「法教育を通じたいじめ問題解決」をテーマに『こども六法』を出版した教育研究者・山崎聡一郎さんの人生史

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第221回のゲストは教育研究者の山崎聡一郎さんです。

「こども六法」という本を皆さんはご存知でしょうか?

2019年に発売された一冊で、日本国憲法・刑法・民法・商法・刑事訴訟法・民事訴訟法の6つの法律からなる「六法」を、子どもから大人まで誰でも読めるほどわかりやすく説明がされている本であり、その秀逸さから瞬く間に話題の図書となりました。今回のゲスト山崎さんはその本の著者でもあり、また他にもミュージカル俳優、社長、写真家という様々な肩書きを持ちながら活動をしています。

そんなマルチな分野で活躍をされている山崎さんですが、彼が実現したいことは一貫して「法教育を通じたいじめ問題解決」というものでした。山崎さんがこの想いに至った今日までのストーリーや、やりたいことを実現していくためのエッセンスなどを幼少期から振り返ります。

被害者・加害者の立場から「いじめ」に向き合った小学校・中学校時代

ー多彩な肩書きを持つ山崎さんですが、改めて今のお仕事について教えてください。

このインタビューも実は、今社員旅行で来ている箱根からお送りしてる、というところで一つは「Art&Arts」という会社を持っており、具体的には演奏会のマネジメントやコンサートの企画運営を行っています。あとは、「教育研究者」としていじめ問題に関する調査・研究・執筆を行っており、その中の一つの活動として2019年に「こども六法」を出版しました。その他にも、ライフワークとしてミュージカル俳優をしていたり、写真家としても活動を行っています。

ー盛り沢山の内容で、でまさに四足の草鞋を履いている状況ですね…すごい!さて、ここからはそんな今の山崎さんを作った過去の話を聞きたいのですが、幼少期はどんなお子さんだったんですか?

登下校中歌って踊りながら歩いているような子でしたよ(笑)とにかく変な子だったな、と思います。

そのせいで小学校の時にはいじめを受けていて、それが僕の「いじめ」と向き合う最初のきっかけとなりました。本当にその時は辛くて幼いながらに「死」というものを考えたこともありました。ですが、その時に生きる支えになったのが唯一、自分が勉強ができることだったんです。なので、いじめから逃れるためにも中学校受験を考え始め、地元から離れた中学校を選んで受験をしました。

両親も、昔ながらのいい学校に行っていい企業に勤めて安定した人生を送って欲しい、と思っていたので、中学校受験には賛成してくれたことも幸いでした。

幼いながらに、小学校時代は力が強い人が権力を持つという構造だったけど、将来的には勉強ができる人が社会的地位の上になる、世の中の仕組みを作る人は勉強をちゃんとしてきた人だ、と思っていたので、ひとまず受験に向けて勉強は頑張っていました。

ー小学校の大変それはそれは辛かったことと思います…。しかしその経験をバネに勉強に力を入れて中学校受験されたのはご自身の中でも大きな出来事になったのではないかと思いました!実際に中学校に入学されてどうでしたか?

人間関係はここでリセットされたので、いじめはなくなってたんですがやはり自分は浮いてましたね(笑)友達関係のパワーバランスも、以前と比べてあまり変わらないし、今度は先生から嫌われるということもありました。そんなことがありつつも、部活は3つくらい掛け持ちしたりしていて、いずれも積極的に活動も行っていました。

一つが写真部、二つ目が放送部、三つ目が自分で作った囲碁愛好会です。

写真は、小学校4年生の時に祖父のカメラコレクションを見て興味をもち、その一年後のクリスマスプレゼントには、コニカミノルタ製APSフィルム用コンパクトカメラをもらってからずっと写真は撮っていました。

放送部は、当時アナウンサーになりたいという気持ちがあったので入部し、中学二・三年生の時に放送コンクールに出場ました。

囲碁は、4歳で初めて出会ってからはかなりのめり込んでいき、小学生時には地元の大会で優勝したりするほどの熱中具合だったのですが、進学した中学校には部活がなかったんです。そこで愛好会を立ち上げて堂々と囲碁を楽しめる環境を自分で作ったというわけでした。

ー現在の仕事もそうですが、小さいことからいろいろなことを一変にやることが得意なんですね!部活にかなり忙しい日々を送っていたことと思いますが、何かそこで印象深い出来事はあったりしましたか?

中学でもまた「いじめ」と向き合う印象的な出来事がありました。小学校はいじめの被害者だったのですが、そこで辛い思いをしたはずの僕がまさかの中学ではいじめの加害者になってしまったんです。

きっかけは囲碁愛好会でのトラブルした。当時は全く自覚がなかったのですが、気がつけば自分が一番悪としていた加害者であると気がついた時は、本当にショックでしたし、そんな自分をなかなか受け入れることはできませんでした。

これからの進路を決定する現体験を経た高校生活

ーショッキングな出来事が続いた小学校・中学校でしたが、高校もまた新しい環境になり何か変わったことはありましたか?

通っていた中学校は中高一貫校ではあったものの、僕は公立高校を受験しました。それが本当に吉と出ましたね、今どの時代に戻りたいと聞かれたら真っ先に高校時代を選択します。

中学校は、私立ということもあって校則が非常に厳しかったでのですが、高校はその真逆で本当に自由な環境が与えられていました。ただ「自由」は保証される代わりに、今度は自分自身で何が良くて何がダメなのかの線引きを考えろ、と言われていたのでそういった意味でも自分に合った高校を選んだなと思いましたね。またここで、法的なものの見方やバランス感覚を身につけたことが、後の「こども六法」の出版に生きていきました。

ーなるほど!これって良い面も悪い面もあるなと思っていて、校則があることによって自由はないけど生活する上で生活の過ごし方を自身で考えることがないのですごく楽である、という捉え方もあると思うのですが、その中で山崎さんが自由な環境を楽しめた理由ってなんかあるんですか?

自由であるからこそ、やりたいことが全部できたのでそれが理由ですかね。縛りが厳しい学校だと、学問を極めることと、とことんまで遊ぶということが、遊びは遊び、勉強は勉強でどうしても別れてしまうと思うんですよね。でも高校は、だからこそ学問だけに止まらずなんでも自由にチャレンジできる場があったんです。むしろ、「勉強だけを頑張るなら誰でもできる。勉強以外のことと両方を極めることこそ大事だ」ということをずっと言われていました。「とにかくまずは勉強をしろ」と言われていた中学校とは、とことん真逆な環境だなと思いますね(笑)

ー高校は、山崎さんの中でもこれまでとは全く違う環境に身を置いて、それがご自身にも非常にマッチしていたんですね!高校では、そんな環境でどんなことにチャレンジしていたのですか?

メインの部活として「音楽部」いわゆる合唱部をやっていて、他にも生徒会執行部と社会科研究部と、その他二つの委員会に参加して、全部で5つの部活に入っていました。そのいずれも今の自分の活動に繋がっていますね。

「生徒会執行部」というのがこれまた特徴的で、うちの高校は生徒で三権分立が成り立っていて、生徒会長と副会長は選挙で選ばれます。ただ、その下で活動する執行部は部活になっていて誰でも入部することができるのです。

もう一つの「社会科研究部」は、「生徒は学校内外において政治的活動をしてはならない」というルールを廃止するという時代の産物のような目標を掲げて愉快な活動を行っていました。

「法教育」との出会いで自分の取り組む新しい道が拓ける

ー高校での部活動は、どれも今の山崎さんの活動に生きているんですね。そんな濃密な高校生活を経て、大学進学はどのように決められたのですか?

高校一年生の終わりに失恋した時に「あなたは勉強はできるけど、人の気持ちがわからない」と言われて、これは人として致命的だなと考えさせられまして。そこで、もっと「普通の人間になりたい」と思うようになり、頑張って普通の人になろうと努力したんですけど無理だったんですよね(笑)その時、「もう僕には勉強しかない」と思い、東京大学一本に絞って、受験勉強に励みました。ただ、結果は東大不合格というもので、親や祖父に勧められた慶應義塾大学へ進学することになりました。

大学では、入学前から入部を決めていた100年以上歴史のある有名な合唱団に入ったり、ゼミにも2つ入ったりして相変わらず色々やっていましたね。一つは、「先端法学」というまだ法律の整備が追いついていない領域で新しい法制度を考えていくゼミ、もう一つは「学習環境デザイン」というストレスが少なく頭に残りやすい学習の環境作りを考えるというゼミに入っていました。

ー大学時代から法律や教育といった分野に軸足が置かれていたんですね。その決め手になった理由というのはあったんですか?

法律は元々興味関心がある分野だったので、勉強したいと受験の時から思っていました。そのきっかけとなったのが、まさに先ほどお話しした高校生活での生徒会の仕組みなどですね。ただ、法律は勉強したいけど果たして弁護士になるのか…?ということは受験時に考えていて、その職業選択は自分の中ではないという結論に至りました。法学部ではなく、総合政策学部に進学したのもそう言った経緯があってのことです。

もう一つの教育に関しては、自分の小学校や中学校時代のあまり良くない思い出がベースにあって、みんなが行かなければいけない学校つまり「義務教育」において、こういった良くない環境があるということはどうにかしなきゃいけないと想い、教育の分野に乗り出したというのはありました。

まずは法律の方から勉強を始めたのですが、そこで僕が今現在もテーマにしている「法教育」という自分のもう一つの興味のある分野でもある「教育」を掛け合わせた分野を知り、そこからはその分野を学部では学んでいきましたね。

ーなるほど、法教育というのは山崎さんの興味を掛け合わせた理想的な分野ですね。そこから研究者の道を歩み始めると思うのですが、最初からその道を決めていたんですか?

最初は、教育系シンクタンクや教育系企業に勤めるというのを考えていて、ただそう言ったところではマネタイズの兼ね合いで僕が研究したいと思っていた「いじめ問題」に関する取り扱いがないということが懸念点としてはありました。また、シンクタンクに進むには院卒であることがマスト条件でしたので、そこで大学院進学をすることに決めました。

ただ、学部の時に自分が作った「こども六法」を生かした研究が大学院では難しいという現実に直面したんです。研究というのは、本来積み重ねであり、先行研究で今まで積み上げられたものの上で成り立つんですよね。なので、まだまだ学問としで出来上がったばかりの「法教育」、前例のないこども六法、いじめと法教育を関連させていく研究も存在ない、という状況の中で上記のような研究の定義に当てはまらない、ということになってしまったんです。

僕の学校自体は、「誰もやっていないことを自分がやるのは面白い」という発想があるんですが、研究においては誰もやっていないだけが自分がやる理由にはならないんです。そもそも研究で「誰もやっていない」という事実がある場合には、一つはやる価値がない可能性がある、二つ目は不可能だから誰もやっていないという二つの理由が考えられます。また、教育実験ともなると対象者は人になり、倫理的に難しい場合もあるのでそこも障壁となっていました。

以上のことから、自分のやりたかった「法教育教育を通じていじめ問題に効果があるか」という実験を検証するのは不可能であるという結論に至りました。そこで、法教育ではなく「いじめ問題」にフォーカスして学びを深めていく方向に転換していきました。

「法教育を通じていじめ問題を解決する」を社会で体現していくために

ーなるほど、そう言った経緯で大学院は社会学研究科なのですね。大学院後の進学をどのように捉えていったんですか?

自分が研究テーマにしていた「いじめ問題」については、人生的なミッションとして発信していくのが適切であろうと考えていました。研究の中で完成した成果の一つとして「こども六法」があるわけなんですが、これは全てのクラスに置かれることが最も大切なことだと学部の頃から思っていました。だからずっと紙媒体の本にすることにこだわったのです。しかしこれは非常に難航し、どこの出版社も取り合ってくれませんでした。そこで出版費用をクラウドファンディングで集め、ようやく弘文堂からの刊行が決まりました。

ーそういうわけで、教育研究者として今もその問題に向き合われているということなんですね。ちなみに冒頭にご両親は「良い学校に入り、良い企業に勤めることを理想としていて」と言った話があったかと思うのですが、企業への選択などは念頭にはなかったのですか?

「法教育を通じていじめ問題を解決する」という自分のやりたいことをできそうな会社を当初は探していましたが、結局見つかりませんでした。そこで僕の選択肢から就職は消えたんですよね。やりたいことができない未来は、自分にとって魅力的に映らなくて。また、やりたいことがあるのであれがその実現を優先すべきと考え、企業への就職ではない方を選択しました。

ずっと音楽をやっていたのですがアーティストになりたいと思ったことはなくて。実は音痴だったりもするので(笑)音楽で仕事をするというのは最も実感から遠いものがあったんですが、劇団四季のオーディション受けたら受かるという奇跡があったので、プロとして向き合うようになったのはそこからですね。受けたきっかけは、ずっと挑戦したかった演目を劇団四季がやることにやって、キャスティングは公募するというのをみて応募したことにありました。

ー応募して劇団四季に受かってしまうのがすごい…!最後に、これまでいろいろなことにチャレンジ、それを大成させてきた山崎さんですが、やり切るコツみたいなのはご自身の中でありますか?

いかに飽きないようにできるかということですね。元々は飽きっぽい性格なのですが、色々なことに取り組むことによってそれぞれが自分にとって息抜きになっていて、ちょうど良いバランスなんです。

また、「できること」と「やりたいこと」を分けるようにしているのもポイントかと思います。最初からできないことにトライすると自分の中でも難しくなってしまうので、まずはできることから始めるというのにフォーカスしてみると良いかもしれませんね。すると気づいたときにはいつの間にかできることが増えていたりします。

ーなるほど。自分のできることにまずはフォーカスしてそこからつなげていくことが大切なのですね。今日は多岐に渡るお話本当にありがとうございました!

取材:高尾有沙(Facebook/Twitter/note)
執筆:後藤田眞季
デザイン:五十嵐有沙(Twitter