様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第178回は公式TikTokerであるガリレオさんをお招きしTikTokerに至るまでの経緯などをお話いただきました。
現在40万人のフォロワーを持つガリレオさんですが、普段はあまりお話しされていない幼少期のお話や、大学・大学院時代はウナギの研究をされていた話、元々はYouTuberとしての活動を考えられていた話など、パーソナルなお話をたくさんお伺いしました!
本業を持ちつつ、TikTokを更新する日々
ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。
ガリレオという名前でTikTokを中心に教育系のコンテンツを発信しています。また、公式TikTokerを含むインフルエンサーとしての活動やTikTokerの育成も実施しております。実はTikTok関連に費やしている時間はそんなに多くなく、本業は東京のインフルエンサー広告会社で営業統括として働いています。個人でインフルエンサーをしており仕事でもインフルエンサーに関わらせていただいているので良い相互作用をうむことができていると思っています。
ーしっかり本業も持たれているんですね!なぜガリレオという名前をつけられたのでしょうか。
ガリレオ・ガリレイから取りました。ガリレオは地球は太陽の周りを回っているという地動説を主張した人ですが、天動説を唱えていた教会と対立したことによって宗教裁判にかけられました。そのため正しいことを発信しようとしたにも関わらず、教会という権力に負けて真実を世の中に発信できなかったんです。
今はTikTokをはじめ、多くのSNSで誰もが正しいと思ったことを発信できる時代です。ガリレオ・ガリレイが正しいと思ったことを世の中に発信したように、私自身も正しいことを発信し続けようと思いガリレオという名前にしました。
ー具体的にはどのような教育系コンテンツを発信されているのですか。
もともとはコロナが流行しはじめたころに、コロナ禍で今後どのような変化がでてくるかなどといったことを題材に発信することから始めました。今はコロナ関連に限らず、政治の話であったり、環境の話であったりと幅広い内容を発信しています。
実は昔はコミュ障だった
ーガリレオさんがTikTokerになるまでの話についても教えてください。もともと話したりするのは得意だったのですか。
高校までは鹿児島で育ちました。小さい頃は人見知りで、クラスメイトからも静かな人と思われていたと思います。コミュニケーションをとるのが得意ではなかったので友達も少なかったですね。中学3年の時に「コミュ障」という単語と出会い、自分がコミュ障であることを受け入れたと同時に、人と話せないのは問題なのかもしれないと思うようになりました。これがきっかけでコミュニケーション能力を改善するようになったんです。
ーそうだったんですね。今のご様子からは想像できません…!具体的にはどのようにコミュ障を改善されていったのでしょうか。
ちょうど進学した高校が、中学時代までの自分を知っている人が少ない新しい環境だったのでチャンスだと思い、意識的にキャラを変えていきました(笑)自分の笑っている顔が嫌いだったので、それまでは人の話を聞いてもほとんど笑っていなかったのですが、とにかく笑うことを意識していました。
また、それまでチャラチャラしている人に対して苦手意識を持っていたのですが、笑顔を意識するようになったことが功を奏し、たまたま同じクラスになった彼らと話すことができ、仲良くなりました。チャラチャラしている人に対する偏見がこれによって変わり、視野が広くなったのでよかったです。
ー高校卒業後の進路についてはどのように考えられていたのですか。
幼少期の頃から魚が好きで飼っていたりもしていたので水産系の勉強を大学ではしたいと考えており、北里大学の海洋生命科学部に進学しました。大学1年目は神奈川のキャンパスで、2年目からは岩手県にあるキャンパスで勉強予定でしたが、ちょうど東日本大震災と重なったため4年間神奈川で過ごしました。
安定を求めて大学職員になるも、IT系営業職に転職
ー好きなことの勉強に費やす4年間だったんですね!
それがいろんなことに興味を持ってしまうタイプかつ、あまりのめり込むと飽きてしまうタイプだったので、入学後は魚に対する興味は薄れてしまっていました(笑)それでも、大学内にある小さい水族館のスタッフをしたり、大学の勉強はしっかりしていたりと、なんだかんだ魚に関わることに時間を使っていた気がします。
また、たまたま受けた授業でウナギの話があったのですが、その先生のプレゼンが上手だったことと、ウナギの完全養殖を世界で初めて成功したのが自分の出身高校のある街だったということもあり、4年生はウナギの研究に打ち込みました。結果的に、ウナギの研究を続けるために大学院の進学も決めちゃいまいたね(笑)
ー水産系から離れることなく大学院に進学されたのですね!
はい。その後は博士課程に進むことも考えたのですが、大学の職員として就職することを選びました。これは両親が国家公務員で安定を好む家庭で育ったことが影響しました。仕事を通じて成長したいという思いはあったものの、リスクは取りたくないと思い、安定と考えられている大学職員を選んだんです。
ー実際に就職されてみてどうでしたか。
働き始めてすぐに、ここは成長できる職場ではないなと気づいてしまいました。ならば仕事をしながら勉強しようと思い、様々な本を読んでいた時に落合陽一さんの「AI時代の生存戦略」と落合陽一さんと堀江貴文さんの「10年後の仕事図鑑」と出会いました。この本には、事務職が現在AIに代替されていないのは、人件費がまだ比較的安くAIの導入費用の方が高くつくからだけであること、技術的には十分発達しているので今後人件費が上がれば事務職は全てAIに代替されるだろうといったことが書かれていました。この本を読んで、これからまだ35年程働くだろうという状況で、大学の職員は決して安定ではないということに気づき、退職を決めました。そして、これから生きていく中で本当の安定はスキルを身につけることだと思い、汎用性の高いスキルを身につけるためにIT系企業の営業職に転職しました。
ー大学の職員から営業に転職してみていかがでしたか。
テレアポで数をこなすのは思ったより得意で、社外のお客様とのやりとりも特に困りませんでしたが、社内で関係性を築くのには結構苦労しました。この頃から営業をやりながら自分で何か力をつけたいと思いYouTuberなどに挑戦しはじめたんです。
発信力を持つ人間を目指して
ーTikTokの前にYouTubeにも挑戦されていたんですね!
そうなんです。TikTokは踊っている動画をあげるSNSというイメージが強かったのですが、たまたまYouTubeの登録者数を増やす方法としてTikTokがあげられている記事を見つけたので初めてみることにしました。
初めは昨年の12月に恋愛のノウハウを語るアカウントからスタートしました。このアカウントのフォロワーが順調に増えていたので、次は美容・健康について発信するアカウントを作りました。このアカウントが初日で5000フォロワーを達成。TikTokの自分のやり方、ノウハウに再現性があるのを確信しました。そして将来的に長く発信できる分野での発信を考えた結果、現在の教育系コンテンツにシフトを決めたんです。
ーそういった経緯があったのですね。どんな戦略でたくさんのフォロワーを獲得されたのでしょうか。
参入時期がよかったというのは大きかったと思います。その他具体的にやっていたこととしては、恋愛ノウハウを発信している時は猫カフェにアポをとり、そこで猫と一緒にTikTok動画を撮っていました。猫の写真や動画はSNSでバズることが多いのでそこで他のTikTokerとの差別化をはかったんです。また、今であれば毎回同じ服を着て動画を発信するなど、動画の細部にまで気にかけています。何の服を着るかということもインフルエンサー要素に影響してくるんですよね。
ーTikTokでバズるためのコツなどがあればぜひ教えてください。
教育系コンテンツを発信しているので「論破しないこと」を意識しています。誰かを敵に回してしまう表現は避けたいですね。一人語りではなく、相手の視線に合わせた発信をすることで共感性が生まれ、自然とフォロワーさんが増えていくと思います。
フォロワーを増やす方法に関してはよくご質問いただくのですが、うまい人・目標としている人を真似して自分の目利きを磨くことが大切だと思います。真似をすることからはじめ、そこからどんどんオリジナリティを足していくといいのではないでしょうか。
ーちなみにTikTokでバズったことで何か変わったことはありますか。
人生が変わりましたね(笑)現状TikTokだけで生活ができるわけではないですが、いつかできるかもと思えるくらいになってきました。TikTokを通して一緒に仕事をしたいといった問い合わせをいただくことも増えてきて、新しい人との出会いがあることも嬉しいです。
ー素敵ですね。最後に今後の目標があれば教えていただけますでしょうか。
ウェブ業界で働く中で、発信力を持っている人間が強いと改めて感じているので、発信力をこれからどんどん磨いていきたいと思っています。フォロワーさんの数が全てではありませんが、発信力があるかの指標としてフォロワーさんの数があげられることが多いので、この点を伸ばすことは意識していきたいと思っています。
SNSのおかげで言いたいことが言える時代になりました。バズるかバズらないかで出す動画を決めるのではなく、例え炎上しやすい内容であっても伝えたいことを引き続き発信していきたいと思っています。
取材者:あおきくみこ(Twitter/note)
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter)
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter)