様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回のゲストは、多種多様な肩書きをもつ吉田東洋さんです。
吉田さんは、都内のバーテンダーを対象に「接客英会話教室」を運営しつつ、ご自身もバーテンダーとして経験を積んできました。特に、”コミュニケーションを生む場づくり”を得意とし、現在は「b.e.park 祖師ヶ谷大蔵」という施設の接客プロディースを行っています。
また、「ワークショップデザイナー」として学校や企業のワークショップのコンサルティングを行ったり、自身も役者でありながら教育劇団の運営をしたり。様々な方法で、教育・交流の分野で活躍されています!そんな非常にユニークな経歴な吉田さんの、これまでとこれからについて、掘り下げていきます。
優秀な兄に劣等感を抱いた幼少期…乗り越えたキッカケとは?
ーいきなりですが吉田さん、肩書きが本当にユニークですよね!現在はどのような活動をされていますか?
現在は、b.e.park祖師ヶ谷大蔵という、飲食店とシェアハウスの複合施設の統括マネージャーと、「未来教育劇団ここたね」の運営をしつつ、役者として活動しています!
また、ワークショップデザイナーという資格を活かし、都立高校や様々な企業から依頼を受け、ワークショップのデザインを行っています。
他にも、ドラマケーションファシリテーターという資格を活かし、演劇要素を用いたコミュニケーション教育のファシリテーションを都立高校などで行っています。
ーすごい!過去を振り返ると、すごく好奇心旺盛な子供時代でしたか?
幼稚園から小学校まで、かなりやんちゃな子供でした。戦闘ごっこが好きでしたし、勉強よりは遊び回ることが圧倒的に好きな子供でした。
3つ上の兄がいるのですが、昔は仲が悪く、お互いが怪我を負うほど喧嘩したりしていました。(笑)今では互いに社会人になり、別居しているので仲良くやっています。
小学校2年生のときに、母から勧められた”英語劇”を始めたことが、人生の大きなターニングポイントでした。
ー英語劇はどんな経験だったのか、ぜひ聞かせてください!
学校ではよく、「吉田君、みんなの意見も聞いてあげようね」と僕の意見や主張を抑えなくてはいけない場面に少し窮屈さを感じたこともありました。
ですが、英語劇では「みんなでこんな表現をしてみよう!」とか「こうしたら面白いんじゃないか?」という発散したい思いが、受け入れてもらえたんです。ありたい自分でいられる環境に居心地の良さを感じ、すごくのめり込んでいきました。
8歳ながら居心地の良さを感じられた背景として、全力でぶつかれた、というのが大きかったです。皆に合わせることも必要な学校と反対に、自分のやりたいことを隠さず、全力でぶつかっていける環境でした。結果、8歳から大学卒業の22歳までずっと続けられました。
ー学生時代は、英語劇にずっと夢中だったんですね。
学校の勉強そっちのけで、英語劇にのめり込んでいましたね。でも小学校〜中学校時代は、自分に合っているものはなんだろう?と迷走していた時期でした。
兄が中学で部活動を始めたのを機に、僕も同じ競技に挑戦したりもしたけれど全然敵わなくて。兄は優等生タイプで僕とは正反対のため、共通の知り合いから比べられて生きてきて、若干の劣等感やコンプレックスを感じる場面もありました。兄に比べて僕ができないものを突きつけられて、苦しんだ時期もありましたね。
ー兄弟で比較されるのは苦しいですよね…。どう乗り越えたのでしょうか?
高校1年生の夏休みに1ヶ月間アメリカにホームステイをしたことが、大きなターニングポイントになりました。もともと高校生になったら1ヶ月間アメリカで生活することは親からずっと言われ続けてきたことだったので、「やっとこのときが来たか」という感覚で渡米しました。
英語は苦手で、全く話せない状態で行くわけですが、なんとか英語を話そうと必死になって生活を続けたところ、帰国後は高校のクラスでも成績トップになるほど英語の実力がぐんと伸びたんです。
同じく留学した兄よりも英語が話せるようになり、英語が唯一、学業面での特技・アイデンティティとなりました。成長を実感した大きな成功体験で自信もつきました!
大学中退を決意!あらゆる教育現場を巡る旅をスタート
ー大きく変わった高校生活を経て、大学生活はいかがでしたか?
実は大学はほとんど行かず、授業以外のところで積極的に色々なことに挑戦していました。
現在のワークショップデザイナーの仕事に繋がるような、中高生を対象としたワークショップを企画したり、自然保護活動をしながら子供たちと一緒に学ぶ企画を作ったりしました。英語劇も、最上級生として新しく入った年下の子に教えたり、支えたり。
子供とふれあい、彼らのやりたいことや意見を吸い上げる日々を送るにつれ、教育という分野に非常に関心を持ったのもこの頃です。互いの主張を消さず、みんなが自由でハッピーになる環境を作りたいと感じました。
次第に僕自身でも企画を立ち上げるようになり、リーダーシップ研修を大学で開催したり、外国の方との交流パーティーを企画・開催したことも。コミュニケーションが蜜な関係で、相手の立場を理解するまで話を聞き、違う所は否定するのではなく、違いを楽しめるような環境を育む活動が楽しかったです。
ですが、色々な経験を経て考えた結果、4年の秋学期に大学は中退してしまいました。
ー非常に充実した学生生活だったにも関わらず、大学を中退した理由は…?
急に決めたのではなく、実は4年間ずっと悩んでいました。決め手は、高校教師になるための授業を受けていて、僕が子供たちに発信したいこと・教えたいことは、”学校教育”とは大きくズレがあると感じたためです。
教育実習なども参加し、母校の先生にも相談したところ「君がやりたいことは、学校という場では実現できない」と言われてしまいました。僕のやりたいことは、英語劇から培ったコミュニケーション教育の分野だったんです。
どういった環境であれば僕のやりたい教育が実現できるか?を考えるため、大学を中退し、日本の学校教育現場を見て廻る活動をスタートしました。
ー実際に教育現場を見て、何か見つかりましたか?
印象的だったのが「アドベンチャー教育」という分野です!キャンプやアスレチックでの野外活動と遊びを通じて、何かあたらしいことに挑戦する精神的なタフさであったり、挑戦する際のリスク察知・回避能力を培う分野でした。
参加者は皆大人で、僕が22歳で最年少でした!大人が童心に返って翌日はひどい筋肉痛になるほど本気で遊んでいたんです(笑)
そこで出会った40〜50代の方々を見て、「僕もこんな風に、何かに挑戦し続ける大人になりたい!」と思えました。その出会いが、ずっと現役で役者を続けることにも繋がっていたりします。
ー22歳が、吉田さんにとって大きなターニングポイントだったのですね。
僕にとって、22歳は他にも大きな出来事がいくつかありました!
まず、「表現教育」を専門としている方との出会いがあったのもこの頃です。表現教育と聞いただけで、共鳴するものを感じました。
複数人で1つの芸術を作り、ステージに立って発表する。そのプロセスの中で、他者理解や合意形成、コミュニケーションを培うという教育分野です。何の言語化もせず、これまでずっとやってきたものが「表現教育だったのか!」と腑に落ちた瞬間でもありました。その方と劇団を立ち上げ、役者として一緒に活動しています。
また、「バーテンダー接客英会話教室」も立ち上げました。
半年間、日本巡りの資金集めを行うために働いていたバーで、オーナーさんから「せっかく教育分野に進みたいなら、うちのバーテンダーに英語を教えてくれないか」と言われたのがキッカケです。そこでバーテンダーをやりながら、接客と英語を教えるという経験をやらせていただきました。演劇的な要素も取り入れ、お客さん役になりきって練習をしてみたり、様々なシチュエーションで生徒さんたちとコミュニケーションを学んで行きました。
役者として表現する技法を磨きつつ、バーテンダーの教育を通じて目指したい教育のやり方を実証していったのがこの時期でしたね。
社会の中で自由に生きる人を育てたい!今後の挑戦とは
ーなるほど。やっとここで、今の吉田さんに繋がるわけですね。
ある時、「吉田くんのやっていることって、いわゆるワークショップだよね」と人から言われて、そこでワークショップという存在を初めて知りました。劇団を立ち上げた方がワークショップデザイナーの資格を持っていたこともあり、社会人向けのワークショップデザイナーの資格を受けてみようと思ったんです。
いざ挑戦してみると、同じような活動をしている仲間に出会い、かなり視野が拓けたと思います。今でも同時期に学んだ方々との同窓会のようなものが開催されるので、1度繋がった人やコミュニティから、新しい繋がりが広まっていくのが面白いです。
お仕事を紹介いただいたり、一緒に仕事をさせていただく中で、色々な活動に繋がったと思っています!
ー現在の、b.e.park統括マネージャーはどんなキッカケが?
ワークショップデザイナーの資格をとったあと、劇団員とバーテンダー英語教室以外にも複数の仕事をいただくようになりました。
そのタイミングで、空き家再生などをやっている兄から連絡があり、「ワークショップをやってくれないか?」という依頼が来たんです。実は、b.e.parkの姉妹店が練馬にあるのですが、そこで1日店長をやりながら場を作る経験をさせていただきました。
その後「一緒に活動しないか?」と兄からの誘いがあり、飲食店とシェアハウスの複合施設であるb.e.parkの企画・立ち上げ・運営を行っています。バーテンダーに英語を教えつつ、バーテンダーとして接客していた経験が活かせますし、ワークショップなどの場作りの経験も発揮できていると感じます!
ー人との繋がりから、何かを生み出すサイクルをたくさん経験されているんですね。
そうかもしれないです。バーテンダーもやりたい!と強く考えていたわけではなく、偶然やることになったものですし、現在もまたご縁があってバーテンダーをやっています。
最近ではコロナの流行で社会情勢が厳しい状況で、やりたいことだけをやりつづけることがいかに難しいのかを学べましたし、一方で人から依頼されたこと・求められていることが何かを知ることもできました。
僕はやりたいことがあると、急いでそれを勉強しなきゃ!とのめり込むタイプです。成り行きだったとしても培った技術があるなら、それを活かさないともったいない。真面目にコツコツやってきたことが、どれも無駄ではなかったことを学びつつ、楽しく活動させてもらっています。
ーそんな吉田さんが今後、チャレンジしたいことは?
教育現場のデザインは継続していきたいです。表現者としての活動を踏まえ、最終的には人を育てる場所を作りたいと思っています。
一番大きい目標は、中高生の方々を一箇所に集め、進学を考えている子や進学せず就職した子など、色々なバックグラウンドの子たちと、1つの大きな作品を作りたいです。その経験を通じて、これまでにない、非常に面白いコミュニケーションが生まれるんじゃないか?と考えています。
僕が高校生の頃そうだったように、進路のことで悩んだり、自分だけの価値観やバックグラウンド内で視野の狭いまま悩んでしまうのはもったいない。
高校生が自ら視野の狭さに気づき、世界はもっと広いということに気づいたり、他人との違いを受け入れることを学んで欲しいです。僕自身が演劇を通じて学んできたので、似たような環境で、本人たちに何か新しい学びが生まれたらいいなと考えています。
他人から言われて気づくのではなく、あくまでも本人たちが自分で感じていく場。そんな教育の場を手掛けたいです。
ー吉田さんを、それほどまでに突き動かすものって何でしょうか。
人からはよく「吉田君って、色々なことをやっているね」と言われるのですが、僕の中では常に1本の芯がある状態。
僕には、”社会の中で自由に生きる人を育てたい”という目標があります。自分の思い描いた理想を社会で実現させるために、柔軟に手段を変えられる人間を育てたいのです。
理想を実現させる為の”手段”というのは、無限の可能性があると信じています。僕自身、コロナ禍でも飲食店の立ち上げやワークショップ、イベントの企画などを、常にやり方をアップグレードしながら挑戦し続けている。
常に変わっていく社会状況に柔軟に対応し、またその目標までのプロセスを組む事を楽しめるという自由度の高い人間が、まだ誰も見たことのないものを生み出して、社会を少しずつ楽しくしていくのだと信じています。
ー自由に生きられる人を増やしたい、そんな人の触媒になりたいという思いがあるんですね。最後に、この記事を読んでいる同世代の方々にメッセージをお願いします!
自分の心の中に生まれたものは、”ナマモノ”だと僕は考えます。
「やってみようかな」と思いついたものの、実際に行動することって意外と難しい。ですが、そういう気持ちはナマモノなので、時間が経つにつれどんどん腐ってしまう可能性もあります。
ふと思いついたら、お酒の場でも良いから、親しい人に軽く相談する感覚で口に出してみる勇気が大事だと思います。まずは口に出すこと。そこから、自分のやりたいことや生活は始まっていくのではないでしょうか。
今の状況を悲観して何も行動しないよりは、ちょっとずつ、小さな一歩から始めてみましょう。思ったより身近なところに、思いがけないチャンスがあるかもしれないですよ。
ー素敵なお話とメッセージ、ありがとうございました!
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※吉田さんの話にもでてきた、お兄さんの取材記事はこちら!
インタビュー:高尾有沙(Facebook / Twitter / note)
デザイン:五十嵐有沙(Twitter)
執筆:MOE