サッカーの持つチカラで日本をハッピーに!新卒フリーランス・土海真帆の夢

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回のゲストは、“新卒フリーランス”として、現在パラレルに活躍中の土海真帆(どかい・まほ)さんです。

土海さんは2020年に大学を卒業後、日本のサッカーチーム「TOKYO CITY F.C.」、アメリカと日本のスポーツコンサルティング会社「Blue United Corporation」、スペインから発信するサッカー戦術ウェブメディア「スーペルクラック」編集部と現在3つの企業に所属しているんだとか。

そんな彼女のこれまでの半生と、サッカーとの出会い、そして新卒で3ヶ国を股にかけるフリーランスという選択肢をしたキッカケについて伺いました。

 

アメリカ移住も、サッカーがあったから楽しめた!「なでしこジャパン」の優勝で将来を決めるキッカケに

アメリカのチームメイトと

ー新卒でフリーランスという働き方を選択した土海さんは、現在どのような仕事をしているのでしょうか?

今は日本のサッカーチーム「TOKYO CITY F.C.」と、スペインの企業とアメリカの企業の計3社でお仕事に関わっています。

サッカーチームでは、主にチームマネジメント活動をしています。練習や試合に参加し、選手たちの練習環境を整えることをメインに活動しています。他にもTOKYO CITY F.C. では様々な取り組みを行っているのでプロジェクトごとに携わらせていただいています。

アメリカの「Blue United Corporation」という企業の仕事では、企業のSNS運用やスポーツビジネスのリサーチ等をしています。今後は女子サッカーに関わるような取り組みもできたらと考えています。

スペインの企業は、スペインサッカー戦術メディア『スーペルクラック(スペクラ)』の編集部に所属しており、主にSNS運用や記事作成など、メディアの編集全般を行っています。!

ーサッカー漬けの毎日を送っているのですね!そもそも土海さんが、サッカーにのめり込んだキッカケは?

サッカーを始めたのは、小学校2年生の時。高校1年生で辞めてしまうまで続けていました。小学校6年〜中学校3年生までの4年間は、父の仕事の都合でアメリカに住んでいたので、その期間はアメリカで女子サッカーをしていました。私の中ではその4年間がすごく楽しかった思い出です。

ーアメリカに移住していた際、サッカーとの思い出は何かありますか?

海外に住むということは、文化も違いますし言葉も通じなくて大変なことも多かったです。でも私の場合、サッカーを通じて友人ができたり、サッカーがあったからこそ学校も楽しく通えるようになったので「サッカーありがとう!」という感じでした。

特に印象に残っているのが、2011年のワールドカップです。当時アメリカに住んでいた私は、友人たちと「日本とUSA、どっちが勝つと思う?」と議論をしたり、一緒に試合を見て盛り上がったり、サッカーという共通点があったからこそ友人やチームメイトと仲を深めることができました。

また、2011年は日本で東日本大震災があった年だったので、私は日本にいなかったけれど日本が大変なことになっている暗い時代だったような気がしています。そんな時に、ワールドカップで“なでしこジャパン”が優勝し、サッカーが明るいニュースを日本にもたらしたのを見て、「日本のサッカーがもっと強くなって盛り上がっていけば、日本をもっとハッピーにできるかもしれない!」と考えたのが、サッカーを仕事にしたいと思えたキッカケでした。

ーなでしこジャパンの優勝はすごく印象的でしたよね!帰国してからはどのような生活をしていたのでしょうか?

日本で高校進学をできるように、父より少し早めに帰国して日本の高校に入学しました。制服や学校生活など、日本での学生生活に元々あこがれていたので嬉しかったです!

高校入学後もサッカーを続けようと女子サッカーのクラブチームに入ったのですが、話したい内容や空気感がどこか合わず、そのまま他のチームに移ることもなく辞めてしまいました。熱量はすごく高いチームだったのですが、面白いと思える共通の話題が持てなかったのが原因です。「誰とプレーするのか?」ということも非常に大切だと感じました。

ーその後の高校生活は?

サッカーを辞めてからは、とにかく遊びまくってました!(笑)友人と「青春だー!」と思えるようなことは何でもやろうと思って。満足するまで思い出を作った高校生活でした。やり残したことはないほど遊び尽くしました。

ー良いですね〜青春!その後の進学先はどう考えていたのでしょう?

帰国子女として試験を受けられるチャンスを活かそうと思い、AO入試で立教大学を受験し、進学しました。立教大学の存在は、アメリカ在住の際にオハイオ州で出会った日本人の先輩が入学したと聞いて知っていました。それで「私も立教大学にいきたい!」と思って進学したのが理由です。

サッカーに関わることがやりたいと思っていたので、スポーツ系の学部に進学しようと思っていたのですが、「もし飽きてしまったらどうするのか?」と先生に言われ、ハッとしたんです。確かにそうだなと思って。それで、汎用性のある学問に触れて幅広い知識を付けられるように…と経営学部に進学しました。

 

カンボジアでやりたいことを見つけ、スペインでフリーランスという働き方を選んだ

アイセックの皆と

ー大学入学時、やりたいと思っていたことは?

なでしこジャパンが優勝した時から、日本のサッカーが男女関係なくもっと強くなるためには、多くの選手がもっと海外に出ていって、活躍して欲しいと考えていました。

ただ、サッカーでスキルを磨くために自分を追い込むだけでなく、海外生活に馴染むために生活面でも努力するのはかなり大変なこと。私自身もアメリカに移住して、色々同時に頑張るのは結構ストレスを感じていました。

なので、そういった自分の経験を活かしてサッカー選手がハイレベルな環境でプレーに集中できるよう、生活面や異文化に馴染むためのサポートを出来るようになりたい!と考えたんです。

私には家族がいたから大丈夫だったけれど、海外に出てきたばかりの孤独な選手を支えられる人になりたい・親のような存在になってあげたかったです。そうしたら、もっと海外で安心して強くなれる日本人選手が増えそうだな!と思っていました。

ーそのために取り組んだことはありますか?

アイセック・ジャパン」という、海外インターンシップを運営しているNPO法人かつ学生団体に所属していました。

アイセックの事業は、日本のサッカー選手を海外に送り出すというシステムと仕組みが似ていたので興味を持ちました。加入して1〜2年生の頃は「自分のやりたいこととは何か?」等、とことん自分や将来のことに向き合ったりして、次第にプロジェクトマネジメントや、リーダーシップをもってなにかに取り組む姿勢を学びました。最終的には、日本人の学生を海外に送り出す事業に関わっていました。

ーアイセックで、特に印象的なエピソードはありますか?

たくさんあります!中でも特に、カンボジアにて海外インターンをした経験は印象深いです。

私はアイセックで海外インターンの支援をしている側だったけれど、自分自身がアイセックのサポートを受けた経験がなかったので、サポートされている側の人の気持ちがわかるように、私自身もアイセックを通じてカンボジアに行きました。

そのカンボジアがすごく楽しかったんです。カンボジアの子たちがすごくハッピーに過ごしていて、それをすごく覚えています。

アイセックでは、将来どうなりたいか?どんな社会を創りたいか?を問われるタイミングが多々あるのでずっと考えていました。でも、カンボジアの子たちをみて「この先、何がどうなるかなんて分からない。でも今をめいっぱい楽しんでいるカンボジアの子がいる。どうしたら、目の前にある“一瞬のハッピー”を作れるんだろう?ハッピーを感じる瞬間を増やせるんだろう?」と考え、「やっぱり私はサッカーを通じて、その場にハッピーを感じる人を増やしたい!」と強く思い始めました。

カンボジアで出会った日本人のカキ氷屋さん「Fresh Fruits Factory」の経営者の方に、その夢を語ったところ、「一緒にお互い海外で頑張ろうね!」という約束もしたので、今でも思い出すと頑張ろうという気持ちになれますね。

ー大学生だと就職活動もありますよね。就活はどのように行っていましたか?

就活ではサッカーを通じて何かを実現できる人になりたいという思いで、サッカーチームやスポーツ事業を行っている企業を見ていたのですが、多くの企業では、やりたいことがあるのに違う部署に配属になってしまうことに疑問を感じました。結局、1つも企業の面接などを受けることなく、就活そのものをストップしました。

また、就活時代に私以外の家族がスペインに住んでいたので「サッカーも好きなんだし、スペインに一度来てみたら?」と母から声をかけてもらって、大学を休学して1年間スペインに遊びに行きました!

ー就活をストップして、サッカー王国スペインに!そこではどんな事がありましたか?

「本当に自分はサッカーが好きなんだろうか?この先もサッカーに関することを続けたいのか?」という気持ちを確かめにいこう、と決めて行きました。

スペインでは、実際に日本人のサッカー選手が留学している地域・環境を見てみたいと思ってたので、スペインに住む選手へのサポート内容や、選手にサッカー留学を決めた時の気持ち・思考をリサーチしていました。

ーそこで見たもの、学びは?

サッカー留学に関する学びについては、選手の話を伺ったところ、想定していた以上にサポートはあまりなくて手薄な印象でした。ただ、よく話を聞いてみると、サポート側の問題だけではなくて選手側のマインドも課題があるという気づきもありました。

もっと選手1人1人が何を考えているのかという考え方への理解と、異文化理解のサポートは必要だなと感じましたね。

その際に、現在関わっているスペインの企業に出会ったんです。その企業に出会ったことで、「ここで何かできるかもしれない!」と感じて、現在もお世話になっています。

ースペインの企業との出会いはその時だったんですね。就職をしなかったのはなぜ?

個人的に、1つの企業でずーっと働くより、複数の企業で色々なことに一気にチャレンジする方が性に合っていると思いました。私は、パラレルな人生のほうが向いてるのかなと思ったんです。

さらにスペインへのワーキングホリデー中に出会った友人たちは、大学卒業後もすぐに就活をしない子たちがいました。あまり焦る様子もなく、自身のタイミングを大切にしていて気持ちが良いなぁとおもい、参考にしてます(笑)

 

3ヶ国の企業でパラレルに活躍する、新卒フリーランスに!

大好きなサッカーの観戦中!

ーキャリアを選択する中で、不安はありましたか?

日本の友人が就職していくなかで、皆と違う方向に行くことに不安も多々ありました。でも、そもそも休学をしたのでスタートの時期が違いましたし、人と比べても仕方ないと思ってあまり気にしないようにしました。

ー就職活動を再開しよう!とは思いませんでしたか?

確かに就活再開しようかなと、スペインにいた頃は自分のキャリアについても悩んでいました。

しかし、「日本では、新卒入社すると社会人としてのマナーを教わるけれど、それって自分で調べたり勉強すれば出来るようになることだな」って思えたんです。そしたら、そこまで新卒にこだわる必要ってないなと思い始めました!

また、これからの長い人生を見た時に、「私がサッカー業界で成し遂げたいことは、45歳までに達成しよう!」と決めました。もし達成できなかったら、それ以上はやめようと期限を決めた瞬間、スッキリと自分のキャリアの方向性を決めることができました。

ー新卒でフリーランスになったものの、実際なってみてどうでしたか?

ちょうど2020年の3月が卒業・就職のタイミングだったのですが、コロナウイルス感染症が大流行してしまい、サッカー業界も大打撃を受けました。

この先どうなるか分からないという不安もたくさんありましたが、まずは目の前の仕事と、自分にできることをコツコツやろうと決めました。

振り返ってみて「あの時、もっとやれたのに!何で頑張れなかったんだろう」といって後悔だけはしたくなかったので、全力でやれることに向き合い、結果はあとから付いてくるだろうと信じてがんばりました。

ースペインの企業以外の2社との出会い・キッカケは?

「TOKYO CITY F.C.」は、スペインから帰国して大学に復学したタイミングで、関連会社の選考会にたまたま参加したんです。そこで代表の方と話す機会がありました。

そこで私のやりたいことを話したところ、「あなたのやりたいことは、TOKYO CITY F.C.の方なんじゃない?」と言ってくださり、そこからご縁があってチームのマネージャーのお仕事をさせていただくことになりました。

もう1つの方は、復学後にアメリカの大学院進学を検討していて、先輩に話を聞いてみたところ、現在働いている「Blue United Corporationという企業でインターンの募集があるよ」と教えていただき、参加したのがキッカケです。結局インターンとしてジョインしてから期限を延長してもらって、そのまま今も一緒に働かせていただいています!

ー国も職業も違うお仕事で、スケジュールはどうやって調整しているのでしょう?

アメリカのお仕事を平日の昼間にやっていて、スペインの企業は全社員がスペインにいるので、日本時間の17時以降(スペインが昼間)になったら仕事をしています。

サッカーチームの仕事は、平日の夜や土日に、試合や練習があればやっています!

ー約半年フリーランスの活動を振り返ってみて、どうでしたか?

この選択は間違ってなかったと思っています。今年はもっとコツコツとお仕事をやって、来年は自分でもう少しお金を動かせるような仕事をやってみたいと思ってます!

ーサッカー選手の近くで仕事をしてみて、何か発見はありましたか?

私が中学でサッカーをやっていた時、プレー中はほぼ感覚で動いていました。

でも今所属しているチームの監督や選手たちはすごく早い動きでプレーをしながら、空いているスペースの使い方などすごく色々なことを瞬時に考え、判断しているのでその凄さは近くで感じており、楽しみながら学ばせてもらっています!

ー最後に、今後の夢や挑戦していきたいこととは?

最近は、男子サッカーと女子サッカーの間にまだまだジェンダーの壁があるように感じることがあって、私も女子サッカーのプレイヤーだったことと女性であることを踏まえて、もっと女子サッカーの発展に取り組んでみたいと考えています。

また、新卒からフリーランスでパラレルにやりたいことをやれている経験を活かして、ビジネススキルや実績ももっと手に入れたいです。

女子サッカーの発展のためには、強化の側面だけでなくビジネス面での女性活躍も重要だと思っています。だからこそ、女性として「サッカー業界で稼げる人材」になることが今のゴールの一つです!

これからの活躍が楽しみです!素敵なお話、ありがとうございました!

 

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取材:西村創一朗(Twitter
執筆者:MOE
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter