションカンパニー」を実現しようという決意を込めて会社名をリチカに変えました。この社名の通り、今後はコミュニケーションがリッチ化する領域に積極的に投資していきたいと考えています。僕たちが動画やコンテンツを制作している目的は、「伝えたいけれどうまく伝えられない」コミュニケーションの課題を、コンテンツを使って分かりやすい言葉に変換し、コミュニケーションを円滑にするためだと思うんです。なんでもないテキストコミュニケーションが、動画やスタンプ、gifなどの表現と組み合わさってリッチ化することで、より豊かで円滑なコミュニケーションがとれる世界を実現していきたいなと思っています。

そしてもう一つの目標として、今の時代に合う良い組織を作りたいと考えています。前職で約1000人の経営者にインタビューしてきたのですが、本当に楽しそうに働いている良い組織って実は日本にはそんなに多くないのではないかと思っているんです。僕が新卒で就職したブラックと呼ばれる企業は、僕にとってはとても良い会社だったように、社員が会社に求める要素はそれぞれ違うので「良い組織」の定義は一つではないと思いますが、僕たちは組織運営のスタンスを一貫させることで、入社前と入社後で認識の齟齬が起きないようにし、社員が気持ちよく働ける環境を実験しながら作っていきたいと考えています。

僕たちが掲げるミッションに共感してくれる仲間を集めながら、令和に合った会社像を作って行けたら楽しそうですよね!

ー本日はありがとうございました。松尾さんのご活躍を応援しています!

取材者:西村創一郎(Twitter
執筆者:青砥杏奈(Facebook
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter