研究者から「IVS」の運営責任者へ!島川敏明の「人生のサイドチェンジ」

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第168回のゲストとして、株式会社インフィニティベンチャーズサミット 代表取締役・島川敏明さんをお呼びしました。

なんと島川さん、元はあの「理化学研究所」でも研究を行っていた優秀な研究者であったというから驚きです。しかしあることをきっかけに、その道とは全く異なる「IT業界」へと足を踏み入れるのでした。彼は一体なぜ研究者からIT業界へ転身することになったのでしょうか?そして、その大きな決断の裏にあったものとは?詳しくお話を聞いてみました!

驚きの転身!「元理化学研究員」はなぜIT業界で三足の草鞋を履くまでに…?

ー色々気になるところはあるものの…まず今のお仕事を聞かせてください!

今は3つあって、一つ目がインフィニティベンチャーズでの投資活動、二つ目は17 Media Japan経営企画室室長、そして三つ目が、株式会社インフィニティベンチャーズサミットの代表取締役です。なので三足の草鞋を履いている状況になっています(笑)

ーそんなIT企業で大活躍されている島川さんですがなんと以前は…研究者だったのだとか!

そうなんです。大学ではずっと生物学の研究をしていて、理化学研究所で研究をしていたこともありましたよ!

元々、小さい時から新しいことしたり作ったりすることが楽しくて好きで、映画「バックトゥ・ザ・フューチャー」に出てくるような科学者みたいに「周りの人をワクワクさせるよな人」に非常に憧れを持っていました。なので、そういうのもあって研究者の道に進み、「面白いものを作りたい!」という一心で大学・大学院時代は日夜研究に明け暮れていましたね(笑)

ーそうなってくるとますます不思議なのですが、そんなずっと憧れていた「研究者」の道に進んだ島川さんがなぜIT業界に!?

僕とIT業界の出会いは、IT系のイベントを探していたらたまたま「Infinity Ventures Summit」を見つけたことにありました。どうにかこのイベントに参加できないかと調べたところ、イベントスタッフを募集していたので、募集期間は終わってたのですが(笑)、お願いしてなんとかスタッフとして採用してもらえ、参加することが叶いました。

その後、イベントで出会ったご縁から繋がりスタートアップだったりとかITの世界に足を踏み入れることになったんです!

ー「研究者」を目指していた島川さんを魅了したIT業界の魅力ってどこにあったんですか?

そうですね、それは研究生活での「ある気付き」がきっかけになったんです。当時、理化学研究所というある種研究の第一線で研究をしていたわけなのですが、そこで成果をあげるにはまだまだ時間がかかり、これから先30代中盤まで修行の道が続くというのに気がついたんですよね。

そんな研究世界のリアルなところが見え始めた中で、それとは正反対のところにある圧倒的なスピードで成長を遂げていくIT業界にものすごく惹かれるものがありました。自分の持っているプロダクトとビジネスを掛け合わせたら、これまでには実現しなかったスピード感持って世の中にそれを届けられるのでは…なんて考えが瞬時に頭をよぎりました。

大自然での幼少期・厳しい寮生活・危機一髪の海外旅行。全てはこの幼少期の体験が元に!

ーこうなると今度は島川さんの過去にもものすごく興味が湧いてきました!!ぜひ幼少期のお話もお聞かせください!

小さい時は、野生児みたいな生活をしていました(笑)父が気づいたら、自分の趣味で岐阜の雪山でロッジを経営していて(笑)、そして毎晩のようにロッジで海外の人を交えて親父がDJをやっていて、それがもはや子守唄になっていたような幼少期でしたね!幼稚園の時代は雪山で過ごしていて、ソリで登園とかしていました。

ーえ!?幼少期エピソードのパンチが効きすぎていてかなり圧倒されています(笑)そんな大自然の中で過ごされた一方で中高時代はどうでしたか?

中高は一転して、東京の中高一貫校に通っていたのでそんな大自然とは真逆の生活を送っていました(笑)関西から急に東京の学校へ進学することになったのですが、関西でぬるっと過ごすよりも受験して東京にいたら自分の成長にもつながるのでは、と小学生なりに考えて自分で決めたんです。とはいえ、最初はホームシックで泣いた夜ももちろんありましたけどね(笑)

またその学校が寮生活ということで、青春時代は少し特殊な環境で過ごすことになったのですが、そこで得られた物はものすごく大きかったですね。規則も厳しく、上下関係も厳しいプリズンブレイクのような寮生活で(笑)、そこでは限られた中でどうしたら最大限に楽しんで生活ができるかを追求していましたね。例えば、隠れてPCとWi-Fiを買って部屋の中で隠れて友達と一緒に、3Dの映像作ったりしていました。思えばその頃から何か新しいことや面白そうなことがあればすぐにやってみよう!という精神があり、いろいろなものを作っていましたね。あとは、寮生活においてはその気持ちをシェアできる仲間がいたことは非常に大きな存在でした。

ー中高での体験は島川さんの今後の人生選択に大きな影響を及ぼしていそうですね。そんな中高時代を経て大学に進まれてどうでしたか?

幼少期のあの雪山の大自然の経験もあってか、ずっと生き物への興味があったので生物の研究への道は、割と自分の中でもすんなりと決まりましたね。大学を探す際もやりたいことが割と明確だったので、大学名でさがすというよりも自分のやりたいことができるかどうかの軸で探していきました。なので、大学に入ってからも自然と研究者の道を志すようになりました。

ただ、本格的に研究ができるのは大学4年生からだったので、1〜3年生はバイトでお金を貯めては海外旅行に行っていましたよ。基本的には、若いうちにしか行けないようなところばかり行ってましたね。

ー海外旅行での経験なんかもやはり今に生きていますか?

海外旅行を通しての学びはとても多かったですよ!例えば、色々な国で日本ではなかなか味わえないスリル満点な出来事も多々ありましたが、そういうことを経験したおかげで、人は滅多なことじゃ死なないし、ちょっとくらい失敗しても大丈夫とか、幸せに生きていけるなみたいなポジティブな感情を備えることができるようになりました。一言で言うと怖いもの知らずになりました(笑)そこから「とりあえず自分のやりたいことをやろう!」というマインドになっていきましたね。

「新しいことにチャレンジしていく楽しさ」を改めて教えてくれた17 Media Japanの立ち上げ

ーそんな怖いもの知らずの島川さんでも大変だったと思うことありましたか??

全然あります!(笑)それはやっぱり17 Media Japanの立ち上げでした。

当初は現CEOの小野さんと二人で始めたのですが、とにかくやることが山のようにあってそれをやり切るだけでも本当に大変でした。それでもここまで頑張れた理由は、単純に本当に面白かったし楽しかったんですよね。研究者は、仮説を立てて実験をして…と一人で進めて完結することが多いんですけど、今回の場合はだんだんと仲間も増えて、初めて同期と呼べる存在ができ、それによってできることも増えて、さらに業績も増えて…その一連の流れが本当に新鮮で楽しかったんです!この経験があって、より「新しいことにチャレンジしていく楽しさ」を実感することができましたね。

ー島川さんのお話を聞いて点と点が全て繋がりました。これまでの経験一つひとつを大切にしている島川さんだからこそ今の姿があるのですね!今回は本当にありがとうございました!

取材者:高尾有沙(Facebook/Twitter/note
執筆者:後藤田眞季
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter